ポールが教えてくれたこと

2002/11/17


 結局、未だに理由は分からないでいる。約20分に及ぶ謎めいたプレショーが突然に終わったかと思うと、ギターの爆音が会場に響きわたり、それと同時に右手でヘフナー・ベースを高々と掲げたポールのシルエットがスクリーンに大写しになる。それに続く物凄い歓声。

 2002年11月13日。東京ドーム。ポール・マッカートニー9年振り、3度目の来日公演、2日目の開幕である。オープニング曲は「Hello Goodbye」。

You say yes, I say no
You say stop and I say go go go
Oh no
You say goodbye and I say hello
Hello, hello
I'dont know why you say goodbye
I say hello...

 あまりにシンプル、そしてあまりに象徴的なメッセージ。これまでのいろんな出来事や思いや感情が僕の中に響きわたる。最初のワンコーラスが終わろうとしていた頃、涙が止まらなくなっている自分がそこにいた。頬を伝うとかそういうレベルではないのだ。顔がクシャクシャなる程の号泣なのである。理由は分からない。とにかく涙が止めどもなく溢れ出てきて止まらないのだ。なんなのだこれは?。僕はどうしちゃったのだ?。

 突然の出来事に半ばパニック状態に陥ったまま、演奏は2曲目の「Jet」へとなだれ込んでいく。アリーナに照明が当てられると、Jet!という掛け声と共にステージと会場が一体となっている様が目に飛び込んでくる。会場全体の盛り上がり方と言うか、本当にポールのファンであるという人の多さが、今回の公演の特筆すべき点であったのは間違いないだろう。ビートルスの曲だけではなく、ウィングス時代やソロの曲でもここまで正しく盛り上がるというのは過去2回の公演には無かったように思う。そんなある種異様な、そしてとても幸せな空間の中で、僕は正に嗚咽に近い状態で再び号泣なのであった。

 今回のバンドは新作アルバム「Driving Rain」のレコーディングの為に集められたメンバーで構成されている。プロレスラーのようなドラマー、ギター小僧のような若いギタリスト、オーディションで選ばれたという職人的ギター&ベーシスト、これまでのツアーにも参加していたキーボーディスト、そして還暦を迎えたポール・マッカートニーである。繰り出されるサウンドは良い意味でラフであり、タイトであり、シンプルで力強く、バンドっぽい音であった。職人芸的にレコードの音を忠実に再現していた前回、前々回のツアーとは明らかに趣の違うサウンドであったのは確かだ。「My Love」の魅惑的なギター・ソロを妙にアグレッシブにアレンジしていたり、素直に受け止められない部分も無くは無かったのだが、全体的にはかなり完成度の高い演奏であったと思う。各メンバーの演奏に対しての自由度が広がっていた分、その曲の持つ根本的なクオリティーが立体的に提示されていたとも言える。単刀直入に表現すれば生々しい演奏だったのだ。これは恐らくポール本人が「このバンドでの音」という部分を狙った(そして自由な演奏を認めていた)結果なのであろう。

 個人的に残念だったのは新曲の演奏が少なかったことだ。各方面からの評価が高く、グラミー賞にもノミネートされた前々作「Flaming Pie」から1曲も演奏されなかったのは、普通のアーチストでは考えられないことだろう。新作「Driving Rain」からも3曲が演奏されたのみである。もちろんこれはポール・マッカートニーという存在があまりにも特別であるからこそである。目の前で次々に繰り広げられる名曲の数々、「Black Bird」「We Can Work It Out」「Mother Nature's Son」「Fool On The Hill」「Eleanor Rigby」「Here, There And Everywhere」「Band On The Run」「Back In The USSR」。音楽史上における宝もののような名曲がゴロゴロと続く。セットリストにどの曲を選ぶかについて、最も悩んだのは間違いなくポール本人であろうことは想像が付く。

 そんな状況下においても尚、新曲が過去の作品に見劣りしない(負けないとは敢えて言わないが)完成度を誇った秀作であることを感じ取れたのは嬉しい誤算であった。CDで聴いただけのイメージと実際にライブで聴いたときのイメージは、やはり変わってくるものである。そう言う意味では「現役感覚に溢れた」なんて表現が陳腐に思えるほどの現在進行形のポール・マッカートニーの姿であった。単なるノスタルジーだけでは絶対に達成できないレベルであったことは自信を持って断言できる。その存在感たるや尋常では無かった。

 本ツアーの特徴として、ステージのセットや照明、演奏におけるアレンジなどが比較的シンプルにまとめられていた事が挙げられるだろう。過去2回の公演で見られた洪水のような照明や、クレーンなどを使ったギミックなどは殆ど無く、あくまでバンドに拘っている姿勢が伺える(「Live And Let Die」のマグネシウム爆発はお約束なのだが・・・)。5人のミュージシャンが集まり、音を出す。その単純な行為によって作り出されるストレートなサウンド体験、そしてその背後に映し出されるとてつもなく巨大なイメージにはただただ驚かされる。音楽はここまで到達できるのだ、ということを強烈に感じさせられたのであった。

 「Let It Be」「Long And Winding Road」「Lady Madonna」「I Saw Her Standing There」「Yesterday」という、これ以上はあり得ないであろう怒濤の名曲群が続いた後、「Sgt.Pepper's/The End」という、これまたこれ以上は考えられない極上のエンディングを迎える。

