ZAPPA NEWS99
DONT YOU CHECK THAT THING ?

ザッパ関係の最新のニュースおよび、最近の私のお気に入りのザッパについて



復活記念増刊号     
一挙掲載!
 

みなさん、お久でした。なんと、6か月振りの更新という事になる。本当に長いこと間をあけてしまったものだ。更新を期待して訪問してくれた方、本当に申し訳ない。ネタがなかったというのもあるし、やる気が出なかったというのもあるが、急にバタバタとこの5月から6月にかけてザッパ関係のイベントが入って来た。その一連の動きに対し、自分は参加するだけで、告知も打てなかったし、フォローが後になってしまうという本当にニュースとは名のみの情けないていたらく。これじゃあ、ニュースを自称するHPのWEBMASTER失格である。TEZさんの日記を見習い、リアルタイムでの記録でなかったらNEWSではない、という心構えでないといけないなあ。それでは、気持ちを入れ替えて、久しぶりにザッパニュース復活記念増刊号、行って見ようと思う。

大山さん染色展レポート(5/16)

では、かなり調子の悪い脳髄をデフラグしながら進めていこう。
一連のザッパ関連のイベントがスタートしたのは、5月16日までさかのぼらなければならない。以前より、期待していた大山甲日さんとの出版記念パーティー
が伸びており、もう大山さんにお会いできないのかと思っていた4月、大山さんの展示会が京都で開催されるので、ザッパHP関連のメンバーで挨拶に行こうという話が、はたなかさんのBBSでまず金森さんから投げかけられた。これはいい企画だと行く気分にはなっていたが、なんといっても京都。どうしようか結構迷っていたが、結局行く事に決めた。
この機会を逃したらまた当分、関西へ行く機会など滅多にないと思えたからだ。

そこで、早速会社で格安新幹線チケットを購入し、(本社が大坂)展覧会の前日に大坂入りした。
久しぶりの大坂である。道頓堀にグリコの電子看板が復活してたのに感激!まず、福田(JOY)さんと合流し、別のBBSでのオフ会を実施したあと、HBPさん、急須さんと共に一木さん宅ではたなかさんと合流。やっと会えたはたなかさんは生粋の関西人という感じのさっぱりした人であった。この日の為に作成したBOOTのオムニバスを聴きながら盛り上がる。ニューヨーク音源からの20分近いブラック・ナプキンを聴きながら、はたなかさん次から次にビールを空けていく。ザッパ話に花を咲かせているうちに、時は2時、HBPさん、急須さん、はたなかさんは帰宅した。そして、一木宅に一泊させてもらい、翌日はたなかさんと合流して京都の会場へ向かった。久々の京都で観光気分だったが、あの京都駅のビルはちょっと頂けなかった。景観の破壊という以前に「悪趣味」と表現するしかない醜悪な建造物で、軽い眩暈を覚えながら地下鉄に向かう。辿りついた北大路駅につくとやっと昔ながらの京都の雰囲気が漂っていて安心した。

会場のアーズ・ローカス・ギャラリーに着くとすでに、五十嵐さん、松本さん、金森さんが先に到着していた。そして、ガラス越しにクリーム色のスーツを着た大山さんが軽く会釈してくれた。ああ、やっと大山さんに会えたんだという安堵感が広がる。

会場に入ると、友禅染めという言葉から想像していたのは別種のモダンな着物の数々が展示されていた。会場で流されていたのはストラビンスキー。また、入り口のカウンタには「大雑把論」が置かれており、その横にはキャビネサイズのザッパと大山さんの記念写真がさりげなくおいてあった。ゆっくり、作品を見た後、軽くお話をと考えていると、大山さんがいきなり、「ちょっと座って話しましょうか。」と言葉をかけてくれ、椅子を集めて全員で大山さんを囲み、座る形になった。正直、こんな展開は予想していなかった。
そして、「大雑把論」の執筆苦労話から、展示会終了までたっぷり4時間大山さんのお話を聞くことが出来たのだ!さながら、大山さんトークショーといった感じだった。
 

