アウト・オブ・コントロール

2002/04/10


 何かと話題のコピーコントロールCDである(防止って言わないところが笑える)。コピーするとプロテクト破りの罪に問われるのか?とか、CDプレイヤーでも機種によっては再生できないとか、Macではユーザーは完全に無視されてる(再生すらできない)とか、ドライブによっては普通にリッピングできちゃうとか、ソニー/フィリップスから「これはCDではない」とお墨付きを貰ったりとか、いろいろ盛り上がっていたようだけど、いよいよメジャー・アーチストの新譜への導入が始まる。

 このCD・・・じゃないのか正式には。CCCDには賛否両論あったが、少なくとも自ら悪役になってまで問題提起をしたエイベックスの姿勢はちょっとだけ認めてあげたい気もする。利権の主張ばかりでちっともユーザのことを考えてくれない他のレコード会社に比べれば、少なくともエイベックスのスタンスがはっきりしただけでもマシである。

 CCCD採用のそもそもの発端は、ここ最近のCDの売れ行きの傾向にある。発売から一定期間(1週間程度だったかな?)はガーンと売れるのだが、それを過ぎるとガクンと売れ行きが落ちる。その落ち方が年々激しくなっている、ピークの期間が短くなっている、というものである。

 この現象のを分析したレコード会社は、最初にCDを購入したユーザがそれをコピーして不特定多数に無料で配っている、だからその後の売上が伸びないのだ、と思ったわけである(かなり乱暴な表現だが、まあこんなもんだろう)。「配る」っていうのも物理的にだけじゃなくて、ネットで公開したりとかってもの含まれる。とどのつまり、熱心な購買層以外は短期間に出回ってしまうコピー物に流れている、ってことなんだろうね。まあ、ただより安いものは無いし、トンでもなく的を外した論理であるとも思わない。まあ、それも要因のひとつではあるだろう。

 しかしそれが全ての巨悪の根源か?と言われれば、それはチト違うような気がする。例えば本来なら10万枚売れるはずだったCDがあったとして、そのうちのどのくらいがコピー物に食われているのだろう?。具体的な数字を僕は見たことが無いし、本格的に調査が行われたという話も聞いたことが無い。確かにCDコピーの件は大事な話ではあるが、何を持って「CDコピーが元凶」と言い切っているのかが不明だ。今までもMDとかにはコピーできてた訳だから、それがCD−Rになったりネット公開されたりってだけで、途端に売上が落ちてしまうもんなのだろうか?。影響が全く無いとは思わないけれど、それが全てでは無いんでないの?。個人的にはちょっと釈然としない部分がある。

 CDにコピーした方が音が良いから、ってのは理由になるんだろうか?。MDとCDの音質の違いを聞き分けられる人ってどのぐらいいるんだろう?。所詮、ミニコンポ程度のオーディオ装置で音楽を聴くって人ってのが大勢なんだろうし、CD−R特有のスバ抜けたメリット(レコード会社にとってはデメリット)というのが僕には思いつかない。

 強いてあげるなら物理的な満足感だろうか?。MDよりもCDの方が気分的に「持ってて嬉しい」って感じがありそなのは何となく理解できなくも無い。レコードを借りてきてカセットにダビングしていた時代は、レコードを保有するという行為自体が羨ましく思えたものだ。そんな時代に突如として登場したのがCDというメディアであった。ピカピカ光ってて、高級感が溢れてて、如何にも「ハイテク!」って感じ。CD=高音質というインパクトは想像以上に強烈であったと思う。ここ最近、DVDがやっとこさっとこ市民権を得てきたって状況を思えば(PS2というブレイクスルーもあってのことだ)、CDの普及速度ってのは凄まじかったのだ。

 そして現在、誰でもパソコンでCDが焼ける時代になった。焼く(Burn)という言葉が示す通り、一回記録しちゃうと書き換えられないというデメリットもなんのその。媒体価格の下落によって、あっという間に市民権を得るまでになったのだ。しかし、価格があまりにも急速に下がったので観念的な価値観と実際の価格との間には未だにギャップがあるように思える。CD=高級イメージの残り火が「持ってて嬉しい」感に繋がっているのではないだろうか。どうせ持つならCDで、という心理が働いても不思議ではないのかも知れない。

 マスタ(売り物のCD)と同じメディア形式でコピーできるっていう嬉しさもあるだろう。MDはCDと比べるとどこか安っぽいイメージがある。カセットはもっと安っぽい。個人で所有できるオーディオ装置で最も高音質な機器はDATだが、こちらは驚くほど普及していない。このことからもユーザは音質を期待しているのではなく、マスタの「レプリカ」を保有することに魅力を感じているとは言えまいか?