And in the end the love you take
Is equal tp the love youmake

 あっと言うまであった。結局、涙は最後の最後まで止まることはなく、そしてその理由は分からないままであった。三十路を超えた男がたかがコンサートでずっと泣いているという状況はとても恥ずかしく、とてもカッコ悪いものであることは承知しているつもりである。しかし自分の力ではどうしようも無いという状況において、もはや僕には為す術が無かったのだ。一緒に行った友人に悟られないようにするのがやっとだったのである。

 あれからずっと考え続けている。どうして涙が止まらなかったのか。未だに明確な回答には辿り着けていないのだが、その理由の断片みたいな物が少しずつではあるが見えてきたような気もする。

 まず、過去2回の公演。もちろん内容は素晴らしく、感動もしたのだが、あのときは自分の中でステージに立っている人物がポール・マッカートニーであるという事実を完全には受け止め切れていなかったのでは無いだろうか?という事である。こんな言葉は使いたくないのだが、あまりにも「伝説的」なミュージシャンである。そんな人物が日本で、東京ドームで、それも自分の目の前で演奏している、という事にどこかリアリティーを感じ取れなかったのかも知れない。言い換えれば、自宅でポールのライブビデオを観ているような、そういう感覚がどこか拭い切れていなかったのではないか、と思うのだ。

 今回のツアーでは、今までになく生々しいバンドとしての音をかなりのレベルで感じ取ることができた。本当にポールがそこにいるという事実がかなりのリアリティーを持って僕に届いたのである。そしてその背後に広がるビートルズ時代から脈々と続くポール・マッカートニーの歴史と言うか、その足跡の大きさ、演奏されている1曲1曲の持つ意味のような物をステージに見たのだ。来日3回目にしてやっと目の前で繰り広げられていることの本当の意味を理解し、そしてその強烈な事実に体が無意識に反応したのだろうと思う。少なくとも、今回のステージが一番ポールを近くに感じられたのは間違いない。

 そしてもうひとつの理由。ポールという人物が才能豊かで、チャームに溢れ、ポジティブの固まりみたいな存在であることは、ファンになればなるほど分かってくる事実である。とにかく、とても魅力的な人なのだ。少なくとも、これまでに僕の中に培われてきた「ポールはこんな人」というイメージみたいな物は確実に存在している。

 そして今回、目の前に登場したポール・マッカートニーはあまりにも、あまりにもポール・マッカートニーその人なのであった。演奏はもちろんのこと、演奏中のちょっとした仕草やMCでのユニークさ、そんな一挙手一投足が確実にポール・マッカートニーであったのだ。僕の座席(三塁側の中段)からステージまでは大変な距離があるはずなのだが、その存在はまるで同じ部屋(同じ空間には違いないのだが・・・)にいるかの如く、 とてつもなく近くに感じられたのである。そしてそのポールという存在と僕自身の存在との間に横たわる悲しいぐらいに壮絶なギャップを感じたのである。

 知らず知らずのうちに辛い事や悲しいことを無視するのが上手くなり、淡々と続く変わり映えのしない毎日が流れていく様を、何の感情を抱くこともなくただただボーっと眺めているだけの、どうしようもないネガティブな人間になりつつあるシニカルで無感動な僕という存在。そんな僕の目の前に、ポジティブの固まりのようなポール・マッカートニーと言う強烈な存在が突然に登場し、その太陽のようなパワーに圧倒されてしまった、というのが答えなのではないだろうか?。事実、ずっと繋ぎ止められていた何かから解き放たれたような感覚があったのだ。癒された、なんて軽い言葉で片付けたくはない。誤解を恐れずに言えば「魔法」という表現が相応しいように思う。音楽を誰よりも愛し、音楽に最も愛された人物のみに与えられた、これは特別な魔法なのだ。そして幸運にも僕はそれを感じ取ることができたのだ。

 ええい、こんな回りくどい言い方じゃ無く、もっと単純な言葉で表現したい。コンサートの約2時間半、僕は心が満たされたのだ。なんだそれだけか?と言われるかも知れない。でも、本当の意味で心が満たされる時間って生きている中でどれぐらいあるだろうか?。僕は無かった。もちろん、そんなにたくさんではないけれど僕にだって楽しい時間はある。でも心の底から「ああ、楽しいなあ」という気持ちで完全に満たされる時間、100%幸せな気分になる瞬間ってどのぐらいあるというのだ。正直言ってそんな事はここしばらく、いやもう長い間そんな満たされた気分になったことは無かった。

 自分でも気が付かないうちに、かなりの部分で心が弱っていたのかも知れない。何も感じない振りをして自分自身に嘘を突き続けていたのかも知れない。僕という存在にすっかり関心をすっかり失っていた僕。そんな僕にポール・マッカートニーという強烈な存在が、そして彼の素晴らしい音楽が与えてくれた本当の意味での充実感、満足感、幸せな時間。心の底から楽しんでいる僕自身の姿を、本当に久しぶりに思い出させてくれたのだ。僕はここまで楽しく、幸せな気持ちになれるのだという事を。

 音楽は素晴らしい。すっかり忘れていたよ。ありがとうポール。生きてて良かった。もう少し生きてみることにするよ。



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