「パップラドンカルメ」にみる革命(の芽生え)

2006/07/13


 YouTubeが凄い。何が凄いのか未だに頭の中で整理できていないのだが、これは大変なブレイクスルーになる、YouTube自体がブレイクスルーにはならないかも知れないが、少なくともその出発点として記録されるターニングポイントだと言って良いだろう。

 その根拠を明確に説明するのはちと難しい。僕がYouTubeに感じた思いというのは非常に直感的、感覚的なものだったからだ。最初にYouTubeを知ったときは「利用者が自由に自分の映像コンテンツをアップロードできるSNS」程度にしか感じられず、アップされている動画も、友達との悪ふざけを撮影したものや、録画したテレビ番組をそのままアップしている明らかな「違法コンテンツ」などが幅を利かせていた。第一印象として「ああ、ここも無法地帯なのか」と思ったぐらいで、そもそもネット上の掲示板とかコミュニティーとか、そう言う匿名性が前提になっているシステムに未だに抵抗感を感じる僕は、そこに動画がくっ付いたからと言ってなんなのさ、とさして興味を惹かれなかった。

 閑話休題。「パップラドンカルメ」なるモノをご存知だろうか?。フジテレビ系列で放映されていた「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌なのだが、子供の頃に何度か観たきっり、これまでに一度も観ることができなかった。友人との雑談などで昔に観たテレビ番組の話題が出たときなど、それとなくこの曲の事を聞いてみたりもしたのだが、取り立ててヒットした曲でもないので、知る人は皆無であった。もう25年以上も前の話なので知らなくて当然なのだが、そうやって孤立状態になるにつれ、何とかもう一度この目で観てみたい聴いてみたいという思いは強くなっていった。そう、人知れず25年来の思いなのである。今でもメロディーの一部は覚えていて、ふと思い出したときに口ずさんでいる自分がいたりもする。

 「パップラドンカルメ」は確かこんな歌だった。パップラドンカルメというとても美味しいお菓子があるという噂を聞いた。お菓子屋にもデパートにも売ってない。皆、噂では知っているんだけれど、その実物を見た人は誰もいない。決め台詞は「未確認お菓子物体」(笑)。映像的にはピンク色した大きなカルメ状の物体が都会の上空をポップに飛び跳ねて感じ・・・だったような気がする。

 そして話はYouTubeに戻る。YouTubeは様々なジャンルのユニークな映像コンテンツの宝庫として、一方では違法コンテンツの温床として賛否両論が渦巻く中、その知名度は日々ウナギのぼりの活況を呈していた。日本からアップロードされる映像コンテンも徐々にその数を増やしつつあり、何気なく(実際には少し後ろめたい気持ちで)昔に見たテレビ番組なぞを検索してみたりもしてみた。案の定、違法コンテンツがゴロゴロしている。そして何となくキーワードに「ポンキッキ」指定して検索をしてみた。予想外に沢山のコンテンツが登録されているのに少し驚きつつ、検索結果のリストをボンヤリと眺めてみた。

 そしてビックリした。ひょっこりと「パップラドンカルメ」が登録されていたのだ。「おおおっ!」と驚嘆の声を上げつつ、そのコンテンツを再生してみる。やったーっ!。これぞ間違いなく、25年以上も探しつづけていた幻の「パップラドンカルメ」その曲であった。数分間、驚きと感動に苛まれつつ、固唾を飲んで懐かしの曲に耳を傾けたのであった。

 すっかり聴き終わり、そして思った。これは大変な事が起ころうとしていると。

 この「パップラドンカルメ」の映像は間違いなく違法にアップロードされたコンテンツである。フジテレビはもちろんのこと作詞作曲者への了解など全く取り付けてないことは明白であり、疑う余地も無く真っ黒な著作権侵害そのものである。YouTubeにはこれ以外にも違法コンテンツは日々、大量にアップされており、当たり前のように、コンテンツホルダーによるYouTubeへの削除依頼も日々、出されていると聞く。現に削除されているコンテンツもかなりの数あるようだ。がしかし、冷静に考えてみると、何をどう頑張っても頑張っても違法コンテンツの削除が追いつくはずは無いのだ。仮に削除されたとしても、また違う誰かがアップすれば元の木阿弥である。おまけに一旦世に出たコンテンツは簡単にコピーされ、それこそ世界中に散らばっていく。もはや誰もそれら全てを封印することはできない。削除依頼など全く無意味と言っても良いだろう。これは何を意味するのか?。

 「パップラドンカルメ」を例にするならば、たぶんこの曲を非常に強い思いで観たい聞きたいと思っている潜在的なニーズは非常に少ないだろう。そもそもこの曲を知ってる人がとても少ないんだから。コンテンツホルダーはそういう僅かばかりのニーズに対してどうするか?。答えはもちろん「儲からないことはしない」のである。DVD化はもちろんのこと、正規にオンラインで配信することすらしないだろう。だって採算が合わないから。商品価値が無いと判断されたコンテンツは問答無用で死蔵されてゆくのである。こういう「死蔵コンテンツ」は映像だけでなく音楽や書籍などにもほぼ同じ事が言えるのであって、この如何ともしがたい状況は僕の中でずーっと長い間モヤモヤした感情を抱かせ続けている。

 そこに突如として現れたのがYouTubeである。「無理を通せば道理が引っ込む」的に、僕が感じでいたモヤモヤを確信犯的に強行突破しているのである。現状の法律の範囲内では違法と判断されるケースを、少し乱暴なやり方で一気にブレイクスルーし、結果的に世界を変えてしまう、変えさせてしまう可能性を秘めている、と思ったのだ。「コンテンツホルダー側への緩やかな脅迫」とでも言えば良いだろうか?

