Magnesia BC190
by Simple GBOH
with History of the art of War

ハンス・デルブリュック「History of the art of War」の英語版(Bison book 1990)の第1巻、第4章「Ancient Rome」となっている。

第1節「Knights and Phalanx」ではローマの軍事システムの概要について述べている。
「ローマについて語るならば第2次ポエニ戦争から始めよう。ギリシャはアテネでさえ11の政治形態が入れ替わっている。ところがローマでは長大な歴史にも関わらず全体として連続性がある。これは共和制から帝政への移行のときでさえそうで、旧システムの形態が維持されている。ローマのそうしたシステムの起源を求めていくと伝説の時代へと遡ることになってしまう。
イタリアではギリシャより騎兵の重要性が高かった。これがパトリキの形成に大きく影響した。ローマ自体の例ではないが、隣接都市カプアの戦記を読むと中世の騎士の戦いに酷似している。この時期のローマの主戦力は騎兵であったのではなかろうか。これは近代に歩兵が組織化されるまで騎兵が優位にあった状況と近い。
パトリキの起源は武装豪族であるが都市の発展で登場した富裕商人がこれに加わっていった。この層は特権化していった。その数は少なかったが、幸い外敵もまた規模が小さい時代であった。
ラテン都市が外国支配から脱出していくと、軍事システムは発展していき、ファランクスの組織や強い王の登場をもたらした。ローマでは王は世襲ではなかった。外圧による不安定さが最強の厳格な人物を、この国に必要とさせていたからである。
ローマは市内4つ、郊外16のトライブに分けられ、それぞれ4つのセンチュリーを持った。4つの内の3つはホプリテだが、その装備はシンプルなものからフル装備までまちまちだった。残る1つがpsiloiという軽装兵であった。センチュリーは名の通り100人の単位組織である。これらの総計は9、000名ほどになり、当時の推定人口60,000の内の兵役人口と見合う。
最後の王、タルキニ・スペルバス解任後、制度が改まり毎年2名のコンスルを選ぶようになった。選挙は軍事組織を通じて行われ、センチュリーは選挙母体にもなっていった。軍務のためのジュニアセンチュリーの他に、シニアセンチュリーが作られ年長者の発言権を増した。このころ21番目のトライブが加わりセンチュリーの総数は84となった。ローマの通常歩兵兵力として4、200という数字が現れるが、これは全兵力の半分、一人のコンスルの指揮兵力にあたる。

ローマの軍政は広範かつ厳しい兵役で成立していた。アテネでは短期の兵役の他は傭兵や奴隷で補っていた。スパルタでさえ兵役の対象は一部でしかない市民権を持つものだけに限られていた。また、ローマ軍を支えるのは税であり、貢ぎ物ではなかった。
ローマでは質素な生活が尊ばれた。これは商業の中心地であり豊かさに近しい暮らしをしていたのに驚くべきことである。
軍の単位としてのセンチュリーと政治集団としてのセンチュリーは時代と共に分離していった。特に外敵が遠いものとなっていき、行軍が長く、戦役が月日の掛かるものになるに連れ、全軍ではなく部分のみの参戦となっていった。
管理単位であるレギオンは当初は全軍の1/2、一人のコンスルの指揮分という意味だった。その後、レギオンは同じ規模のまま据え置かれて管理単位となり、レギオン数が増設されていった。レギオンは多少の増減はあるが4、200の歩兵(後期には5、000〜6、000)と騎兵300からなる。
ローマが属領に分遣軍を出させる時代になると、軍の半数がローマの正規レギオン、残りが属領軍という構成となった。属領軍は騎兵をローマの2倍程度出すのが一般的だったようである。もっともこうした割合は状況に応じて、かなりばらついたようである。」


