音楽配信サービスのマントラ

2003/05/31


 AppleのiTunes Music Storeはまだ半人前。賞賛の評が殆どのAppleの新サービスだが、その風潮に意義を唱える評が発表されている。

現在音楽業界では、リリースされる全楽曲のわずか2%が、全売上の80%を占めている。オンライン配信には、このバランスを修正し、何百もの無名アーティストを出世させ、業界のスターを生み出すメカニズムに飽きて関心を失った多数の人々を、新たなファンにさせる可能性があるのだ。

 オンライン配信の効用について、マントラのように唱えられる「全ての音楽にチャンスを」的な発想である。確かに、現在の音楽業界における「一掴みのミリオンセラーとそれ以外全てが惨敗」という状況は必ずしも健全とは言えないだろう。長いスパンで見れば、音楽の提供者、供給者、消費者にとって悪循環であることは間違いない。膨大な数の音楽が発表されているにも関わらず、店頭に並んでいる音楽がレコード会社お勧めの作品ばかり。本当に自分の聴きたい音楽は他にあるんじゃないか?、買い手にとっての選択の自由が侵されているんじゃないか?、という疑念から逆説的に生まれた発想が、このマントラなのであろう。

 「全ての音楽にチャンスを」。確かに響きの良い言葉ではあるし、多くの人々が半ば妄信的に「善である」と信じている発想だが、実は僕はこの説をあまり信用していない。もちろん、名も知らぬ一介のアーチストがネット上に優れた作品を公開し、世界中の人々がその作品に自由にアクセスできるという状況は、全く人目に触れることなく葬り去られていく多くの作品が存在する現在の状況に比べれば「チャンス」という点では意味があるかも知れない。

 しかし、その「チャンス」ってのは果たしてどれ程のモノなのだろうか?。例の魅惑的なマントラを聞かされる度に、ずーっと僕の頭の中で引っかかっている疑念である。例えば、本当に質の高い作品がひっそりとネット上に公開されたとして、それを求めている聴き手に辿り着く可能性はどのぐらいあるのだろうか?。たぶん殆ど無いだろう。限りなく0%だ。音楽にとっての「チャンス」には違いないのだろうけれど、可能性の殆ど無い「可能性」に何を期待すれば良いのだろう?。

 すっかり前置きが長くなってしまった。このコラムの筆者はAmazon.comを比較対象として取り上げ、Appleのサービスには不備があることを指摘している。

Amazon.comは、おすすめ商品やカスタマーレビューを導入して、書籍販売のかたちを徹底的に作り変えた。これを考えると、Appleやレコード会社が誰の目にも明らかな革新をやり残していることが分かるだろう。

 マントラへの信仰はさて置いて、この辺りからの主張が僕には全く理解できない。Amazon.comにおける、こちらの嗜好を勝手に(そして短絡的に)判断して商品を押し売りされる「おすすめ」や、どこかの誰が書いたかも分からず、信憑性も定かじゃない「カスタマーレビュー」を、この筆者は本気で「革新」だなんて思っているのだろうか?。前述の「チャンス」の枠を少しでも広げるための施策、という意味にも取れなくも無いが、こんなものは小手先のまやかしでしかなく無く、基準が曖昧な評価値など実際には何の役にも立たない。例えて言うならネット・オークションの「取り引き相手の評価」制度とか、「これは再生紙です」とわざわざ印刷されている再生紙みたいな、株主総会で発表する議題が無くて、それでも株主に何とか良い材料を提供しようと何とか捻り出したどーでも良い施策、みたいな胡散臭さを感じるのだ。少なくとも、利用者のメリットを最優先に考慮した「革新」的なサービスであるとはとても思えない。僕は、こんな中途半端な見かけ上の便利さのために無駄なパケットを使うぐらいなら、無い方がマシだと思っている。

このアイディアは非常に魅力的なので、シリコンバレーのベンチャーキャピタルがフル装備の新オンライン音楽販売サービス事業計画を募集しているとさえ噂されている。

 すっかり使い古されたアイデアであるにも関わらず、これを「非常に魅力的」と言い切る姿勢も凄いのだが、危惧するのは中途半端な見かけ上の便利さの「フル装備」故に使いにくい販売サービスになってしまうことだ。ユーザが求めているのは情報の「量」では無くて、情報の「扱いやすさ」「取り出しやすさ」なんじゃないだろうか?。

 僕が個人的にAmazonで便利だと思うのは1 Clickで購入処理が行えるところだ。購入するための敷居が低いってことは、そのまま購入者のメリットに直結する。言うまでも無いが、これは情報の「扱いやすさ」「取り出しやすさ」である。レジは近くにあった方が良いってことだ。この機能はAmazonの特許であり(これを特許化するのはどうなの?ってのはあるにせよ)、AppleはAmazonからライセンスを受けている。当然、iTunes Music Storeでも採用されている。

