電子書籍を考える



 どれだけi-modeが普及しようと、電車の中や喫茶店などで本を読んでいる人はまだまだ多く見かけることができる。いろんなところで文章を読みたいという欲求は尚も健在である。古色蒼然とした「本」という媒体が持つインターフェィスはデジタル全盛の今日においてもその有用性は失われてはいない。携帯性に優れている、コストパフォーマンスが良い(価格が安い)、好きなページへ瞬時にアクセスできる、解像度が高い、半永久的にデータが保存される、などなど、ポジティブファクターをいくつも挙げることが可能だ。

 いくら書籍の電子化が進もうとも、本を読むためにノートパソコンを使おうという気にはならないだろう。(ごく稀に無理くり使用している人も見かけるが・・・)「本」というシステムが何百年も生き残ってきたのは、前述の通りそれなりの理由がちゃんとあるわけだ。未だに傘が無くならないのと近いかもしれない(その心は「それ以上のデバイスが登場していない」)。

本が貴重だった時代はこれで良かった。しかし今では会社の帰りなんかに、出発駅でちょっと暇つぶしに週刊誌なんぞを購入し、移動中に全て読んじゃって、到着駅ではもう捨てられてしまうなんてことが当たり前に行われている。毎月、毎週、毎日、何百何千何万という本が出版され、運ばれ、店頭にならび、人々に読まれ、そして捨てられていく。1日に山手線沿線で読み捨てられる書籍はどのくらいの数になるのだろう。それが一年間に365回も繰り返されるのだ。ちょっと想像しただけでも想像を絶する量であることには間違いない。自然破壊うんぬんを抜きにしたとしても、単純に「無駄だなあ」「なんとかならんの?」と思ってしまう。

 本というデバイスは確かに便利だが、時代の検証に耐え兼ねる部分が露呈してきているのも事実。その欠点を補うための何らかの代価手段の可能性を模索できるのであればそれに越したことは無いはずだ。善は急げ!早急にその方向性を検討すべきであろう。

 というわけで名乗りを挙げたのが「電子書籍」だ。本の文書情報を電子化し、それをビットとして配信することで本というデバイスの弱点を補おうとしている。補うだけじゃなく、電子化することで得られるメリットもあるのだ。

 本を売る側から見れば、紙に印刷しなくて良いのだから、その分のコストダウンが見込める。それは結果的に価格にも反映されるはずだから、本を買う側のメリットにもなるだろう。また、電子化することで店舗のスペースをかなりの割合で縮小することができる。店にはビットを配信するためのキオスク端末を一つ置けば済むのだ。この分も価格に反映されるだろう。

 本を買う側のメリットは価格が下がるだけではない。情報をビット化するということは、物理的に小さくなるということだ。百科辞典を丸ごと持ち歩くことだって可能になる(あくまでも情報量の話ね。実際に百科辞典を持ち歩かなきゃならないシーンってあんまり無いよ)。また、要らなくなった本はビットを消去するだけで良い。とっても単純なことだけど、山手線の雑誌が全てこうなったら物凄い量の紙が節約できるだろう。これは重要。

 ざっと考えただけでもこれだけのメリットが思い当たるのだが、最も大きな効果として挙げられるのは「本の返品」という概念が完全に無くなることだろう。現状の流通システムでは、店頭で売れ残った書籍は基本的に全て出版元に返品される仕組みになっている。確かに限られた店舗スペースにいつまでも売れない本を置いておく訳にはいかないだろう。まあ、分からない話じゃない。分からない話じゃないけど、現在の総出版数に対する返本率は50%を超えていると聞けば黙って見過ごす訳にはいかないだろう。この世に誕生した書籍の半数以上が出版元に返品され「在庫」という名の元に倉庫で眠っているのだ。もちろん返本の全てを「在庫」にしていたら、倉庫が幾つあっても足りなくなる。一定の在庫期間を経た書籍たちは裁断され、破棄される運命となる。恐らくそれらの殆どは一度も読まれないまま、本の寿命を終えるのだろう。全部の本のうち半分である。これは恐ろしい状況だと思う。

 話は戻って、ざっと考えただけでもこれだけのメリットが思い当たるわけだ。個人的にも「電子書籍」が早く実現しないかと心待ちにしているのだ。ちなみに僕がイメージする電子書籍はこんな感じ。

 まずコンビニやキオスクなんかに電子書籍の販売端末を設置する。もちろん電子書籍を読むためのデバイスもそこで売る。端末にお金を入れるとデバイス(もしくはスマートメディア)に文書情報がダウンロードされる。まあ、時間にして5秒から10秒ぐらいが妥当な線かな。電子書籍を読むためのデバイスってのは文庫本サイズぐらいのディスプレイを持っていて本と同じようなレイアウトで情報を1ページ分ずつ表示する。幾つかあるボタンのうち「次へ」ボタンを押すとページが切り替わる。「戻る」を押すと前のページへ戻る。

 こんな程度で十分なのよ。技術的なハードルは決して高くないはずだ。

 じゃあ、どうすれば電子書籍が普及するか?もう聞き飽きたかもしれないけど、やっぱコンテンツなんだな。ビデオでもDVDでもそうだが、この手の物はコンテンツの充実が成功への重要なファクターとなるのだ。技術的に可能だからといってどこかの大手出版社が単独で進めたとしても恐らく上手くいかないだろう。実際に某社が独自仕様の電子ブックを市場に出したこともあったようだが、今ではその姿を見ることは無い(装置が貧弱だったってのあるけどね)。ただ電子化されていれば良い、って訳じゃないのだ。