無料でしかもこんな長時間貴重な話を聞くことができた京都まできた甲斐があったものだが、話の内容を簡単に整理してみると、まず、大雑把論の執筆苦労話から始まった。最初はザッパのお面を表紙にと考えていたが、権利問題に触れるのを警戒してああした徹底して文字にこだわった表紙にせざるを得なかったということで、そのかわり書体も始め、字体には徹底的にこだわって作成されたそうだ。そのあたりにも、アーティストとしての大山さんのこだわりを感じる。また、「ジャズノイズ」の削除、改訂された大量の原稿のこと。さしずめ、ザッパのリマスター作業の様に、何回も差し替えを行いながら、少しづつ本を作っていった過程。また、石原さんとは会ったことがなく、ファクスでやりとりをしながら本を作成していき、却っていい結果になったのではないかということ。この変の話は「MAKING OF」という感じがあり、本の編集過程に興味があるものとしては聴いていて実にスリリングだった。
また、次回作をもし執筆するとしたら、どういう内容を盛りこみたいかという話で、
ザッパとキリスト教、ユダヤ教との関係について、ザッパのギターに見られる中近東風のフレーズから話が様々な方向に広がっていくのを聴いているとさしずめ、
大山さんの書斎にいて口述筆記をしている編集者になったような錯覚に陥る。こうやってどんどん構想を膨らませているんだなとそのスピードに圧倒されてしまった。
驚異的な事に話す速度と書く速度が同じなのであろう、大山さんの壮大な思考回路の中で束の間、迷子になったような錯覚を覚えた。

お話の中で特に印象的だったのは、ザッパと現代音楽との関係へのこだわりだった。ザッパはストラビンスキーのどのバージョンを聴いていたのか、また50年代のブーレーズのレコードとどうやって出会ったのか、ナンカロウ、メキシコの関わり
について等、事が現代音楽に及ぶと途端に話が熱くなる。また、大山さんの細部へのこだわりも徹底しており、LPのテスト盤のレコードナンバーまで確認したいという情熱は正に研究者の視点というにふさわしいものだった。
そう、柔な評論家ではなく、研究者なのだな、大山さんは。職人(アルチザン)という言葉も当てはまると思う。しかし、血の通った研究者だと思う。

その際にインターネットで取材に協力してくれないかとお話があった。
今回依頼があったのはWEB上にストラビンスキーのディスコグラフィーはないかというものだった。今後もこうした依頼があったら、協力できればと思う。
大山さんはPCを持っていないので、私が連絡役になってこれからも協力できればと思ってはいるが。大山さんも言っていたが、こうした形で大山さんの執筆にネットを通して協力できたら本当に素敵な事だと思う。ネット上でザッパの愛を何らかの形にする、という共同作業はけっこう簡単に実現しそうである。
大山さんの次回作への資料提供という形で。

他にも、京都西部講堂のライブの当日はかなり寒い日で、ブラック・ナプキンが始まるまで自然に総立ちになっていて、曲が始まると全員で肩を叩き合って座り始めた事、アンコールのマフイン・マンのソロが実に印象深かった事や、アンサンブルモデルンの公演でザッパに会った時のお話等が実に印象深かった。

残念だったのは、大山さんの作品についてのお話を聴くことが出来なかった事。
現在の日本の染色の世界でどう評価されているのか是非聞いてみたかった。
シュールリアリズムを例にとり、一つの芸術が本当に根付き、花開くのには50年かかるといおしゃっていた言葉が印象に残っている。伝統と前衛との関係、それらを300年近く前から伝承された技術を駆使する世界の中で、大山さんは模索されてきたのだろう。前衛といっても、結局は淘汰される、または優れた技術を持ったものが結局生き残れるという意味に聞こえた。もちろん、ザッパの音楽の中では伝統と前衛が、黒っぽい音楽と白人現代音楽といった異なった要素が見事に融合されている事はいうまでもない。

最後に全員で大山さんを囲み記念撮影をし、解散となった。帰り際に大山さんに「実際にあってみて印象は違いましたか?」と声をかけてくれたが印象的だった。いや、大山さんはほんとうに飾らない、サービス精神に溢れた暖かい方だった。大学時代の年長の、物知りでやさしい先輩に久しぶりに会ったという印象がしてしまったくらいである。
そう、わざわざこの日の為に、ザッパと会った時に着ていったスーツを着てきてくれたのだ。この気配りがうれしかった。これからも、ザッパファンの大先輩として活躍を期待しています。本当に貴重な時間をありがとうございました。
今回大山さんから好きのものにこだわりつづけるという事の大切さを改めて
教わったような気がする。
また、こうした機会を設けてくれた金森さんに、心から感謝。

終了後、東京へ帰るタイムリミットだったので関西のザッパファンとゆっくり話が出来ず、急いで帰らなければならなかったのが本当に残念だった。一木氏と東京での再会を約束し、福田(JOY)さんと新幹線で東京へ向かったのだった。

ザッパオフ会 IN JOY’S(福田) HOUSE
(6/5)

