北京渡航記2

2007/06/05


 急遽、北京支社へ飛ぶ事になった。行け!という明確な指示もないまま、何となく誰か行かなきゃカッコが付かんだろう誰が行くどうする〜ってな感じで、気が付いたら僕が行く事になってた、といういつもながらの曖昧な決定。おまけに、今回の出張の目的もいまひとつ釈然としていない。支社に依頼する作業の説明とスケジューリングが表面上の目的なのだが、この裏には公言するのも憚れるレベルの低いトリックがあって、どう考えても両立し得ないAとBのミッションを曖昧な感じで調整してこなくちゃならないのだ。僕の頭の中ではHAL9000よろしく内部矛盾が起こっていた。

 とは言うものの、それもこれも仕事なのです、分かってますって、はい。矛盾は脇に置いといて、淡々と出張の準備を進める。3日分の着替え、予備のスーツ、今頃の北京は気温が高いようなのでシャツは半袖と長袖を用意、グルーミング用品、忘れちゃいけない仕事の書類、現金、クレジットカード、パスポート、片道4時間の航路を埋めるためのiPodとPSP、中華料理に拒否反応が出た時のためのスナック菓子、カップラーメン、その他諸々をカバンに詰め込んで・・・って、ここでカバンが無い事に気が付いた。そうそう、スーツケースは一昨年の洪水で流されちゃってたのだ(苦笑)。大慌てで新しいスーツケースを買いに走る。こんなドタバタで大丈夫なのだろうか。

 今回の出張は5月29日から6月2日までの延べ5日間。初日と最終日は移動のみなので賞味3日間である。行きは上司と一緒なので問題無いのだが、帰りはスケジュールの都合で僕一人で帰国して来なくちゃならないのだ!。ちゃんとチェックアウトできるかなぁ、空港まで行けるかなぁ、搭乗手続きできるかなぁ、もし飛行機に乗れなかったら・・・などなど、不安材料は山ほどあった。まあ、ちょっとした冒険ってことで。

 出発当日。成田エクスプレスに乗って少し早めに空港へ到着。JALカウンター前で上司と待ち合わせの予定なのだが、集合時間になっても連絡が来ない。心配になって探しに行くと、カウンターの隅で青い顔で落ち着き無くアタフタしている上司を発見。「チケット忘れたかも・・・」ってアータ(苦笑)。会社に連絡して机上を探してもらったり、カバンの中身をひっくり返してみたり、チケット無くても搭乗できるか聞いてみたり、なかなかの大騒ぎだったのだが、そのオチが「あった、地図に挟まってた!」ではねぇ。苦笑するしかないでしょ。まあ、見付かって良かったけど。

 搭乗手続きを終え、いざ北京へ。機内では新作映画を上映していて、僕は公開中の「ブラッド・ダイアモンド」を選択。話の展開にちょいタルい部分もあるが、それなりに見応えのある作品。途中、夕食を挟んでしっかりと映画に観入っていて、いよいよクライマックス。丘の上にヘリが飛んできて、無事に脱出できるのかっ!ってところで突然の暗転。着陸態勢に入ったので映画はここまで・・・って、そりゃないでしょー(涙)。初っ端から嫌な感じ。

 最後に北京に来たのは10年前なのであった。久しぶりに降り立った北京空港は、曖昧な記憶と比較しても完全に新しくなっていた。どこもかしこもピッカピカで、パッと見はどこの空港か分からないぐらいに近代的(笑)になっていた。広告とか看板などの読めない漢字を目の当たりにして初めて「ああ、ここは中国なんだね」と気が付かされる感じである。これみんな、来年のオリンピックの為なんだろうねえ。スゴイ。

 宿泊先のホテルは空港からタクシーで50分ぐらい。車中から望む夜の街並みは、一目でその劇的な変貌が伺える。バカでっかいハイウェイ、空を突きぬく数多くの高層ビル群、ヤケクソなのか?と思うぐらい全てが新しく、近代的な街並みに変身していた。走っている車も「まとも」な車種ばかりで、10年前はどこの事故車だろうみたいなポンコツばかりだったのに、噂に聞いていた中国の経済成長ってのはやはりスゴイのだなと実感した。しかし、中国の運転マナーは相変わらずで、マナーが悪いと言うか非常に危ないんだな、コレが。そんな無茶な車線変更、有り得ないだろう・・・みたいな(笑)。

 ホテル着。最初の難関、チェックインで早くもトラブル発生。名前を告げてパスポートを渡したら、そっけなく「No Reservation!」と返された。ええええええっ!。いやいや予約されてるはずですしっかり確認してください何とかしてください、みたいな事を懸命に英語で説明すると、フロントのお姉さんはキーボードを少しパチパチして「OK!」と答えてくるなりカードキーをひょいと渡された。詳細は不明だが、どうやら新たに部屋をリザーブしてくれたようだ。ホッ。部屋に入るなりベッドに飛び込み爆睡。「人は移動時間ではなく移動距離に比例して疲労が蓄積される」説に一票。