 やっぱりここは各出版社が採用できるような電子書籍の共通フォーマットを策定する必要があるだろう。もちろん、その仕様は完全に公開されることが前提だ。HTMLの規約が策定された直後にインターネットが爆発的に普及したことを思い出して欲しい。今の時代、誰でも自由に参加できるというスタンスがなければグローバル・スタンダードにはなり得ないのだ。電子書籍の標準化を進めるためには「誰でも電子ブックを作成できる」という事が大前提になるだろう。

 現時点でも、著作権の切れたコンテンツを有志で電子化を行い、公開しているサイトが存在する。文書の電子化作業は、現状では各個人の貢献に委ねている部分が多いが、今後は各出版社がパテントフリーの書籍を自ら電子化し、電子書籍としてフリーで配布し始めれば、状況は大きく変わるはずだ。

 コンテンツが充実してくれば、それを閲覧するためのデバイスも数多く登場して自由競争が生まれるだろう。携帯電話がどんどん小型化、低価格化していったことを思い出して欲しい。技術的な競争は進化が頭打ちになるまで際限無く続けられ、その過程で事実上のデファクトが自然に決められていくはずだ。

 まあ、あくまでも机上の論理だから、全てがこんなにスムーズに進むとは思わないけれど、まるで的を外してるって感じでも無いだろう。取りあえずは電子書籍フォーマットの策定。これが決まらなければ何にも始まらないからねえ。売る側にも買う側にもメリットがあるのは間違い無いんだから一旦決まっちゃえば以外に速く普及するかもしれない。

 電子書籍に向けて、もう一つ大きな課題がある。著作権の問題だ。Napstar絡みの泥仕合を見るまでも無く、旧世代のコンテンツ・プロバイダー(レコード会社、出版者、映画配給会社など)はデジタル時代の著作権管理に頭を悩ましている。海賊盤が出まわれば即、莫大な利益の損失に繋がりかねないからだ。しかしながら、どんなに強固なセキュリティー機能を装備しようとも、それを解いちゃう輩が必ず出てくる。どう転んだって、この「イタチごっこ」は際限無く続くのだ。個人的にはその部分を追求したところであまり意味が無いような気がする。そもそも全てのコンテンツに対して均等にセキュリティーを施そうという発想がおかしいんじゃないだろうか?例えばジャンプやマガジンのような週刊誌にそれほど厳重なセキュリティーをかける必要があるのだろうか?それによって発生するコストの方が僕は心配だ。不要な機能にお金を払うくらい馬鹿げたことは無いからねえ。まあ、商売を考えると由々しき問題であることは確かである。

 それでも、動き出した列車はもう止められない。マイクロソフトは電子書籍技術の「Microsoft Reader with ClearType」を発表した。呼んで字のごとく電子書籍を読むためのソフトウェアである。同サイトから無償でダウンロードすることができる。それに負けじとAdobeはPDFを拡張した「Adobe AcrobatR eBook Reader」を発表しているこちらも無償でダウンロード可能。

 今のところ、どちらの技術も主にパソコンでの利用を想定している。よって電子書籍の業界標準を目指した「見切り発車」的な印象が強い。はっきり言って、まだまだ発展途上の段階である。しかしながらこれらのソフトの登場により、今まで燻っていた電子書籍という市場が一気に活気を帯びてくる可能性がある。電子書籍専用の端末が小さく、軽く、しかも安価に提供されれば状況はさらに好転していくだろう。って言うか、していってもらわなきゃ困るのだ。

 そんなハードウェア陣営も「電子ペーパー」という側面から、ここ最近は俄かに盛り上がっている。例えばPARCの「Gyricon」。透明な薄いプラスチックを重ね合わせ、その間には黒と白、あるいは赤と白のコピー機のトナー粒子に似た「ビーズ」が何百万と詰まっている。ビーズは油で満たされた隙間に入っていて,電圧がかかるとこのビーズが回転して色の付いた側が表にくるようになっている。バックライトやリフレッシュ作業は必要なく、数千回も再利用できる。おまけに現在の反射型のディスプレイより低電力で動作するそうな。こりゃ正に「電子ペーパー」って感じだ。

 他にもキャノンが開発しているペーパーライク・ディスプレイやルーセントとの提携を発表したE Inkなんかも電子ペーパーの実現に向けて研究を続けている。もちろんこれらは電子書籍向けという訳ではなく、「安価で軽くて省電力の小型ディスプレイ」というスタンスにおいて、その将来性を嘱望されている。

 電子書籍の可能性は暇つぶしのための読書だけに留まらない。電子化された百科事典や辞書(CD-ROMなど)などは既に商品化されており、ある程度の市場を作りつつある。あまり触れなかったが「検索できる」というメリットは物理的な書籍では決して実現できない、大きなポジティブ・ファクターである。他にも教科書が電子化されれば子供達は,毎朝自分の体重ほどの重さがあるランドセルを背負って登校しなくても済むようになるだろう。

 僕は少しイライラしながら、電子書籍の登場を心待ちにしている。いくらテクノロジーが進歩しようとも、それが生活に恩恵を齎すもので無ければ何の意味も無いのだから。未来の形ってこういう感じだよ。