もう今世紀に用はない(後編)



 意外に思われるかもしれないが映画「マトリックス」は最先端のテクノロジーをバリバリに駆使しているかと言うとそうでもない。確かに「おぉっ!」と目を惹くSFXのシーンは沢山あるのだが、その多くは既存のSFX技術、もしくはその応用である。もちろんこれはネガティブ・ファクターを指摘しているのでは無い。これまでに開拓されてきた多くのSFX技術の中から映像表現として有効な部分を掬い取りそれらをリミックスして全てぶちこんでしまうというアプローチは非常に過激だし、90年代っぽいスタンスだ。「オリジナリティー」という夢物語が終焉しようとしている現代において、夥しい量の情報(コンセプト)を如何に抽出、整理、再構築するかが勝負なのである。

 「マトリックス」で用いられている数多くのSFX技術の中で最も注目されているのは「マシンガン撮影技法」だろう。激しいアクションが繰り広げられている空間において、被写体の周囲360度をカメラ(視点)が猛スピードで移動する、というこの手法、この手法のコンセプト自体は、ミュージックビデオなどで多用されている「タイムスライス技法」という既存技術に非常に良く似ている。違いは「タイムスライス技法」では被写体の完全な静止状態に置くことが前提となるが、「マシンガン撮影技法」は動作する被写体を対象とできることにある。一般的になっているスローモーションや高速度撮影による「瞬間」の映像表現は、その視点をリアルタイムに移動させるという手法によってより鮮烈な映像効果を齎したのである。

 撮影の方法自体は「タイムスライス技法」とあまり変わらない。被写体の周囲360度にカメラ(写真機)を等間隔に配置し、撮影を行う。そこで撮影された映像を単純に繋げるのが「タイムスライス技法」である。全てのカメラは指定した一瞬だけを撮影するので、静止した被写体の周囲を視点が移動することになる。一方「マシンガン撮影技法」はその名の通り、動作する被写体を連続的に撮影する。撮影された大量の映像から必用な部分を抽出し、視点の移動距離と経過時間の辻褄を合わせることで、動作する被写体の周囲を視点が移動させることができる。

 これらの撮影は基本的にブルーバックの前で役者が演技するという昔ながらの手法が前提になっている(もちろん最終調整にはコンピューターが導入されている)。CG全盛期の昨今、独特の映像効果を得るために、あえてローテクな手法を用いているのである。ちっとも最先端では無い。

 ビルの屋上で繰り広げられる一騎打ちのシーンに見られる「銃の弾道を空間の歪みで表現する」というアプローチは、押井守のアニメーション作品「甲殻機動隊 "GHOST IN THE SHELL"」で用いられた手法に酷似している。「GHOST〜」では、姿を消すことができる透明シールドを装着した武装兵が町中を疾走するシーンがある。「透明で姿が見えない」という設定をそのまま表現したのでは見ている者は何が何だか分からない。これを「周辺の空間の歪み」というトリックを用いることで見えない物体の存在を巧妙に表現しているのである。「GHOST〜」自体はつまらん作品だったが、このアプローチ自体はとても興味深かった。

 「マトリックス」ではそれを銃弾の軌跡を表現するために用いている。発射された銃弾は超高速度撮影のようにゆっくりと通過していき、弾道の軌跡には緩やかな空間の歪みが残されていく。「GHOST〜」はアニメーションだったが、実写映像に適用した際の効果は壮絶な物がある。その斬新な映像は単純な高速度撮影よりも表現として効果的なのは言うまでもない。そればかりかある種の美しささえ感じさせる見事な仕上がりになっている。間接的ではあるものの、ジャパニメーションの影響はここに表出している。しかしこれとて決して新しい技法という訳ではない。

 評判になっている華麗な銃撃戦は、映画「フェィス・オフ」などで「世界一美しい銃撃シーンを撮る男」として有名になったジョン・ウー監督の演出技法があからさまにコピー(あえてコピーと断言したい)されている。夥しい数の銃弾が飛び交う戦場のような空間を、二挺拳銃を自在に操る主人公が颯爽と駆け抜ける。高速度撮影を多用したスーパー・スローモーションで立ち込める硝煙、飛び散る壁の破片、零れ落ちる薬莢などが効果的に表現される。あまりの数に騒音のように聞こえる銃声とは対象てきに床に落ちた薬莢の金属音が時折クローズアップされる。どれを取ってもジョン・ウーの専売特許とも言えるアプローチだ。おまけに銃弾を避けるために主人公が宙を舞うシーンはCGによる合成では無く、実際時俳優をワイヤーで吊るして撮影された。ジョン・ウー監督を輩出した香港映画界が最も得意としている手法である。そもそも主人公の「黒のロングコートにサングラス」という衣装などは映画「男達の挽歌」そのまんまである(もしくは映画「ターミネーター」かも)。このような「まるでコピー」のようなアプローチは随所に見られる。単純に列挙してみると・・・

