このページは、古代戦ゲームの面白さに目覚めた筆者が、資料とゲームで学習したことをまとめたものです。
筆者は古代戦はもちろん軍事技術についても門外漢ですので、頓珍漢なところなどありましたら、心優しくご指摘いただけるとありがたいです。


Granicus River BC334

by Simple GBOH


with History of the art of War


ハンス・デルブリュック「History of the art of War」の英語版(Bison book 1990)の第1巻、第3章「The Macedonians」となっている。

第1節「The Macedonian Military System」から筆者が理解したところでは、マケドニアの軍隊は以下のように記述されている。

「マケドニアは良く組織された農業社会として特徴付けられ、その軍事システムは、貴族戦士のホプリテスと平民のペルタストから成る。軍隊の組織化を進めたのは、フィリッポス2世である。
マケドニア騎兵は、それまでの騎兵より大幅に組織化が進んだことが特徴であった。それまでの騎兵は単なる馬に乗った兵であったが、マケドニアはこれを部隊として統制してまとめて運用し、本当の意味での騎兵を作り出した。

一方、
マケドニア歩兵はギリシャ風のファランクスだが、より緊密な隊形を持ち、前列は普通の長さの槍を持っていたが、その後ろの列は長めの槍を持つように工夫してあった。この結果として、後列の槍も同時に敵に届くわけである。こうした密集隊形は、改良と言うよりギリシャの歩兵よりマケドニアの歩兵が低練度であることを解消するための工夫であった。この工夫は、この時点では大きな効果をもたらしてはいない。後に密集度が重要となってくるわけであるが、我々はギリシャ人たちの記述により幸いにしてこうした密集化がマケドニアで始まったことを知ることができたのである。そうでなければ、マケドニアのファランクスはギリシャのものと大差ないものとして扱われていたであろう。エリート歩兵であるヒパスピスツは、ホプリテスよりいくらか軽装備で、ファランクスと騎兵の間を繋ぐ役割を果たしていた。

マケドニアの進歩は、騎兵を敵騎兵の撃破だけではなく歩兵側面を衝くことで戦場の決定戦力として運用したことだった。マケドニア騎兵がギリシャファランクスから主役を奪ったことを強調するあまり、マケドニアファランクスは騎兵がことを成し遂げるまで戦線を支えるだけの壁であったとの説もあるが、アレクサンドロスの戦いを詳細に見ると歩兵も積極的な役割を果たしている。エパミノンダスが側面攻撃を編み出したとき左側面からの攻撃としたが、フィリッポスはこれに拘らず状況に応じて左右どちらからも実施した。

マケドニアのもう一つの成果は包囲戦で、フィリッポスはPerinthusと、Byzantiumで包囲戦を成し遂げている。もしアレクサンドロスがHalicarnassus、Tyre、Gazaを征服することができなかったとしたら、彼の戦略は柔軟性を失っていたであろう。」

第2節「Alexander and Persia: The Battle on the Granicus」から筆者が理解したところでは、この戦いは以下のように記述されている。

「アレクサンドロスの遠征軍の規模として、歩兵32000、騎兵5100程度ではなかったかと推論される。これは、クセルクセスのギリシャ侵攻軍の倍ほどである。
相手方のペルシャ軍の規模については推定は難しいが、これまで思われてきたより規模は小さかったのではないか。国の大きさと軍隊の規模は直結しないし、ペルシャは小戦力の進入に対して意外に混乱している。小キュロスの13000の兵力や、スパルタアゲシラウスの進入などである。ペルシャ軍は、職業軍人型の少数精鋭の軍組織であり、これをギリシャ傭兵などで補っていたと思われる。

ギリシャ傭兵が参加していたことで、おそらく両軍の兵科構成は良く似ていたと考えられる。戦いの前提で重要なポイントとしては、アレクサンドロスの父がギリシャをマケドニア主導でまとめ、後方の憂いを絶っていたことが上げられる。

Granicusでのペルシャ軍の戦力の推定は難しいが、歩兵でマケドニア優位、おそらくは騎兵戦力でもマケドニア優位だったのではないか。
ペルシャは騎兵戦に向く開けた地形ではなく、守りのためにGranicus川の後ろに布陣している。おそらくここで戦うことは考えておらず、マケドニアが渡河攻撃を避けて迂回することを期待していたのであろう。

しかし、アレクサンドロスは戦うことを決断し、自ら率いていた右翼のヘタイロイで突入して開戦した。おそらくこの部隊はヒパスピスツに支援されていたであろう。ペルシャが河川防御に展開していたのは軽騎兵であり、防御戦には不向きな兵科だった。おそらくペルシャが敗走するのにそれほど時間は掛からなかったろう。

ペルシャ軍中央のギリシャファランクスは、騎兵の側面攻撃とマケドニアファランクスの正面攻撃を同時に受けて壊滅した。伝えられるマケドニアの損害が小さいことから、おそらくギリシャ歩兵のほとんどは抵抗せずに降伏したのであろう。」



上記を踏まえた上で、GMT社の「Simple GBOH」システムを用い、「Great Battles of Alexander the Great」の中の「Granicus」シナリオをプレイした。

両軍の配置は右の図の通りである。ペルシャは河川を騎兵で守っている。アレクサンドロスがまず弓兵で対岸から矢を射かけ、これに対してメムノンが軽騎兵で弓兵に対して渡河攻撃に出た。SGBOHシステムでは、フォーメーションごとにプレイヤーターンを実行し、ここぞというときには相手のターンを乗っ取ることができるシステムになっている。メムノンはここでターン乗っ取りを試みて失敗し、渡河した軽騎兵は逆にアレクサンドロスの重騎兵の攻撃を受け敗走した。
マケドニア重歩兵の反撃
メムノンはマケドニア弓兵と重歩兵の間隙に軽騎兵を新たに投入してアレクサンドロスの重騎兵を孤立させようとしたが、ここでもターン乗っ取りに失敗し重歩兵の反撃を受けてしまった。

マケドニアは重歩兵による反撃と同時に、中央のファランクスを前進渡河させた。渡河攻撃は損害をもたらしたがファランクスにはそれを持ちこたえるだけの強靱さを持っていた。ペルシャ側はスキタイ軽騎兵でファランクスの左側面を攻撃して一定の成果を上げるが、これによりファランクスが崩壊するよりも前にファランクス前面のペルシャ騎兵が崩壊して渡河を許してしまった。
ファランクスの渡河成功
この段階でペルシャは軍の撤退ポイントに到達してしまいマケドニア軍は史実に近い形で勝利を収めた。

ゲームのプレイを通じて、資料の記述が非常に良く再現された。軽騎兵が防衛戦力として不適当であること。戦端を開くのにマケドニア右翼の重騎兵が適当であること。だが、局面を決するにはファランクスの積極的な前進も同時に必要であることなどである。

資料の記述とゲームシステムとが実体験として良く合致しており、SGBOHシステムがシミュレーションとして妥当であるという印象を得た。また、ゲームとしてもスピーディーでプレイアブルで楽しめた(旧版とも言うべきGBOHシステムは、これと比較して煩雑であった)。

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