2001.7.1記
だんだん暑くなってきましたね。今日、スーパーに行ったらもう桃が並んでいました。その甘い匂いが私の足を止めました。そう、この匂いがするたびに、いつも思い出すあの話。。今年もまた、この季節がやってきました。。
これは、わたしが5年ほど前に聞いた、実際のお話です!
(部分的にに広島弁を引用してます。分かりにくいと思われるところには読み方、訳をつけてあります)
「桃の季節」
いまもまだご健在の、祖母の家のご近所のセツ子さん。セツ子さんは毎朝仏壇に手を合わせている。お線香の匂いをいつも漂わせている、おばあちゃん。 この時期になると、必ず桃を買って仏壇にお供えしている。若くして亡くなった、息子さん、定男さんのために。当時定男さんは中学生。戦火の激しくなった時期だった。
1945年8月6日―悪夢のようなあの日。「いってくるけぇ」それがセツ子さんが見た定男さんの最期の笑顔になった。「学校に行ったきりどこに居るかもしばらくは分からんかったんよ。生きとるんか死んでしもうたんかもわからんかった。」
その日定男は、自分が生まれてすぐに亡くなった父親の仏壇の前でいつものとおり母と二人ならんで手を合わせていた。そこには、父親が大好きだった、桃が1つ供えられていた。甘く漂う桃の香り。手を合わせながらも、「そろそろ食べ時」そのことの方が定男は気になっていた。
日課であるお参りを終え、出かける前に定男はさっきの桃のことを思い出し、セツ子さんに、「かあさん、仏壇の桃、食べてええ?」と聞いた。セツ子さんももうそろそろ下ろさな傷んでしまうと思っていたが、朝の出掛けの忙しいときだったので、定男に「置いといてやるけぇ往[い]んでから(訳:帰ってから)食べんさい」と言い聞かせ、送り出した。。
定男も帰ってから桃を食べられるのを楽しみに、母に元気よく「いってくるけぇね」と言い残し、今日も何もない穏やかな一日であるように願いながら、家を後にした。 よく晴れた空を眺めながら。。
しかし定男のその願いはどちらも叶えられることなく、戦火に散った。
定男がぴか(原爆)にあったのは、ちょうど家でセツ子さんが仏壇の桃を下ろしたときだった。そう、8時15分。広島の町が一瞬にして消えたあの瞬間だ。勿論セツ子さんも被爆したが、幸い一命は取り留めた。
セツ子さんはそれからしばらくの間町中を歩き回って定男さんを探したが、その姿を二度と見ることはなかった。 定男さんの「ただいまぁ」の声を聞くことはなかったのだ。
「あの日桃を食べさせてやれんかった」そのことが今でもセツ子さんを苦しめる。今でも桃を見るとそこに定男さんのあの日の笑顔が浮かぶという。私がこの時期広島に行くと、近所のスーパーでセツ子さんを見かける。懸命に桃を選んでいるその横顔はとても寂しそう。そしてあの日から毎年桃の季節には、セツ子さんの家の仏壇には桃が2つ、いつも供えられています。ひとりのセツ子さんは桃を食べきれず、私が来ている事を知ると決まって仏壇の桃を下ろして持ってきてくれます。 写真でしか知らない定男さんだけど、その桃を見ると私にも、定男さんのあの日の笑顔が見えてくるような気がするのです。
「桃」は、つねに平和を願っていた定男さんが戦争をしらない私たちに残してくれた、唯一の形見。私にとって、桃の香味は平和の香味とも言えます。
桃を見て、平和を思う。もう半世紀以上前の出来事って片付けてしまえばそれまでなんだけど、でもいつまた、同じ事が繰り返されるか、わからないから。
平和公園の慰霊碑に刻まれた、「過ちは 二度と繰り返しませんから」の言葉通り、繰り返されないことを願うばかりでなく、繰り返さないよう、働きかけて行かなければいけないのは、これからを担う私たちです!!
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