そして2週間後の東京、福田(JOY)さん宅でこれまた約9ケ月振りにザッパ・オフ会が開催された。詳しくは福田(JOY)さんのBBSのちょっと前のあたりや,一木さんによる詳細報告があるので参考にして欲しい。
しかし、福田さんのお宅の、さながらザッパの地下室のようなオーディオ・ルームは本当に凄かった。初めて見る、雑誌でしか見た事のないプレミアもののハイファイなオーディオの数々…。
また、東京の閑静な住宅街で実施されたことなど、舞台設定は完璧に近かった。
そこで聴いた大音量の「インカ・ロード」には本当に打ちのめされた。そこには、完璧な構成を持ちながら、自由奔放にスイングしていく官能的な音世界が存在していたものだから。初めてザッパを聴いたような、不思議な感覚だった。
 

さて、今回ザッパニュースではザプロキシ・メイト(ザッパを通じて知り合った友人のこと,(BY大山さん)という事を書くにとどめたい。まず、工作者の石原さん。みなさん、ご存知のように大山さんの本の仕掛け人である。この本が売れない時代に敢えてザッパの本を作るという心意気が嬉しかった。石原さんはまた電子音楽の権威でもあった。そして何よりも嬉しかったのは、RYKO PRESSを持ってきてくれた事。
これは石原さんがビデオアーツの販促用に作っていたものだが、自分でホット・ラッツタイムスを作ってしまえ、という情熱から出てきた発想だと思う。こういうこだわり、大好きである。また、おみやげに、私が集めているようなサンプラー盤を持ってきてくれた事もうれしかった。これからも妥協のない硬派の音楽本を制作していって下さい。
また、HERBさん。彼は本当にザッパファンの鑑である。一番凄かったのは、みなさんも書かれているビデオの編集で、ザッパがYCDZOSAで駆使しているテクニックを自分のものにした如き、繋ぎのテクニックの妙を数々の貴重なビデオの中で駆使してくれた。いや、1988年の未発表のビデオの数々も凄かったが、このザッパの編集テクニックを自分のものにしているHERBさんには本当に参った。ああ、ビデオもっと集中して見たかった。
権平さんもひさし振りだった。氏も本当にザプロキシ・メイトといいたい一人である。権平さんのザッパに対する真摯でまっすぐな姿勢にはいつも感心してしまう。
権平さんにはHP作成においてお世話になりっぱなし。今回もお世話になり申し訳ないです。
氏の持ってきたDATももっと先を聴きたかった。

また、梅村さん。本当にザッパに対する純粋な愛情を持ち続けておられる方で再会できて本当に嬉しかった。氏のカル・シュンケルに対する思いも確認できたし。
ちなみに、梅村氏はSMI時代のザッパのCDのオビを作成されている。(プレイグラウンド・サイコティックス等)思いっきり優しくなったザッパ髭を持った日本のカル・シュンケルが梅村さんなのだ。

そして、伝吉の面々。SATさんとはあまり話が出来なかったが、今度の伝吉のライブでゆっくりと話をしたい。しかし、きじさんといいペスさんといい若いのに本当に音楽に対する姿勢には感心してしまう。そう、伝吉はメンバーチェンジがあり、このオフ会の一週間後に新メンバーで1年振りのライブを実施する予定だったのだ。

TETZさん、土屋さんのザッパ全日本おっかけ仲間の再会にも面白かった。
また、同じザッパ、仕事から始まった2人の今の姿も非常に面白い。
2人ともザッパの会場で初めて会ったそうだ。
もう23年も経つんだなあ、あれから。TETZさんはライブ時に京都西部講堂は星が見えたと語っていた。お2人ともザッパが精神の中にしっかり根をおろしている
年代である。ザッパ大先輩としてこれからも頑張って欲しい。絶対、老けないだろう、お2人とも。

ネット仲間のナチュさんとは、ゆっくり話が出来て(まだ足りなかったが)嬉しかった。ザッパはあまり聴いた事がないらしいが、ROXYのB面を気にいってくれたようだ。嬉しい。これからも、どんどん嵌まっていって欲しい。(笑)福田(JOY)、一木さんとはザッパ仲間というより、遊び仲間といったほうが相応しい関係になったし(笑)。

清水さんはコアなコレクターだった。初めて、生の日本公演のパンフを手にする事が出来感激した。(私はマザーズで買ったコピーを持っている。当時、1000円もした。しかし、こんなもの売ってもいいのか?)他にも、71年ツアーのコレクションなど珍しいものを見せていただいた。今はシングル盤のコレクションを進めておられるらしい。

また、今回初参加の瓦斯壊疽さん、財前さん、ぶんぶんさん、野口さん、猿さん、COZYさん、本当に来て頂いてありがとうございました。
またお会いしましょう。そして、リスリング・ルームを提供して頂いた福田(JOY)さんには心から感謝。