 僕はCDをCD−Rにコピーした経験が無い。単にCD−R機器を持っていないというのあるのだが、仮に持っていたとしても本当に欲しいと思ったCDは実際にCD(マスタ)を購入するだろうと思う。現実的な付加価値はジャケットとかライナーとかそんな程度なのだろうが、それよりも「マスタを持ってて嬉しい」感に魅力を感じているというのが最大の理由である。就職してからと言うもの、CDをレンタルしてダビングするというルーチンを完全に止めてしまった。CDを購入するための金銭的な余裕ができたからである。

 仮に僕がCD−R機器を持っていたとしてどんな場合に使うだろうかというのを考えてみる。恐らく「買うほどではない、でも手元には置いておきたい」という微妙なレベルのCDをレンタルしてきて、コピーするのだろうと思う。お金は出したくない、でも持っておきたい。「買うほどではない」って気持ちと「手元に置いておきたい」ってのが同時に成立しているってところが肝心だ。要するに財布の紐を緩めるほどの魅力を感じていない作品、ってことである。

 で、今回の結論。つまりは、現代におけるCDの最大購買層である人々(およそ学生が大半であろう)にとってのCD(音楽)ってのは「買うほどではない、でも手元には置いておきたい」という程度のものなのだろう。CDをお手軽にコピーできる方法を見付けた多くの人々は、マスタを購入するよりもコピーすることを選んだ。所詮、その程度にしか愛されない音楽だったのである。

 例えば、毎月ちょっとづつ貯金をして、やっとの思いで目標額をクリアして、喜び勇んでレコード屋へ走り、決められた金額の中でどれを買おうか何時間も悩んで、身を切るような思いで数枚を選び出し購入、一刻も早く聴きたくて急いで家に帰り、ワクワクしながらレコードの針を落とす、っていう対象ではないのだ、今のCDは・・・。週刊誌のように発売される新譜、流行を作るため大量のCMスポット、ドラマとのタイアップ曲しか売れない現象、カラオケで歌うことを前提とされた音楽。リミックスのリミックスのリミックス。僕が思うに、ここ最近のCD売り上げが落ちている最大の理由はこれだと思う。

 冒頭で述べた「一定期間を過ぎると売り上げがガクンと落ちる」という件。結果的にCDコピーがその一因であることは否定できないとは思うが、それ以上にコアな部分での所謂「音楽離れ」が進行しているということの証明なんだろうと僕は思う。目まぐるしく流行を変化させることで莫大な売上を得ると言うえげつない方程式を確立したのは他でもないエイベックスなのだ。そして流行のサイクルが極限まで短くなったとき、それを打開しようと最初に動いたのがやはりエイベックスであったというのはとても印象的であった。今更「創造のサイクル」なんて奇麗事を言ったって遅いのである。(エイベックスの公式見解:コピーコントロールCDの発売にあたり

 さて、技術的な話題や法的な問題ばかりがクローズアップされてきたコピーコントロールCDだが、僕が今一番知りたいのは肝心の効果の程がどのくらいあったのかってことだ。エイベックスが言ってた「一定期間を過ぎると売り上げがガクンと落ちる」は少しでも解消されたのだろうか?。少なくとも僕が知る限りでは、公式には具体的な数値は発表されていない。一番肝心なところがウヤムヤになったまま、メジャー・アーチストの新譜への導入が始まるって話を聞くと、やっぱり詭弁だったのか?っていう疑念が湧いてくる。考えてる振りして実際には考えてないっていうのは、最初から考えてないってのより悪質なんだからね。コピープロテクトされるアーチスト側からの意見が全く聞こえてこないのも気になる。

 最後に、僕は4桁に及ぶ大量のCDを保有しているがエイベックスの物は一枚も持っていないことをここに明記しておく。たぶんこれからも買うことは無いだろう。今のところ、僕はまだコントロールされていないようだ。



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