ポリース観戦記

2008/02/14


 ポリースの再結成ツアーを観戦した@東京ドーム。昔、某音楽評論家がより発音に近い表記として頑なにポリスを「ポリース」と記述していた事を思い出す。同じようにツェッペリンは「ゼッペリン」、ロキシーミュジックは「ロクシーミュージック」であった。サークルの先輩が「じゃあクラフトワークはクラフトベルクか?」と指摘して爆笑したっけか。

 で、ポリースである。生ポリース(笑)なのである。まさか死ぬまでにライブを体験できるとは思ってなかった。80年代を疾風の如く駆け抜け、歴史の残る傑作アルバムを世に送り出し、人気が最高潮に達した瞬間を見計らったように、絶頂期にあっさりと解散してしまったのだ。後にも先にもこんなバンドは無かったし、音楽的にもイコンとしても80年代を代表する最重要バンドだと今でも思う。

 当時、僕は中学生になったばかりで、最後のアルバム「シンクロニシティ」がチャートを賑わせていた頃である。マイケル旋風の陰で「見つめていたい」がグラミー最優秀レコード賞に選ばれたり、給食の時間に校内放送で流したり(英語で曲紹介したっけ)、個人的にもいろいろと思い出深いバンドでもある。とにかく、80年代的なカッコ良いロック・バンドの象徴だったなあと。

 後追いでそれ以前の作品群にも触れ、あぁもう数年早く出会っていればなぁと微妙な世代のズレを悲しんだもんである。ポリスがグイグイと成り上がっていく高揚感みたいなものを文献などで知るにつれ、そのスピード感をリアルタイムで体験したかったなあと。つくづく残念である。

 ま、そんな事言っても小学生の頃に「ゼニヤッタモンダッタ」がどうのこうの、なんて話に興味がある訳もなく、ポリスの現役時代にギリギリ間に合っただけでもラッキーだったと思わなくちゃイカんのだろう。ポリスの現役時代を知ってる世代。う〜ん、悪くないかも。

 そして、ずっと後になって発表された絶頂期のライブ盤では、その暴力的ですらあるドライブ感をそこら中にまき散らすような、80年代ロックのカタルシスを凝縮したような壮絶な音源に接して、実現し得ない架空のライブ体験を頭の中で描き想像する日々であった。知れば知るほど、絶頂期のポリスの凄さに驚嘆してしまうのである。

 バンド解散の理由が「不仲」だったことが、再結成の可能性が絶望的であるという結論をずっと示唆し続けていた。かつての大物バンドが次々と再結成する中、それでもポリスだけは有り得ないだろうと妄信的に思い込むのに十分な説得力が、ポリスというバンドのスタイルにはあった。もっと言えば、その解散の仕方があまりにカッコ良かったので、今さらどの面下げて再結成するんだ?という思いというか願いに近いものがあったのかも知れない。ピンクフロイドと同じぐらい再結成は有り得ない、と言えば分かる人には分かってもらえると思う。かく言うフロイドも再結成しんだけど。

 そういう積年の思いを胸に抱いて、これを観ておかないと絶対に後悔するという使命に近いものを感じながら、ポリスの観戦に臨んだ訳である。バンドのデビューは30年前。時は流れて、今や僕も既婚者である。あまり乗り気でない相方(ポリスの事あんまり知らんらしい)を連れ、東京ドーム1階3塁側15列目に乗り込んだ次第である。

 席に付いて、おもむろに周囲を見渡してみる。エイジアの時ほどでは無かったにせよ、やはり観客の年齢層は高い。相方曰く「でも、オタクっぽい人は少なめだよね」。的確な指摘である。開演1時間前に到着した僕らの目に飛び込んできたのは前座バンドの演奏。スティングの息子がボーカル&ベースと努める3ピース・バンド。まんまポリスな編成なんだが、音楽は全然似ていない。頑張り過ぎの日本語MCが微笑ましい。

