ビートルズと噂とマスターテープ



 先週の日曜日、遅めの夕食を取りながら何となく夕刊を眺めていたら、ふとある記事に目に留まった。

「ビートルズ最後のシングル発売へ」

 我が家ではここ数十年、新聞と言えば読売新聞なのである。(巨人戦のチケットなど一度も貰ったこと無いが・・・)多少右寄りだろうと、鈴木義司の漫画にオチがなかろうと、それはそれ腐っても全国紙である。どこかのスポーツ紙のように、見出しの後に「!?」なんて記号は付いていない。おまけに記事の発信元は「ロイター通信」となっている。ロイターと言えば泣く子も黙る世界的な報道機関(なんだよね? 良く知らないんだが)である。解散してから約30年、ビートルズ周辺は未だにガセネタ(再結成うんぬん)が多いのだが、この件に限ってはどうやら事実のようである。

 知っている人は知っているのだが、僕は正真正銘のビートルズ・ファンである。中学一年生の時に始めてビートルズを聴いてからというもの、その果てしなきビートルズ道(泥沼という話もある)を着実に歩んできた。高校生の頃は毎週のように新宿のレコード店に通ってはレコード・ハンティングに勤しみ、大学生の頃は愛情と冒涜の狭間でビートルズのコピーバンドを演っていた。ポール・マッカートニーが来日したときは狂喜乱舞し、ジョージ・ハリスンが来日したときは神に感謝し、リンゴ・スターが来日したときのことは思い出さないようにしている。あとは天国でジョン・レノンのステージを見れば完璧である(何が完璧なのだろうか?)。そういえば、弾けもしないシンセサイザーを購入したのも、元々は「レット・イット・ビー」を演奏できるようになりたかったからである。決して「世界一のビートルズ・ファン」だと言うつもりは毛頭無いのだが、少なくとも僕よりビートルズのことを知っている人に会ったことは無い。ポール・マッカートニーの飼ってる犬の名前はマーサで、ジョージ・ハリスンの父親はスクール・バスの運転手だった、ジョン・レノンとショーン・レノンの誕生日は同じで、リンゴ・スターの奥さんは元ボンドガールである。

 そんな僕(苦笑)なので、新聞や雑誌などに「ビートルズ」という文字が紛れ込んでいたりすると、自然と目が留まるような体になってしまったのだ。正に人間サーチ・エンジン(全文検索型)である。残念ながらこの新聞記事は小さな囲み記事だったので、あまり詳しいことは掲載されていなかった。10年前ならここで諦めているところだが、今やインターネット時代。こういう時のために月々1800円(+超過料金)を支払っているのだ。早速、本物のサーチ・エンジン(全文検索型)で事の詳細を検索してみた。その結果をまとめると、概ね以下のようになる。

「1968年のスタジオ収録中に紛失していた曲である」
「イエローザブマリン制作時にレコーディングした未発表曲である」
「ジョン・レノンが歌っている真にロッカーな曲」
「リミックスされずに、オリジナルのままリリースされる」
「ビートルズの元メンバー3人はこの曲が原盤のままの状態で発売されることを望んでいる」
「曲のタイトルは明かにされていない」
「これがビートルズとしての最後のシングルになる」

 はて? と僕はここで幾つかの疑問を抱く。どれもこれもそれ風のことが書いてあるが、どうも辻褄が合わない部分がある。まあ、夏になれば全貌が明らかになるのだが、ちょっと面白そうなので、現在分かっている情報とその矛盾点から、この「ビートルズ最後のシングル」について検証してみることにする。

キーワード(1)「イエローサブマリン」

 まず、気になるのは「イエローサブマリン制作時にレコーディングした未発表曲である」という記述。これが良く分からない。アルバム「イエローサブマリン」と言えば、ビートルズが制作を手がけた同名アニメーション映画のサウンドトラック盤である。というのは建前で、実際にはビートルズのメンバー誰一人としてこの映画製作に興味を示さなかった。事実上「ビートルズの・・・」という名前を貸したに過ぎず、あくまでお仕事の一環だったのだ。しかし映画で使用される曲は、既に映画のタイトルに決定していた「イエローサブマリン」、既存シングルである「愛こそはすべて」以外は、新たに録音した「新曲」を提供しなければならなかった。契約上そういうことになっていたのである。

 しかし、全く持って創作意欲が湧かなかったビートルズの面々は、とりあえず手っ取り早く新曲を提供するために、かつて録音はしたものの発表するには至っていなかった、いわゆる「ボツ曲」を倉庫から引っ張り出し、オーバーダビングなどを施すことで何とか体裁を整え、それらを「映画用の新曲」として提供することにしたのである。結果的にはそれなりのものが完成したのだが、その士気の低さゆえ、おそらくビートルズの全アルバム中、最も人気のない作品である。