 たぶん、コンテンツホルダー側が一番頭に来るのは「うちの資産を勝手に流通させやがって、そのコンテンツによって得られるはずだった儲けが脅かされちゃってるじゃないか。この泥棒野郎!」という部分なんだと思う。もちろん、公式にはそんな乱暴な言い方はしないで「クリエイターの権利保護」という美辞麗句を必ず持ち出してくるのだが。

 個人が録画しておいた昔のTV番組などをYouTubeにアップロードすることは間違いなく違法行為である。しかし、現実問題としてその違法行為を取り締まる事は不可能に近いだろう。そして、僕個人は何をどうやっても「パップラドンカルメ」を正規の方法で観る事ができない。ビデオ化/DVD化されていない。フジテレビの映像アーカイブにアクセスする権利も持っていない。知り合いの中で当時の番組を録画していたという奇特な知り合いもいない。

 さて、どうしても観たい映像コンテンツに違法行為でしかアクセスできず、そしてその違法行為に対する罰則なりが事実上、適用されない状況である場合、我々はどうすれば良いのだろう。僕自身も明確な答えを出せずにいる。

 しかし、ひとつだけハッキリしていることがある。もう一生、観ることはできないだろうと思っていた映像コンテンツにYouTubeを介する事であっさりと巡り合えた、という紛れも無い事実である。この「そんなニッチなニーズに答えるのは永久に無理」と言われていたような事が「拍子抜けする程、簡単にクリアできちゃった」という猛烈なギャップの中に、何か非常に重要なポイントが隠されているような気がするのだ。世の中のニーズの細分化が叫ばれて久しいが、いよいよ究極的に個人ベースにまで細分化されるべきなんだと思う。そのヒントをYouTubeは示していると思うのだ。それも「無理を通せば道理が引っ込む」的にである。

 嬉しいことに「無理を通せば道理が引っ込む」的なパラダイムシフトには前例がある。MP3だ。音楽コンテンツの違法ダウンロードが拡大して行くと、コンテンツホルダーは違法サーバの検挙やCCCDなど、現状維持を前提とした様々な対策を行ってはみたが、穴にフタする的な対処ではいよいよフォローできなくなった。そして、最終的に選択した解決策は、公式な形で音楽コンテンツのダウンロード・サービスを開始することであった。これについてはiTunes Music Storeの盛況を例に出すまでも無いだろう。YouTubeの登場は、これ以上のパラダイムシフトの始まりを告げる象徴的な出来事になると思う。

 最後に、「パップラドンカルメ」を例にして、コンテンツホルダーがこれからなすべき事を思いついたままに並べてみる。別段、珍しいことを言っている訳では無く、誰しもが「こうだったら良いなあ」と思い描く標準的な理想の姿だと思うのだが。

1. 「パップラドンカルメ」を正規のオンライン・コンテンツとして販売する。

 まずはこれ。とにかく公式に流通させないと何も始まらない。独自のシステム構築なんつー誰の得にもならないことはやめて、既存のオンライン販売システムを利用すべし。iTunes Music Storeなんかお誂え向きなんじゃないでしょうか。これなら今すぐにでも始められる。

 「ひらけ!ポンキッキ」の挿入歌を一挙公開!これだけで超目玉コンテンツの誕生である。間違って子供に受けちゃったりしたら、CD化で更に大ヒットするかも。この確立は結構、高いような気がする。なにせポンキッキの挿入歌はそもそも楽曲のクオリティーが異様に高いので。

2. YouTubeよりもクオリティーの高い映像を提供する

 コンテンツホルダー側が違法コンテンツに対抗できる最大の武器は、そのコンテンツのマスタデータを持ってる事だ(当たり前だけど)。これを最大限に利用しないでどうしますか?。最高の技術でリマスタリングして公開してちょーだい。まさか、オリジナルマスターを無くしちゃってる、なんつー事はないでしょうね?

3. 適正な価格設定をする

 この匙加減が大事。そのコンテンツを欲しいと思っている人が、このぐらいなら払ってもイイかなぁ、という絶妙な価格設定をすること。「パップラドンカルメ」ならクライアントへのダウンロードありで数百円が限界だと思います。売り方も工夫すべし。他の楽曲とも合わせて10曲まとめて「選び放題ポンキッキ・パック」で更にお買い得に!、なんつーこともデジタルなら簡単にできるしね。ボリューム・ディスカウントが組みやすいってのは、これまた大きなメリットひとつ。

4. 適正なセキュリティ規約を儲ける

 ユーザに「購入した」って意識を持たせるような仕組みじゃないとダメです。再生するたびに認証が必要とか、バックアップが取れないなんて持っての外。テレビをビデオテープに録画する、ぐらいの手軽さは最低限必要。価格さえ適正であれば、違法行為なんて誰もしないんだからさ。「パップラドンカルメ」のためにわざわざ頑張ってコピーガードを外す輩なんてそうはいませんよ。

 面白いことに、メディアの多チャンネル化が進むにつれて、声高に言われているのが「コンテンツ不足」なのである。僕から言わせれば「あるじゃないのよ、こんなにも沢山のコンテンツが!」って事になる。星の数数ほどある膨大な死蔵コンテンツを儲けの出せるシステムに組み込むことさえできれば、殆どの問題は解決するんじゃないだろうか。そしてそれはそんなに難しいことじゃないと思うのだがどうだろうか?。



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Y.YAMANAKA(yamanaka@os.rim.or.jp)