伝吉のライブでの再会を約束し、午前1時にオフ会は終了した。
まだ、HERBさんに聞かせてもらった1972バンドの珠玉のバージョン、インカロードが、頭の中をぐるぐる回りつづけていたが。

伝吉復活ライブIN SIBUYA(6/12)

そして、6月12日DANGEROUS・KITCHEN通称伝吉のライブが渋谷TAKE・OFF7で行われた。実はこの日、横浜県民ホールで某ブラック系アーティストを茶髪の若者に囲まれて見たあと、時間があったら駆けつけようとおもっていたのだが、案の上1時間程度で終わってしまった。そこで急遽、渋谷に駆けつけたが着いたのは7時40分過ぎ。TAKE・OFF7にたどり着いたのは50分過ぎで、もう最後から3番目の「RDNZL」のソロの途中だった。久しぶりに見る伝吉はきじ君が入って若返った感じで大分前回と印象が違う。お、前回のオフ会の面々も来てるなと思いながらジンコークを注文して見ていたらあっという間に「STRECTLY GENNTEEL」で終わってしまった。
 

残念。終了後、HERBさん、権平さん、梅村さん、JOYさんらと軽く挨拶をしていると、梅村さんからプレゼントを頂いた。感謝します、梅村さん。本人に了解をもらったので全国のザッパ・ファンの為に公開することにする。楽しいものなので。
そのプレゼントはこれです。

その後、福田(JOY)と新宿に向い、リキッド・ルームでのDJ TROUTのオールナイト・イベントに参加した。そしてザッパ漬けの日々は終了した。私は少し体調を少し崩してしまったが,全て成功に終わって本当によかった。
もう今年1年分くらいのイベントをこの1月で体験できたような気がする。

そんな訳で、今回は3曲しか聴いていないので、レポートは書けそうもない。
レポートはライブの時にお願いして権平さんに書いていただいた。毎回お世話になり、感謝してます。

権平さんによる伝吉ライブ・レポート

OTHERS

そういえば、知らぬ間に「SON OF CHEEP THRILS」が出ていたのだった。
今回もカル・根本 敬・シュンケルによるジャケットで、ちょっとそそられたし、前回と比べると大分選曲が面白く楽しめる。
「TWENTY SMALL CIGAR」が入っているのが個人的には嬉しい。
しかし、選曲は追悼企画で募集した奴の方でもっといいの一杯あるな。(笑)
今年でるというインフォメーションは出たらしいが、いつ出るのだろう「TRANS・
FUSION」他の未発CD。ゲイルさんよろしくお願いしますよ。
 

     
また、渋谷タワーでオフ会の後に「ELECTRIC DON QUIHOTE」と「VISUAL
DOCUMENTARY」を購入。今まで購入できずにいたのに一挙に購入できておれしい。ドン・キホーテとザッパの関係にについては…説明するまでもないだろう。ザッパの相手にしたものは風車ではなく、現代のアメリカ社会であったが。今度、「ロスト・エピソード」で訳してみようか。
「VISUAL DOCUMENTARY」は文句なく楽しめる写真中心のバイオ本。
どちらも、2500円から、2900円で購入出来る。

また、ザッパのコピー(だけにあらず)バンドで「殺人ラッシュ」というバンドがあるらしい。どんなバンドなのだろう。ご存知の方、ライブ見た方は感想教えて下さい。このバンドはについてはオフ会に来てくれた土屋さんの友人のバンドなので、今度書くつもりでいる。期待してください。
 

あと、ザッパ・カルト・クイズの回答を。メールで鵜崎さんという方から問い合わせが来ていたのだった。

質問1:ザッパのバンドに誘われた日本人のキーボーディストとは誰でしょう?
 
回答:ミッキー吉野。

(バークリー時代、つまりゴダイゴ結成前だと思うのですが詳細は不明です。
ジョージの後釜として声をかけたのか?)

質問2:ザッパのオーディションに申し込んだが、選ばれなかった日本人ドラマー は誰でしょう? (この時、シャド・ワッカーマンがドラマーとして選ばれました。)

回答:そうる透(小川銀二や山岸とバンドを組んでいた)

次回、オフ時にはカルト・クイズまとめてやってみようか?でも、みんな全問正解で逆に質問されても答えられないと困るのでやめておく(笑)。
 
それでは、次回はインスト時代、1972年頃のザッパについてでも書いて見るとするか、とうつらうつら夢想する梅雨時の深夜である。
それではみなさん、また会う日まで。なるべく早く再会したいとおもっていますが。

(99.6.25)

 ACK NUNBER  98年度発行分ZAPPA NEWS