 翌朝、ホテル最上階のラウンジにて一人で朝食。他のホテルと同じく朝食券のバイキング方式なのだが、やっぱりメニューがどこか中国風なのであった。クロワッサンとかもあるにはあるのだけれど、その一方で小籠包が置いてあったりする。朝から小籠包は無いわな。ふと、異様にウェイトレスさんの人数が多い事に気が付く。そうそう、レストランなどもそうなのだが、中国ではウェイター/ウェイトレスさんの数が妙に多いのだ。日本なら3名ぐらいの所でも必ず10人位はいるのであった。

 訪問先の北京支社はホテルの真正面。歩いて5分。横断歩道を渡ってすぐなのだ。これは助かる。朝になって改めて交差点を眺めてみると、その佇まいは日本のそれと大きく変わるところは無い。大きい通りの殆ど全てが綺麗に改装されているようだ。但し、ちょっと裏道に入れば昔ながらの北京がまだまだ残っている。自転車も日本に比べれば数は多いけど、10年前に見た「坂の向こうから大量の自転車軍団が押し寄せてくる」みたいな感じではなくなっていた。所謂「中流階級」が増えてるのであろう。

 仕事の打ち合わせは、予想していたよりも順調に進めることができた。会議の参加者は、つい最近まで一緒に仕事をしていた中国の方々。顔見知りだし、日本語も達者。作業内容もかなり把握していた。これは嬉しい誤算だった。彼らと話していたら少し元気が出てきた。

 昼食は彼らと共にビル1Fのファミレス(らしき店)へ。内装もメニューもファミレスっぽいんだけど、ビーフカレーのこのビーフは本当にビーフですか?という感じではある(苦笑)。大枠ではかなり近代化が進んでいるのだけれど、枝葉末節のところはまだまだ進化の途中って感じがする。それにしてもビーフカレー、変な味だった。

 上司と一緒だったのは2日目の午前中まで。これ以降は全て僕一人で切り抜けなきゃならない。仕事の面は大丈夫なんだけど、それ以外の日常がおっかなビックリなのである。その日の夕食は一人、ホテルのレストランで。広い店内にお客がポツリポツリ、やっぱりウェイトレスさんは10名以上いる。片言の英語で「お勧めはなんですか?」と聞いて、何か答えてくれたのだが良く分かららず「それでお願いします」と伝えた。そして出てきたのはライスヌードル。あっさり味で美味しかった。それよりも、まともなモノが出て来た事にホッとしてたりもする。

 食事を終えて部屋に戻る。カードキーを挿すと赤ランプが点灯する。何度やっても赤ランプ。う〜む〜。仕方が無くフロントに戻って「このカードで部屋のドアが開かないんですけど」みたいなことを英語(?)で説明すると、昨日のお姉さんがカードを持って裏に引っ込み数十秒、そそくさと戻ってきて「OK、No Problem」と言うなりカードキーをひょいと渡された。ノープロブレムってあーたプロブレムだからここに来てんでしょうが〜、なんて事を英語で言い返せるはずもなく、はぁそうですかとトボトボと部屋へ戻りカードキーを挿してみた。ピンポン!今度は緑ランプ点灯!やったー!。なんてことはない、僕でも結構トラブルに対応できるじゃん!という明らかな勘違いと共に早めに就寝。なにせテレビがNHK(海外向け放送)しか映らないもんで、夜はやることがないんだな。

 3日目の夜。仕事の後に夕食に連れて行ってもらったので、すっかり帰りが遅くなってしまった。部屋に戻ってトイレに行き、シャワーを浴びて一日の疲れを流す。しかし、シャワーと止めても「ジャボジャボジャボ」と水の流音が止まらない。なんじゃらほいと見てみると、トイレから水が溢れて止まらなくなってるではないか。浴室はバスタブとシャワールームとトイレが一部屋になっていて、その床の高さは部屋のカーペットと殆ど地続きなのだ。つまり何が起こるかと言うと、トイレから溢れ出た水はどんどん浴室に溜まっていき、やがて浴室を越えて部屋に侵入してくるのである。「ジャボジャボジャボ」といつまで経っても水は止まらない。そして確実に水位が上がっていく。いよいよ満潮を迎えて水が部屋に侵入してきた時、ああこりゃもうダメだと判断してフロントに電話をした。動転していたのであまり良く覚えていないのだが、たぶん僕は電話口でこんな風に言った。

「トイレット、ウォーター、キャントストップ、プリーズ、ヘルプ、ミー!」

 自分でもどうかと思うが、これで通じるんだから世の中捨てたモンじゃない(笑)。程なくして数名のボーイさんが到着。溢れ出る水と止め、キッチリ掃除して帰っていった。今更ながらなのだが、ホントに僕は水害にめぐり合う運命なんだねえ。水怖い。

