2001.9.21記

少々UPが遅くなりましたが…。(冷汗)

8月6日 
―ヒロシマから世界へ 恒久平和の願い―

8月の広島へは、ここ数年行ってませんが、私がよく行っていたころの街の様子。


 学生のころは、8月の休みには決まって広島の祖母の家に行っていた。 私は、広島の街が大好きだ。 広島の8月は、暑い。 
あの日も暑く、よく晴れた朝だったという。

私が行くときも、決まって快晴、そしてうだるように暑い一日だったと記憶している。
8月6日。 この日も穏やかに始まる。そう、巷は夏休み。でも広島の学校はこの日は登校日になるという。私の姉も従妹も経験したが、普段より早めに登校し、皆で黙祷をささげるのだという。  
 式典の様子をご覧になったことがある方なら、ご存知かと思うが、8時14分から1分間、広島の街に、サイレンが鳴り響く。黙祷の合図。 そして広島の街は一瞬の静寂に包まれるのだ。その瞬間はバスも、路面電車も何もかもすべてが、56年前のあの瞬間のようにストップする。勿論、出勤などで街を行き交う人の群れも、足をとめる。
そのサイレンが鳴り響いたとき、すべての人の願いはひとつ。戦没者への供養だけではなく、あの日のあの悲劇が、二度と繰り返されないことを祈り、今の平和を感謝し、守って行くことを、誓う瞬間なのだ。
また、この式典では、広島市長による、平和宣言が全世界へ向け発せられる。
 そして夜には、灯篭(とうろう)流しが行われる。今の平和記念公園原爆ドームの脇を流れる元安川で6日の夜行われる。この、元安川でも水を求め多くの人が亡くなっていった。灯篭には、故人のお名前や、平和の願いが記されている。穏やかにそして何かを訴えるかのようにゆっくりと、人々のさまざまな思いをのせ色とりどりの光を放ち、灯篭は流れていく。
この、小さな灯篭は海へ向け流れていくのでしょうか? 世界へ向けて、このヒロシマの願いは、届くのでしょうか?


*****************************************************************************
また、特別な思いを胸にこの日を迎える人もいる。 この日、水を一切口にしないという。
あの日戦火から逃れる途中、「あつい。あついよぉ。おみず、みずちょうだい」といって亡くなっていった小さな娘さんへの弔いだ。でもその日、爆心地の傍を流れる元安川の水はいつもと違い、爆弾の熱で、煮え湯と化していて、飲ませてあげることができなかったという。。  
 学校まで行けば水がある、そう思って必死に歩いたけど、学校まで向かう途中で娘さんはその小さな、短い命を終えた。  
あの子は苦しんでいたのに、自分だけ、水を飲むわけにはいかないとこの日は我慢しているのだという。 *****************************************************************************
でも、こういった人々も年々減ってきているのが現状だろう。 あれから56年、広島の人々はどんな思いで生きてきたのだろうか。


  今年は私も5月に、戦中・戦後の混乱期を懸命に生きてきた、まさに原爆の生き証人でもある祖父を亡くしたこともあり、改めて考えさせられることの多い8月となった。。


Back          Peace         Next