2005年11月号「比べること・比べないこと」ひあみ珠子


毎日の生活は取捨選択の連続とも言えます。
衣・食・住も楽も学も、日々、比べて選んできた結果が、
今現在の私の姿と置かれる立場。

つい先日、新居を構え引越しをしました。
家を建てるのがこんなに大変だとは知りませんでしたよ。
間取り、水周り、壁紙の色ひとつにしても、カタログや関連雑誌と
首っ引きになり、ミクロ的視野にて「これだ!」と決めてみても、
マクロ的視野で全体のバランスを見るとなんだか合わなかったり、
資金的な問題でオットや工務店さんから諦めさせられたり。。
それでできた家が大満足かと言うと、なかなかそうもいきません。

そんなわけで、直感詩人の珠子も心身ともに疲労がピークに達している
今日このごろです。

さて、詩人が詩を書くとき、よく「言葉が天から降りてきた」なんて言いますよね。

私も、何かピンときて書き始めることが多いです。
(この頃のようにせわしないとちっとも書けないんだけど、
今は言葉を貯めてる無意識の時期なんだと思っています。)
でも、一番最初にピンときたフレーズを結局使わない、ということもよくあります。

比べる前からピンときたフレーズと、こねくり回したフレーズのどっちを信じるべき
か、
よく悩みます。
比べることと、比べないこと。
比べないことって、どういうことでしょう?
よく自分の子と他所の子を比べちゃいけないなんて言いますが、
私は比べます。
長男と次男の性格の違いも比べます。
比べないと分からないからです。
分からないと対処の仕方も分かりませんものね。
でも、だからって息子たちのどちらが「かわいい」か、比べるのは困難です。
(世の中には、はっきりどの子が「かわいい」か言う人もいますが。)
どちらの子も互いに影響はしつつ別の人格であるわけで、
私に「かわいい」「面白い」と思わせてくれる場面も別々なわけですよ。
どういうところがかわいいか列挙することはできても、どちらがかわいいかなんて
所詮比べようがない。野生の本能ですかねえ。
いや、そもそも愚問だよな。
私はその時々で感じるのみです。

話を詩に戻しますと。
私は直感を大事にしたいと思ってます。
直感には、無意識ながら自分のバックグラウンドが反映されていると思うからです。

でも詩という形を出す場合、
私の自由な精神は(笑)頑なにバックグラウンドを固持することをよしとしません。

バックグラウンドを見つめなおし、世の中を感じ、未来に羽ばたくために(笑)、
言葉と取っ組み合いをしなければ。
・・・なかなかこれがうまくいかないのよねぇ。
それでも、前言を撤回したり、手探りだったりする状況を晒して書いていくのも、
悪くないかななんて図々しく思ってます。
ちょっとくらい図々しくたっていいよね、詩人だもん、中年だもん。






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