 1968年のビートルズは二枚組超大作の「ホワイト・アルバム」のレコーディングの真っ最中だったので、この「ボツ曲を何とか体裁を整える」作業はこの録音の合間を縫って、断続的に行われることになる。つまり記事中の「イエローザブマリン制作時にレコーディング」という表現は、その期間を特定することはできないし、意味不明である。何を言わんとしているのか甚だ疑問である。

キーワード(2)「1968年」

 妥協して「1968年のスタジオ収録中に紛失していた曲である」という記述から強引に導き出すならば、時期的に考えると「ホワイト・アルバム制作時にレコーィング」した未発表曲ということになる。このレコーディング・セッションはアルバムが2枚組にならざるを得なかった事実からも分かるように、かなりの長期間(1968年5月30日〜10月18日)に渡って制作されたものである。そんな状況もあってか、録音された数多くの作品の中には最終的にアルバム収録曲の選考に漏れ、その後も発表されなかった曲が、確認されているだけでも数曲存在する。主なところではジョンの「ホワッツ・ニュー・メリー・ジェーン」(後に「アンソロジーで発表」)、ジョージの「ノット・ギルティー」(後にソロアルバムでリメイク)、ポールの「エトセトラ」(現在に至るまで未発表)など、その他無数のアウトテイクと一緒に今でもEMIの倉庫に眠っているはずである。今回、新たに発表される曲というのは、恐らくこの中の一曲であろうという推測が容易に成り立つ。

 しかしながら記事中にある「ジョン・レノンが歌っている真にロッカーな曲」という記述に該当するような未発表曲は今日まで全く確認されていない。ビートルズ・ファンにとってのバイブルと呼ばれている「ビートルス/レコーディング・セッション」という本がある。これはEMIに保管されているビートルズの録音テープを丹念に調べ上げ、現存している資料や当時の関係者へのインタビューなどからビートルズのレコーディング・セッションの全てを記録したものである。数あるビートルズ研究本の中でも「決定版」との誉れ高い作品なのだが、この中にさえ「ジョン・レノンが歌っている真にロッカーな曲」に該当するような曲を録音したという記録は見当たらない。いくら未発表曲とはいえリハーサル・セッションも含め、全く記録が残っていないなどという事が有り得るのだろうか?

 さらに記事中の「リミックスされずに、オリジナルのままリリースされる」、「ビートルズの元メンバー3人はこの曲が原盤のままの状態で発売されることを望んでいる」という記述。ミックス・ダウンまで完了しているということはこの曲がプライベート・レコーディングやデモ・バージョンなどではなく、ビートルズがビートルズとして正式にレコーディングした「完成していた曲」である可能性が高い。ところがレコーディングはおろか、そのような曲をミックス・ダウンしたという記録さえ全く皆無なのである。これは一体どういうことなのであろうか?今まで誰にも語られることの無かった、それもほとんど完成していた未発表曲が本当に存在するのであれば、これは世界のビートルズ・ファンにとって大事件である。

キーワード(3)「紛失」

 記事中の「1968年のスタジオ収録中に紛失していた曲である」という記述に注目してみる。マスターテープが紛失する最も可能性の高い理由は「盗難」である。この曲に関する記録が全く残っていない事を考えると、マスターテープそのものがEMIの倉庫に存在しなかったのは事実だと思われる。当時のレコード会社のテープ管理はずさんを極めていたので「何者かがマスター・テープをこっそり持ち去った」という可能性は十分に考えられる。レコード会社が過去の録音物の管理システムを強化し始めたのはずいぶん後、つい最近の話である。

 紛失が「盗難された」でも「倉庫の奥に隠れていた」でも構わない。問題は「どうして今頃になってひょっこり見つかったのか?」という一点につきる。昨年発表されたビートルズのレア・トラック集大成「アンソロジー・シリーズ」を編集する際には世界中のありとあらゆるところから、これ以上は無理だというくらいにビートルズの音源、映像が集められたという。それなのに本家本元EMIの倉庫から今頃になって「偶然に見つかった」のだろうか? 今までだれもこの曲のことを語らず、記録にも一切残っていない。つい最近まで存在さえ知られていなかった。怪しい。どうも怪しい。この「ビートルズの未発表曲」が存在が公になっては困る事でもあったのだろうか。

 最後に興味深いエピソードをお伝えする。米国の音楽雑誌「ローリングストーン」の1969年9月17日号に掲載された実しやかな「ビートルズの噂」、現在に至るまで真偽のほどは不明である

「当時、ビートルズは新作のレコーディングを行なっていた。ミックスダウンもほぼ完了し、あと少しで完成というとこまろで来ていたそんなある日、EMIの倉庫に何者かが侵入しマスターテープが盗まれてしまう。必死の捜索の末、マスターテープの所在を突き止めることに成功する。EMIとキャピタルは莫大な身代金を支払い、やっとのことでマスターテープを取り戻したのだが税関のX線検査でテープの録音が消されてしまった。」

 火のないところに煙は立つのか? すべてはこの夏、明らかにされる。