 その1:粘液状の鏡に腕が吸い込まれて行くシーンは映画「ターミネーター2」や映画「アビス」で有名になったCG技術である。変幻自在に形を変えていく物質の表現技法はとっくの昔に完成されている。

 その2:真っ白な仮想空間に大量の銃器が猛スピードで現れるシーンは、左右対称の項図や無音状態の演出など、明らかにキューブリック監督の影響が垣間見える。

 その3:人間が巨大な飼育施設で培養されているという設定は映画「Xファイル・ザ・ムービー」に酷似している。映画「12モンキーズ」も同じような設定だったような気がする。

 その4:純主役中のヒロインは映画「バットマン」のキャットウーマンに酷似している。その他の登場人物は、その役回りが映画「マッドマックス」とほぼ同じ。曰く、リーダー格、力持ち、機械に強い、気の弱い裏切り者・・・

 その5:巨大な機械生命体(大ダコ?)に襲われるシーンは映画「深海2000マイル」からの引用なのだろうか?(「タコ型宇宙人」というイメージも頭を過ぎるがあまりに古すぎてオリジナル作品が分からない)

 その6:主人公がヒロインのキスによって蘇る(奇跡)という設定はもうどのくらい前から使われてきたスクリプトなのだろうか?ここまでくると「白雪姫」の世界だ。

 その7:宇宙船のような潜水艦(?)はもはや説明する必要も無いだろう。映画「スターウォーズ」以降、腐るほどコピーされている「ポンコツ宇宙船」の典型である。

 ざっと挙げただけでもこれだけある。良く言えば「過去の作品の優れた部分を大胆に引用している作品」、悪く言えば「オリジナリティーの微塵も無いパクリ作品」となる。こういうアプローチには賛否両論あるかもしれない。しかし僕は「マトリックス」の方法論、映像表現として有効な手法を過剰なまでに導入し、猛烈な勢いと過激な編集によって強引にまとめあげる、というスタンス強く惹かれた。少なくとも、今までにこんな方法論を用いた作品は存在しなかった。コンセプトとして珍しいものは一切無いにも係わらず、その見せ方、まとめ方が圧倒的に斬新なのである。リミックス文化が台頭している今の時代に相応しいアプローチだと思う。現に僕はこの作品に強烈な90年代っぽさを感じたのである。個人的には強く支持する。

 蛇足。ちょっと残念だったのは見せ場となるシーンが全体の比率から見ると少なかったことだ。「未知との遭遇」では巨大なUFOが飛び交うシーン、「スターウォーズ」では戦闘シーン、「ブレードランナー」では近未来社会がたっぷりと描き出される。「2001年宇宙の旅」は全編がそんなシーンと言っても過言ではない。「マトリックス」にもそれらに負けないシーンは幾つかある。クライマックスのヘリコプター爆破シーンなどは近年まれにみる素晴らしい仕上がりで、映画史にその存在を刻むに充分であった。しかし全体から見ればちょっと少なかったかな、という感じであるまあ、この辺のバランスを取るのは難しいし、人によって好みもある。大量の予算がつぎ込まれる続編、続々編に期待したい。

 さらに蛇足。見終わってすぐに思ったのは「これを違う監督が撮ったらどういう作品になっただろう」という事である。「パルプフィクション」のクエン・タランティーノ、「バットマン」のティム・バートン、「フィフス・エレメント」のリュック・ベンソンなど。撮る人が変われば全然違う作品になったはずである。もちろん「たられば」に過ぎないのだが、興味深い考察ではあると思う。

 とにもかくにも、予算ばっかりかけて内容が空っぽの映画が多い中、これだけ実験的で過激な映画が登場するとは夢にも思わなかった。「マトリックス」こそ90年代を締めくくるに相応しいSF作品であると言えるだろう。もう今世紀に用はない。