2000.10.20  Aiの日記より

生きていて、良かった! 
生きていてくれて、ありがとう!!

思い出の品が呼んだ半世紀ぶりの友との再会



         


今からもう2年も前の、2000.10.20のことになる。

その朝もまた私はいつものようにあわただしい1日を迎えようとしていた。
そんな朝に、テレビで感動的な一面を見た。
九州に住む70代の女性のお話。
 本放送は8月にあった。あの、戦争の話題で持ちきりだった頃。その時は何気なく見ていたような気がしたが、当時のことをゆっくりと、淡々とお話されているその女性の姿がとても印象に残っていた為に、良く覚えていた。
その方が今日もテレビに映っている。どうしたのかな?と思い、ひきつけられるように見ていた。
 本放送の時の話が繰り返される。
 その方をAさんとしましょう。Aさんはどうしても果たしたい事があった。戦中の混乱で消息の分からなくなってしまった友人を自分が生きている間に捜し、再会すること。
戦中のことである。彼女は当時17〜18歳だったと思う。今でいえば、青春真っ盛り。一番楽しく輝いている年頃でしょう。
 しかし、時代が時代ですもの、このくらいの年の女性は工員として朝から晩まで劣悪な環境の下での労働を強いられていた。戦地で戦う男性にかわり、鉄工所のようなところで、女性も日夜“お国のため”に働いていたのだ。
 たった一枚のぼろぼろになってしまった古い写真を見せてくれながら、当時を振り返るAさん。遠い目で語リはじめる。
 当時鉄工所?のような所で働いていたAさんは、同じ年頃のBさん、Cさんととても仲良くなった。戦火が激しくなり、皆生活が苦しくなり、思うように物も手に入らない。物がほとんどない時代、そう次々と新しい着物を買うわけでもなく、年頃の娘さんたちも例外なく同じ着物を自分で繕いながら大事に着ていたような状況。そんな中でも、せめて身だしなみはきちんとしたいと工場の傍らで人目を気にしながらAさんら3人は工場の廃材で自分のゴム通しを作った。
3人みんな同じ物を持っていて、「友情の証」なのだそうだ。

Aさんは取材スタッフに宝物として大事に持っていたゴム通しを見せた。とてもよくできていた。 悲しく苦しい時代、友人との数々の思い出のつまった品。
その後も戦争は激しさを増し、疎開をしたりと皆バラバラになり、消息がわからない。半世紀以上経ってしまった今となっては益々分からない。Aさんは、Bさん、Cさんを捜していた。でも、この放送で見つかるとは、Aさんもスタッフ側もあまり期待はしていなかったという。私も、初めは正直無理だろうと思っていました。しかし、TVの力とはすごいものだとまた改めて感じた。
 
 なんと、その、8月の放送をBさん本人が見ていたのだった。そしてTV局に連絡があり、55年ぶりに戦時の混乱期の苦楽を共にしてきた、友との再会を果たしたのだ!
 念願の再会を果たした2人。Bさんもあの時の思い出の品を大事に持っていた。半世紀振りの再会は、とても感動的だった。
 「生きていて良かったね、生きていてくれて、そして、捜してくれてありがとうね」この言葉が今でも強く印象に残っています。この時代に生きた人だからこそ、の言葉だと思います。

暗く貧しい時代の辛い思い出を洗い流すかのような大粒の涙を流し、再会を喜び抱き合う2人。
2人は今度はCさんを捜している。生きていて、3人そろって笑顔の再会のシーンをAさんも、Bさんも頭で描いていたのではないか。そして、ひそかに私も、Cさんも生きていること、そして、3人そろって再会できる日を願っている。

2002.8一部加筆、修正

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