マグネシアの戦場
マグネシアの戦いを、いつものようにSGBOHを用いてプレイしてみた。
ディアドコイの一人、アンティオコスが奮起してローマに戦いを挑んだものである。
戦場図を見てわかる通り、横長に布陣したアンティオコス軍に対して、ローマのレギオンは縦深に配置されている。戦闘正面を支えるために右翼に歩兵とローマ騎兵を展開している。両軍とも象を後方に準備している。
プレイでは先ずアンティオコスが機先を制して戦車でローマ騎兵に仕掛けた。しかし、ローマ騎兵を任されていたエウメネスはタイミング良く反撃して、これを撃退した。エウメネスとローマ騎兵のコミニュケーションは急増編成で良くなかったと言われているがゲームでは史実を跳ね返した。
アンティオコスは騎兵をさらに投入して騎兵同士の戦いを挑むが、これもエウメネスの奮戦でローマ軍が数の劣勢を跳ね返して善戦する。かくなる上はと投入されたインド象に、ついにローマ騎兵が消耗して後退すると、代わってローマは右翼の歩兵を投入する。これに対してアンティオコスもその正面の歩兵で応戦する。かくてローマの右翼とアンティオコスの左翼は大消耗戦を展開することとなった。
エウメネス騎兵の奮戦:9ターン目
この方面の決着がほぼ付いてしまい、アンティオコスの騎兵と象の一部のみが健在で残ると、ここでついにローマはレギオン第1列のウェリテスにより前面の敵弓兵や象を飛道具で追い散らしに掛かる。これに対してアンティオコスは重騎兵を投入して応戦。ローマ側はついに本体のハスターティとプリンキペスを大挙前進させる。
大軍勢に見えるローマレギオンだが、その密集度は低く、アンティオコスの健在な主力のファランクス重歩兵との正面衝突では残念ながら成果を上げることができなかった。
かくてアンティオコス陣営はローマ右翼を撃破したポイントに加え、ローマレギオンの前部を跳ね返して勝勢となった。

ここまで実に40ターンほどのプレイとなり、プレイ時間は5時間ほどであった。SGBOHでは、このシナリオのプレイタイム目安は2.5時間とされているので、2倍掛かったことになる。
ラピアではスムーズに進んだプレイが、今回は非常に時間が掛かった。最大の理由は、「考えさせられる」状況だからであろう。ラピアでは、両軍は共に横長に布陣しており、古代戦の常として配置を柔軟に転換したりはできない。このため、それぞれがそれぞれの前面の敵と戦うよりない。このため、悪く言えば「誰がプレイしても余り変わらない展開」になりそうである。
これに対してマグネシアでは、どの部隊からどう展開して仕掛けるかの選択肢があり、それによって展開も変化しそうである。しかも、どれが最善か初見では良くわからない。いろいろなことを考えながら進めることになり非常に時間が掛かってしまった。
ローマレギオンの突撃:39ターン目
また筆者はローマ軍を担当したのだが、戦術的なミスをしたと考えている。ローマ軍のレギオンの特徴はマニプルスであり、その利点は規模の大きさにも関わらずフレキシブルかつスピーディーに機動出来ることである。この利点を生かし、全体として動きの鈍重なアンティオコス軍に対して優位を得るには最初からレギオンを動かして敵の比較的弱いところに突入させてしまうのが良かったのではないかと考えている。
これを怠って、数的に劣勢な右翼の決着を付けてから、敵の最強の正面にまともにレギオンをぶつける展開としてしまったため、非常に悪い結果を招いたのではないか? また、レギオンが最初から動いていれば、プレイの延べターン数はもっと少ない内に帰趨が定まったと考えられる。その場合には、SGBOHのガイドブックに記されているような2.5時間というのもあながち的はずれな数字ではないのかも知れない。

いずれにせよ鍵はローマのマニプルスレギオンをどう運用するかであったのではないだろうか。ローマのマニプルスについては、第4章「Ancient Rome」第2節「The Manipular Phalanx」に詳しい。これについては、またの機会に。

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