2005年10月号「あの時叫べなかったことを」ヤリタミサコ


今回のテーマは「あの時叫べなかったことを」です。

私がなぜこのテーマで書くか、というと、この9月3日にウエノポエトリカンジャム
が開催され、その第一部で叫ばれた鈴川夕伽莉さんの「メッシュ・センター・イン」
がとてもすばらしく胸がすっとするものだったからです。

鈴川さんに許可を得て、以下に引用します。



「メッシュ・センター・イン」 ウエノ朗読版   鈴川夕伽莉

おまえ
その手に持っているものは?
はぁ? ピル?
おまえ
避妊薬なんて飲んでおるのか
そんなものを持ち歩くということは だ
「私は男とヤりまくっています」と宣言しながら
歩き回るのと同じことじゃないか

と 父親がわめくので
私は父親の目の前で下着まで全部を脱ぎ捨てて
素っ裸になった

あら
お父さん
二十数年ぶりに見る娘の裸ですよ
まっすぐ見てくださったって良いじゃありませんか
ダイエット? してませんよ
私が痩せた理由は以前にもお話ししたとおりですが

ほっといたら生理が来なくなったんですよこの身体には
取り敢えず体重を戻しただけじゃダメだったから
カウフマンもしました
それでやっと血液が出たと思ったら
生理痛が強くてのた打ち回りました
その上
そいつは忘れた頃にしかやって来やしない

ねえ
お父さん
そういう事情が分からないのは
百歩譲って許してあげますけれども

さっきあんたがわめいたことは
そのまま
あんたのエゴじゃないのかよ

本当はヤりたいのは あんたじゃないのかよ

と 叫んで

使用済みのメッシュ・センター・インを
下着から剥がして丁寧に丸め勢いをつけて
父親の顔めがけて
投げつけた

     



この詩が21世紀の日本の女の表現なのだ!と私はうれしくなったのです。もちろ
ん、親子のディスコミュニケーションが主たるテーマではあるのですが、怒りの気持
ちを素直にぶつけられる主人公の行動が、そしてこれをテライなく書ききった作者
が、ストレートに気持ちよかったのですよ。その気持ちよさといったら、車を運転し
ていて制限速度を大幅に超えて思いっきり猛スピードを出してぶっとばした、そんな
快感でしょうか。セーラー服の中学生が機関銃を乱射して「カ・イ・カ・ン」と薬師
丸ひろ子が言ったような感じかな。社会的な制限ゆえに自制しなければならないルー
ルの縄を、ぶっちぎること。でも、それを言えない、言えなかった女性たちの歴史は
ものすごく長かった・・・。

 私が鈴川さんの作品の明るい強さに注目したのは、これまでに「言えなかった」詩
人たちが多すぎたから。ガスオーブンで自殺したシルヴィア・プラスにしても母への
敵意を出し切っていませんし、次に引用する日系アメリカ人のジャニス・ミリキタニ
も、自分の受けた性的虐待、義理の父親からのレイプのことは言えないままの前半生
でした。同様なことを公開している内田春菊のようにはなれなかったのですね。ミリ
キタニも内田春菊も、鈴川さんより一世代前、お母さんくらいの世代でしょうか。



「ジッパー」 zipper   ジャニス・ミリキタニ   ヤリタミサコ訳



盗まれた息

手探りする部屋の隅

クロゼット

納屋

暗い寝室 の時間すべてが

口止めされた

眠っているかのように

遠くのことのように

男の指が探る

女の体の長さ

嫌悪と恐怖に包まれている

思春期をむかえて

小さく膨らむ胸が わしづかみにされる

春の梨みたいに

やめて





ジッパーが押し付けてくる

骨が白くもりあがったようなところ

柔らかい肉

男の舌は

渇いた唇を舐めて濡らす

男の指が光るジッパーを動かす

音のない祈り

恥辱がもらす声

無言の痛みが

歯をくいしばり

続けさせることができなかった ジッパーは

はずされる

女の体にぎざぎざの冷笑が走る



【高田宣子さんによるジャニス・ミリキタニの紹介(部分)】

 1942年、アメリカのカリフォルニア州生まれ。他の日系移民と同様に、第二次
世界大戦中は家族全員収容所に隔離される。大戦後はシカゴへ、さらには祖母の農場
があるカリフォルニアへ移り住む。この頃、母親の離婚と再婚により、ミリキタニは
新しい父親を迎える。だが、後の詩集にも描かれているように、新しい父親から受け
続けた継続的な性的暴力は、ミリキタニの体と心を苛んだ。さらに学校生活において
は、日系人として差別を受け続け、自分自身の存在価値について深く疑問を抱くよう
になった。この頃の体験は、詩集『河で目覚めて(Awake in the River)』(1978)、
『沈黙を脱して(Shedding Silence)』 (1987)に詳しい。ミリキタニ作品の「沈黙」に
は、日系2世たちの収容体験にまつわる沈黙だけでなく、ミリキタニの幼少期と思春
期に受けた性的虐待にまつわる沈黙、さらには母娘の確執にまつわる沈黙が幾重にも
織り込まれている点で、日系2世の沈黙とは意味が異なるだろう。

1980年代以降、サンフランシスコにあるグライドメモリアル教会に所属し、やが
て教会の司祭セシル・ウィリアムズと結婚し、精神的にも充実した生活を送り始め
る。現在は、教会理事のメンバーの一人として、暴力虐待に苦しむ女性や子供あるい
はホームレスの人々の救済プログラムを実践している。



みなが内田春菊になれるわけではないし、なる必要もない。ミリキタニも、この詩の
ような重い言葉をようやく書けるようになるまでの、痛み苦しみは深かったはずで
す。でも、少しずつでも言えるようになる人は、重荷を少しずつ下ろすことができる
かもしれないし、逆に記憶の闇の中に完全に葬ってしまうこともひとつの解決です。
また、明るくぱっと言ってくれちゃう人も貴重だと思う。自分は言えなくても代わり
に言ってくれた、というカタルシスを与えるからね。

私自身も、同級生の男子高校生や自分の兄弟に性的暴力をふるわれたり、母親には
守ってもらえなかったり、性的に精神的に被害を受けています。セルフエスティメイ
トという言葉も概念もなかったです。その経験はぼんやりした薄い記憶でした。きっ
と消そうとしていたのだと思います。でも、怒っていいのだ、暴力を振るったほうが
悪いのだ、性的対象にされた私が悪いのではない、と理解するまでには長い時間と、
自分の中の暗闇を探る勇気が必要でしたね。

思い出したくないことを無理に思い出す必要もないし、それでつらくなるのもイヤな
ものです。でも、怒りがあるのなら叫んでみたい。いつになってもね。怒りを悲しみ
の中で押し殺したり、涙でまぎらわすのではなく、怒りは怒りとして表現していいの
です。誰に対しても、叫んでいいのですよ。自分の声は自分が出すものだから。








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