 4日目。午後の早い時間に全ての打ち合わせが完了。支社の部長さんの進めで北京市内を見て回る事になった。そしてガイド役として入社一年目の中国の青年がお供してくれるという。最初はちょっと気が引けたのだが、これも日本語の勉強の一環なのだとか。なるほど。当初は日本語と英語を交えながらのコミュニケーションだったのだが、時間が経つに連れて互いのパーソナリティが見えてくるとあとは楽しい時間となった。

 特段に行きたいところは無かったので、比較的に近隣の故宮をリクエストした。10年振りに再訪したそこは以前と変わらぬ雰囲気であったが。残念ながら母屋などは修復工事中であった。これもオリンピックの影響か?。正門(毛沢東の肖像が掲げてあるニュースで良く見るアレ)の上に登る事ができたのは貴重な体験であった。門の眼下に広がる巨大な天安門広場の光景には思わず圧倒されてしまった。

 ガイド役の彼はとてもピュアな性格で、誠心誠意に僕を案内してくれている気持ちがヒシヒシと伝わってきた。いろいろな会話の中で「日本に行ったら富士山を観に行きたい!」とか「松下幸之助は仕事の神様だ!」とか、一風変わった日本観が面白かった。「マイクロソフト製品はバグばかりで腹が立つ!」という主張を聞いて爆笑。この認識は万国共通なんだねえ(笑)。

 夕食は「君がいつも行っている普通のお店」をリクエスト。とても庶民的な街の食堂に連れて行ってもらえた。そして「激辛でなければOK」という僕のお願いを踏まえて、お勧め料理を自由に選んで貰った。まーこれが美味いんだわ!。フォーマルで格調高い中華料理もイイのだけれど、こういう庶民の味と言うのかな、これまでの北京での食事の中でホントにもう抜群に美味しかった。会話も弾んだしね。僕は独身だって言ったら、そんなにビックリしなくてもいーじゃないってぐらいに驚いてたのはなぜ?(笑)。

 最終日。朝一番の便だったので、ホテルを5時に出発しなくちゃならないのであった。最初の難関、ホテルのチェックアウトに向かったのだが、フロントの方々はみんな熟睡されておりました(笑)。精算は無事に終了。ホテル前のタクシーに乗って「空港まで」と告げる。ラッキーな事にこの運転手さんは英語が話せたのであった。早朝、殆ど車も人もいない曇天のハイウェイをひたすら空港へ向かう。朝靄と静寂の中の北京もなかなかオツなもんです。

 空港着。第二の難関、搭乗手続きである。思いの外、割とあっさりとJALカウンターを見つけることができた。搭乗手続きもすんなりと無事に完了。入国手続きもスムーズに通過し、待合いロビーで余裕のスターバックスラテを味わう僕なのであった。ここまで来ればもう安心。来る前はヒヤヒヤドキドキだったけれども、来てしまえば何とかなるものだねえ。幾多のトラブルも乗り越えられたし(苦笑)。

 帰りの機内。映画「ゾディアック」を鑑賞。行きの便での失敗を教訓に2時間ちょいの映画を敢えて選択。これなら大丈夫だろうと高を括っていたのだが、これが甘かった。またもやクライマックスを迎えたところで突然の暗転。やはり着陸態勢に入って映画はここまで・・・そうなのだ、行きは4時間かかるのだけど、帰りは3時間だったのだ。結構、面白い映画だったですよ。最後まで観てないけど(涙)。

 そして無事に成田着。ホッとしたのもつかの間、ここに最後のトラブルが潜んでいたのであった。空港ロビーで1時間後の成田エクスプレスを予約、ちょっと茶でも飲んで一段落しようと思ってたのだが、列車の発車掲示板を見るとどーも様子がおかしい。僕が乗るはずの列車が次発になってるのだ。それもあと1分後。んんん?・・・と数秒考えた後、全ての謎が崩れるように解けたのだ。

 北京は東京では時差が1時間あって、僕の時計は1時間遅らせたままだったのだ。って事は日本時間は時計の示す時刻の一時間後?、って事はこの列車が僕の乗る列車?、ギャー!みたいな(笑)。人はスーツケースを引きずりながらここまで速く走れるのか、という位の猛ダッシュで発車ベルが鳴り響く中、ギリギリのところで車両に飛び乗った。寸でのところで間に合った。ハフー。最後の最後までいろいろあるねえと。でもイイんです、無事に帰って来れたんだから。

 最後に、中国にカップラーメンと持っていくときには割り箸を忘れずに。コーヒースプーンで食べる羽目になりますよ(実話)。



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Y.YAMANAKA(yamanaka@os.rim.or.jp)