2005年12月号「ワガママについて」水無月綾


今月号を担当させて頂く事になりました、水無月綾と申します。
実はこのリレーコラムの依頼を受けたのは、蘭の会に入会して1週間経たない頃でした。
正直、驚きましたが頑張ってみようと思い、ペンを取っています。


頂いたテーマは『ワガママ』書こうと思いデスクに向かっても、
なかなか書き始められない難しいテーマでした。

よく私は人様にワガママ扱いを受けます。
まぁ、実際そうなのかもしれませんが、私自身にその実感はほとんどありません。
それは何故か。考えてみると私が育った環境に原因があるようです。

私は母子家庭で、母が仕事の時間帯は祖父母に面倒を見てもらっていました。
すると自然に祖父母に連れ出される機会が多くなり、
大勢の大人の中で過ごす時間がほとんど。
兄弟もいなかったため、同い年の友達が出来たのは幼稚園に入ってから。
母の帰宅を待つため、
幼稚園児や小学生には考えられない時間帯まで起きているのが常でした。
見ているテレビ番組も聴く音楽も、
文体や話し言葉でさえも全て同年代の子達とは違う。
それが大人に構ってもらう、対等に話をしてもらうのに必須だったのです。
そして、その時を同じくして学んだであろうものがワガママでした。
聞き分けの良い子よりも、ワガママを言える可愛げのある子の方が魅力的。
しかも周りは大人ばかりなので、ワガママを言えば聞いてもらえる状況なのです。
4歳や5歳の頃から自然に身に付けていたこと、
今更意識しろと言われても無理だと思います。

ただこれが災いし、小学生の頃や中学生の頃は女友達が少なかったように思います。

大人と対等に話が出来るという事は、同い年は子供に見えてしまうという事。
きっとバカにした態度を取っていたのでしょう。
ある程度の愛想笑いが出来ていたとしても、
内にある感情というのは何気ないところで感じ取ってしまうものですから。
逆に男友達だけは多く、今思い返せばそれも女の子を刺激する原因だったようです。

男の子はどんなに幼かろうと女の子のワガママというものに弱く出来ているようで、
同い年から先輩、先生まで簡単に仲良くなる事が出来ました。
別に特別可愛くもなく、性格も男っぽい私が気に入られていたのは
やはりワガママというスキルゆえだったと思います。
ただ母子家庭で父親というものを知らずに育った私は、
未だに異性というものに対して敏感なようです。
単なる先輩や友達だとしても
ワガママというスキルを使い意識している感が否めません。

そんな私にも今は安心して寄り添えるパートナーがいて、
案の定ワガママなところが好きなようです。
人様に言えばたちの悪いワガママでも、私達の間では普通の事で、
単なる愛情表現でしかないんですね。
パートナーから見ればワガママとは見えず、
私もワガママを言おうとして言っている訳ではない。
結局のところ、ワガママの上手い使い方というのはないような気がしています。
本当に上手いワガママというのは、自然体で出来るものなのかなと。
まぁ、ワガママを可愛いと思える人が相手じゃなければいけないというのも
大切な条件の1つではありますが。

以上で、ワガママというものを知らない私が自己分析し考えてみた結果です。
可愛らしいワガママを言えるというのは、同性でも異性でも魅力的だと思います。
ただ考え計算し尽くされたワガママというものは、
結局のところ駄目なような気がします。
きっと私はこのままワガママというものを意識せずに生きていくのでしょう。
実際、友達も年上が多くなんだかんだと面倒を見てもらい可愛がられています。
本来の自分なら出来る事でも甘えてしまっている気がしますが‥
若いうちだけなのだろうと楽しむ事にしたいと思います。

[prev]  [next]


Column HTML改造版
(CGI 改造 佐々宝砂)