 逆にAmazonの問題点は、検索結果に何でもかんでもリスティングされてしまうことだ。例えば"The Beatles"で検索してみると、オリジナル・アルバム、リマスター盤、輸入盤に加え、ベスト盤や編集盤、カバー曲が収録されているアルバムなど、ちょっとでも情報に"The Beatles"が含まれている物は全てリスティングされてしまうのだ。使いにくいことこの上ない。こんな当たり前な操作ですら、この有様なのである。情報が多いことが親切なのでは無く、如何に情報を切り捨てられるか、が大事なのが良く分かる。繰り返しになるが、無駄なパケットを使うぐらいなら、こんなサービスは無い方が良いのだ。

 この筆者の迷走は更に続く。今度はRhapsodyの販売サービスを持ち出して比較している。

Rhapsodyの音楽リストは膨大で、音楽の百科事典を開いているかのようだ。ほぼどんなアーティストの楽曲でも、すぐに試聴できる。それも、iTunesのような30秒間の試聴ではなく、1曲丸ごとが数週間に渡って利用可能だ。1ドル払えば、曲をCDに記録できるし、いったんCDに記録した曲をパソコンにコピーすれば、所有権の問題も解決される。

 「1曲丸ごとが数週間に渡って利用可能」ってのはコピーできないレンタルCDのようであり、コピーするためには更に「1ドル払え」なのである。これのどこが便利なのか僕にはさっぱり分からない。更に深読みをすれば、巷に反乱している「音楽の使い捨て」を奨励するようなシステムとも言えなくもない。

 例え「所有権の問題も解決される」のであっても「いったんCDに記録した曲をパソコンにコピーする」なんて七面倒なことをさせるサービスを僕は使いたいとは思わない。何のためのオンライン配信なの?である。iTunesの魅力は、著作権を管理する機能を実装しつつ、殆どの利用者がその存在を感じることなく利用できる点にある。目に見えない、存在を感じさせないと言うことがサービスになりうる、という視点が、この筆者には全く欠けているように思う。

 iTunesの魅力はそのシンプルさにある。個人的な嗜好なのかも知れないが、ソフト開発者の端くれとして強く思うのは「何でもできる」ってことが全ての解決策にはならないということである。それは機能が増えすぎて使いにくくなるだけではなく、「何でもできる」ようにするために犠牲になる部分も少なくない、という事だ。iTunesがブラウザ経由ではなく、専用アプリを介した専用サービスであるという部分も無視できない。実際に利用した事は無いのだけれど、その仕組みやコンセプトを見れば、iTunesが目指した場所がよく分かる。コラムの筆者が主張するような無駄な部分を廃することで、当たり前だけど誰もやらなかった所に着陸することができたのだ。

 今後、iTunesを含めたオンライン配信を更に発展させるとしたら、どんなコンセプトが考えられるだろう。たぶん、必要なのはボンヤリと頭の中にある「こんな感じの曲が聴きたい」という思いや、その曲を聴いて初めて分かる「あぁ、僕はこんな感じの曲が聴きたかったんだ」と気付かせてくれる、そんなことを実現するための手段なのだと思う。キーワードはやっぱり情報の「扱いやすさ」「取り出しやすさ」なのであろう。それが何なのか、どういうシステムなのかはよく分からないのだが、少なくとも単純な視聴システムやカスタマーレビューなどの「機能のフル装備」で無いことは間違いないと思う。

 ちょっと思うのは、音楽評論家というシステムの効用である。もちろん評論家だって人の子であり、その信憑性は疑わしいのは確かだ。しかし「カスタマーレビュー」と大きく違うのは、作品に対するレビューの発信元がはっきりしていること、そしてそのレビューに職業としての責任を負うことである。そのレビューを誰が書いたかを知ることによって、そして他にどんなレビューを書いているかを知ることによって、自分の音楽の嗜好に近い評論家を絞り込むことができる。仮に「全ての音楽にチャンスを」というマントラが実現したとして、その膨大な量の作品の中から、自分の嗜好に合う作品に辿り着くための案内役として、今よりも重要な役割を担うことになるかも知れない。一言で言えば「紹介屋」だ。

 例えば、呉服屋さんなどは膨大な数の着物の生地の中から、お客さんの年齢、性別、体型、財力、趣味などから、それに相応しい生地をセレクトしてくれる。そのセレクトがお客さんの趣味に合致していれば、その呉服屋さんはお客さんにとってご贔屓となるだろう。音楽でもこれと似たようなことができないのだろうか?、なんてことを思ったりもする。音楽評論家というシステムには、そのためのヒントがあるような気がする。

 Appleは次の一手を、真の意味で「革新」と呼べるサービスを提示できるのだろうか?。個人的にはちょっぴり期待している。しつこいようだが、無駄なパケットを使うぐらいなら無い方がマシ、ってことにならぬよう。「全ての音楽にチャンスを」というマントラの伝道師の登場を期待したい。



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