閉鎖

2002/06/07


 渋谷の東急文化会館が来年で閉鎖になるってのはもうご存知であろう。ついこないだ五島プラネタリウム閉鎖のニュースを聞いたばかりのような気がするのだが「老朽化のため」と言われてしまうと妙に納得してしまうのであった。確かにオンボロだったのは間違いない。

 いつのまにかブレードランナー化してしまったハチ公前を例に出すまでもなく、目まぐるしく変化している渋谷の街中にあって、あそこだけ時間が止まってしまったかのような不思議な空間ではあった。なんたって、床とか壁とか大理石だもんねえ。子供の頃、必死でアンモナイトの化石を探した記憶がある(笑)

 個人的にはここの映画館に通う機会が多かった。渋谷で映画を見る場合、複数の映画館で同じ作品を上映している場合は迷わず文化会館を選んでいた。もちろん他の映画館の方が新しいし、綺麗だし、近代的な設備が整っている。それはそれで大変に結構なことなのだが、あそこの映画館には何とも言えない「馴染む」感じがあったのだ。

 強いて言えば、子供の頃に親に連れられて行った映画館の雰囲気だろうか。劇場に入る前に売店でジュースを買ってもらう。注文するのはファンタ・オレンジかなんかで、縦長の紙コップにはオレンジの縦縞が入っている。広い劇場に入ると妙に音響がデッドで、スクリーンの前には古びた幕が垂れ下がっている。そういう雰囲気だ。

 他の館ではすっかり薄れてしまったあの独特の空気感に無意識のうちに惹かれていたのかもしれない。ああいう大きな劇場というのも最近は少なくなってきたもんね。興行という意味ではシネマコンプレックスという形にその流れは移行しつつある。時代の流れ。今の子供達はシネコンにある種のノスタルジーを感じる日が来るのであろう。これまた結構な話なのではあるが、効率化によって失われてしまった何かに一抹の寂しさを感じるのは僕だけだろうか? 今や映画館は巨大な集金マシーンである。

 ちょっと話は脇道に逸れるが、ここ最近のミニシアター・ブームとでも言うべき現象にも戸惑いを隠せない僕なのである。そもそも、採算が取れそうも無い小さくて、でも良質な作品を上映する場がミニシアターであったはずなのだ。浜崎あゆみが好意的な評を寄せただけで、おかま映画に客が大挙して押し寄せるという状況を目の当たりにすると「なんだかなあ〜」という気持ちになってしまう。いつから「ミニシアター=お洒落」なんて法則ができてしまったのだろう。もちろんそうじゃない映画館もたくさんあるのだが、同じ東急系でも文化村の方はそういう傾向が強いように思える。う〜む。

 ちなみにミニシアターの走りとも言うべき吉祥寺のバウスシアターでは所謂ハリウッド大作との並んで「ロシアSF映画特集」みたいなヘンテコな企画を堂々と催している。何度か足を運んだが、これがちっともお洒落じゃないんだな(笑)。どっちかっていうとB級、それもかなり下の方だと思われる。こういうある種の緩いくだらなさがミニシアターの醍醐味だと思うのだが、どうだろうか?。あゆが「タルコフスキーって超クールだし」なんて発言をしたらここも人で溢れかえってしまうんだろうねえ。

 最近、妙にはっきり見えてきたのだが、僕が強烈に嫌悪するのは「メジャーはカッコ悪い、マイナーはカッコ良い」という青臭い発想なのである。一種の選民意識の表れなんだろうが、自分は人とは違うって主張する人ほど、どこまでも人並みなんである。もう悲しいぐらいにそうなのである(笑)。凡人はb凡人なりに、メジャーだろうとマイナーだろうと質さえ高ければ、そしてたっぷりと楽しめればそれで良いんで無いの?。「スパイダーマン」って面白いじゃん!。それのどこが悪いね?

 いかん、だいぶ話が逸れてしまった・・・で、東急文化会館である(汗)。とにもかくにも、子供の頃から存在していた大きなランドマークがなくなってしまうと言うのは、それなりに感慨深い物だ。ましてや「あの頃の映画館」が持っていた独特の雰囲気が失われてしまうかと思うと、やっぱり寂しい気分である。閉鎖までにはまた何回か映画館に足を運ぶとは思うので、その時にはちょっとだけ感謝の言葉を呟いてこようかと思う。しかし、渋谷に行く理由がどんどん無くなって行くねえ・・・。この際、渋谷まるごと閉鎖しちゃえば良いのに。幸せな人しか来ちゃいけないような、妙に賑やかな、でもどこか嘘臭いあの雰囲気が嫌いだ。

 「時々はデパートで孤独な人のふりをして 満ち足りた人々の思い上がりを眺めてる 昼下がりは美術館で考えたり・・・」(井上陽水「長い坂の絵のフレーム」より)



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