 前座終了、大音量でボブ・マーリーの曲が流れた後に舞台暗転、いよいよバンドの登場である。80年代で最も重要なバンドと称された、あの伝説のポリスが今目の前に。一曲目は「メッセージ・イン・ア・ボトル」。あのスカしたイントロが東京ドームに鳴り響いただけで、得も言われぬワクワク感が体中に流れ始める。暫くは現実を認識できない状況でボーッとポリスの演奏に耳を傾ける。

 手堅い。手堅すぎる。堅実である。間違えない、外さない、不安が全く感じられない演奏。スティングの声の調子も良好、サマーズの変態ギター、でもどこか整った、用意された感のある落ち着いた変態さ加減。一番元気だったのはスチュのドラム・プレイか。彼がこのクオリティを維持できていたからこそ、今回の再結成ツアーが実現したんだなと思う。要。クリームが再結成ツアーをしない(できない)のとは対称的である。

 それはそうと、とにかく手堅い。その一言に尽きる演奏。80年代のポリスと圧倒的に違うのは、匂うようなヤバさ、危うさが全く感じられない事だ。プロの仕事としては最高部類に入ると思うのだが、これが僕の見たかったポリスか?と言われれば、ちょっと微妙ではある。極上のビーフシチューだけど、食べたかったのはカレーだったはず、でもこのシチューばかうま!みたいな。

 シンクロニシティーはPartのみの演奏。期待していたPart1〜2の爆走メドレーは残念ながら実現しなかった。そしてこの曲の演奏も手堅い。安全なシンクロニシティー2ってどうよ?という気はしないでもない。でも50代のオッサンバンドだからねえ。というような肯定と否定が頭の中で繰り返しグルグルしている。どちらかというと肯定が優勢。

 全体を通して、やはりスティングの高音をできるだけ回避しようという意図が、選曲にもアレンジにも本人の歌い回しにも垣間見えた。まあ、年ですから。20代の頃、それも大暴れしてた頃と同じこと演れってのも酷ではある。もちろん、それを差し引いてもボーカリストとしての実力は未だ健在って感じで惚れぼれしたんだけど。やはりシンガーとして素晴らしいモノがある。

 「アラウンド・ユア・フィンガー」ではスチュが様々なパーカッションを駆使して、例の怪しげな雰囲気を再現させることに成功。若かりし頃の突飛な発想が先行していたこの曲は、20数年の時を超えて50代の男3人が奏でる新たな名曲として昇華していた。もちろんノスタルジーではある。でも、レイドバックだけじゃない。今、この時にこの曲をこの面子で演奏する意味のようなものを、彼らも僕らも広い心で容認してしまうような、そんなポジティブな空気が東京ドームを包み込んで行く。とにかく、3人ポッキリでこのサウンド空間を紡ぎ出している、という事実は驚嘆に値する。それだけで十分な説得力があったと個人的には思う。

 結局、初期から後期まで、目ぼしいヒット曲を総ざらいで、MCらしいMCも殆どなく、アンコールも含めて2時間弱というタイトさ。パッと現われて、バシっと演奏して、パッと帰っちゃう。最初から最後まで3人だけの世界。凄く優秀な箱バンって感じ。変に気取ってないところも、変に媚びてないところも良かった。バンドとしては非常に優れているし、演奏には十分に満足できたんだけど、アンコールに演った、デビューアルバム1曲目「ネクスト・トゥー・ユー」が全然パンクに聴こえないってのが、今回の再結成ツアーのポリスを端的に説明していると思うし、それが全てなのだと思う。これは決して否定的な意味ではない。広義では、これが現在進行形のポリスと言えるのかも知れない。それもあってか、あまり感傷的になることもなく、退屈することもなく、バンドの演奏を余計な付加価値を付けずに、額面通りにバンドが出している音として楽しむことができたのは、結果オーライだったと思う。21世紀のバンドの形として有効なひとつの形であったのは間違いない。



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Y.YAMANAKA(yamanaka@os.rim.or.jp)