ポールの想い、僕の想い

2017/06/17


 我が人生通算6回目のポール・マッカートニー来日公演。東京最終日に参戦なのである。

 ちょっと前日談を。コンサートチケットは発売とほぼ同時に購入していたのだが、うっかり同じ時期に嫁方の実家に帰省する予定を組んでしまい、完全にダブルブッキングになっちゃったのだ。これが発覚したときの家庭内の不穏な空気ったらもう・・・(汗)。そりゃ怒るよねぇ。ゴメンナサイ。かなり危機的な状況だったが、嫁が機転を利かしてくれてスケジュールを再調整、なんとか予定を組むことができたのであった。ああ、ありがたや。

 で、公演当日。余裕を持って会場1時間前に到着。Venus & Marsよろしく、開演を待っている際に、隣の席の初老のご夫婦と軽く談笑。紙パックのウーロン茶なんかを貰っちゃったりして、見ず知らずのファン同士の交流、良いモンである。

 開演予定時刻から30分を過ぎた頃、前方スクリーンにヘフナーベースがが大写しになり場内暗転、ステージ下手から颯爽とポール御大が登場。

 満員御礼、東京ドーム6万人の全ての視線と意識が、御歳74歳の伝説のミュージシャンに集中する。オープニングはA Hard Day's Night、イントロのギターコード一発で場内のボルテージが一気に高まる。

 観客の一人ひとりに、この楽曲と共に生きてきた時間と想いがあって、それらが何十年の時を越えて、こうして同じ時空を共有している奇跡。「音楽は世代も国境も越える」なんて言うとちょっと恥ずかしいが、この圧倒的な状況を目の前に突きつけられると、ポール・マッカートニーが放たれる全肯定的なオーラと相まって、やはり感動してしまうのだ。涙がほろり。

 しかし、ひとしきり感動の渦に慣れてくると、否定しきれない現実が徐々に見えてくるのも、これまた事実である。

 やはり声の衰えは隠せない。いや、隠す云々の段階は当に超えている。曲によっては明らかに「下手」、もっと言えば「無残」ですらある。

 Maybe I'm Amazedのような高音シャウト系は以前から酷い感じ(なのに今回も選曲してるのはポールの思い入れ?)だったが、今回はいよいよ Live and Let Die の出だしがもうダメなのである。ちょっと厳しい、なんてモンじゃなかった。まるで歌えてないのだ。個人的にはココがかなりショックだった。

 よくよく今回のセットリストを眺めてみるとなるほどそれなりに慎重・周到に選曲されている感じを読み取れる。

 オープニングのA Hard Day's Night。かなりジョン色が強い曲であり、ポールが歌うのには違和感があるが、曲の知名度、作曲への貢献度、比較的に高音が少ない、他にオープニングに相応しい曲が無い(ネタ切れ)などを考えるとなんとも絶妙なバランスではある。

 2曲目のJunior's Farm。知名度はいまいち(ウイングスファンには人気)だが、ノリが良く、且つ高音部も少ないので、演奏するのには望ましい。個人的にこの選曲は嬉しかった。

 6曲目のTemporary Secretary。「渋い」とか「隠れた名曲」ですらないドマイナーな曲である。この曲が選ばれている理由に「高音が少ない」以外が思いつかない。

 中盤で披露されたI Wanna Be Your Man。一応、レノン&マッカートニー作だが、ビートルズではリンゴが歌ってた曲である。なぜポールのコンサートで演奏するのか?「高音が少ない」且つ「これまであまり演奏されていない(レア)曲」だからだ。

 Being For The Benefit Of Mr.Kite!。もはや完全にジョンの曲であり、ポールは作曲にも歌唱にも介在していない。にも関わらず、ここ数年では必ず演奏されるようになっている、コンサートの演出的に取り込みやすい(レーザー光線とか)と言うのもあるが、やはり「高音が少ない」は大きな理由だと思う。ポールの作曲ではない、ポール歌唱でもないビートル楽曲がセットリストに加わり始めたのは、この曲がきっかけだったと思う。

 どのツアーでもしつこく Let Me Roll It を選んできているのは、ポールがこの曲を気に入ってるというのも大きいが、それと同じぐらい「高音が少ない」というのもあるのだろう。ステージ栄えしつつ、それなりにハードで、且つ高音が少ない曲。

 ポールも馬鹿じゃないので、この明らかな衰えぶりは当然自覚しているのだろう。それが証拠にツアーのライブ盤は2009年以降リリースしていない。今回のコンサートは、ポールの背後に聳え立つ恐ろしく巨大な伝説の後光によって、まったく歌えていない一人の老人をそれでもまだ余裕で取り繕えている、という状況が凄いのだ。もはやコンサートなどではなく、ご本尊を拝んでいるというか・・・それはそれで凄まじい体験なのだが、やはりちょっと悲しい。

 もう良いんじゃないだろうか?

 コンサートを楽しみつつも、自然とこんな言葉が頭を過ぎる。まだまだ気力はありそうなので、音楽活動は続けてほしいのだが、こういう大規模ヒットパレードなツアーは、もう良いんじゃないかと思う。

 コンサートの演奏や演出、その体験自体は十分に楽しめるものだっが、やはり声の出ない、歌えない曲を無理して歌っているポールの姿は見たくない。そのサービス精神こそがポール・マッカートニーそのものじゃないか!というのは分かるのだが・・・

 ポールの初来日は1990年・・・当時、僕は20歳でポールは48歳。そして今回、僕は46歳でポールは74歳。僕はあの頃のポールの年齢に近付き、ポールはすっかり後期高齢者なのだ。

 前回のツアーは終わりの始まりだと思ったが、今回はいよいよ終わりの終わりが間違いなく近付いて来ている。そろそろ美しい引き際を考えても良いんじゃないだろうか? 残念だが。



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Y.YAMANAKA(yamanaka@os.rim.or.jp)