総括1998



まえがき

この原稿は直前まで何度も書き直した。中でも触れているのだが、書いている最中でも事態は刻々と推移しているからである。それは今年が終わる直前まで同じ事だと思うのでとりあえずこの文章を公開した日(1998.12.21)現在の状況を踏まえた気持ちであるということにする。つまり状況によっては内容が事実と反することもありうるということである。

まずは今年の総括

とにかく今年は酷い年だった。「ああ、あれは良かったな」とか「楽しかったな」などと思い出せるようなことは何一つとして無かった。仕事でもプライベートでも今思い出せるのは、怒っていたり、落ち込んでいたりする自分の姿ばかりである。本当にろくなことが無かった。

だいたい今年は正月から嫌な予感はしていたのである。去年の大晦日から体調を崩し始め、紅白歌合戦を見終える頃には完全にダウンしてしまい。明けた元旦から3日間、初詣にも行かず、お節料理も食べず、ただただ床に伏せっていた。その後、これといって大きな病気をしたわけではないが一年を通して体調はあまり良くなかった。常にどこか調子が悪いのだ。こんなに調子の悪かった年はかつて無かった。体調が良くないってのは、根本的に駄目である。

そんな体調最悪の時に、辛かったり悲しかったりする事が次から次へと起こった。詳しく書いていたらきりが無いほどたくさん起こったのである。肉体的な苦痛に精神的な苦痛が重なって、一年を通じての大半が憂鬱な状態であった。初めの頃は、ことあるごとに憂鬱になっていたが、最後の方ではかなりヘビーな事柄でも自分でも驚くほど冷静に対応するようになっていた。もう疲れてしまったのである。これ以上、憂鬱になることは無いというところまで落ちてしまったのである。どんな悲しみでも最高値に達すると、悲しみを越えてあきらめとなりそれ以上の苦痛は感じなくなる、ということを実感した。ガックリする元気も無かったと言うことなのだろうか?慣れるってのは恐ろしいことである。

僕の憂鬱におおむね共通しているのは、とにかく「この人の為に何かをしなくては」と思う事に対して、何もできなかった自分の存在というものが腹立たしく、情けないということである。いくら自分を主張し、異議申し立てをしたところで、何も変えることができない自分の無力というものを痛感した一年であった。迷惑をかけてしまった方々に対しては心から申し訳なく思っている。口でああだこうだ言っていても、実際に何かを変えることができなければそれはただのポーズに過ぎないのだ。結局、僕はポーズしかしていなかったのである。ポーズしかしていなかった自分に気付き、その度に挫折感や悲壮感に苛まれていた。そして自己嫌悪。そんな毎日であった。全く持って情けないの一言に尽きる。最低。

そんな訳で、なんとなく憂鬱な日々は最後まで続き、今年も終わろうとしている。最後の最後まで性懲りもなく持ち続けていた微かな希望さえも完全にうち砕かれ今では何の希望も無くなってしまった。ここまで来ると、あまりの事に失望感よりも、却って安堵感さえ持ってしまった。最後の希望さえも完全に駄目になってしまったことで、ある意味ホッとしたのだろう。「もう、これ以上は無いだろう」と。納得したわけではないが、とりあえず終息には向かっている。

来年の目標

一年単位で目標なんて立てた経験が無いのだが、今年の酷さもあり、来年に向けて何か目標を持つというのも悪くはないかなという気持ちになってきた。とりあえず「こんなことがしたい」という面と「こんな人になりたい」という面から、できるだけ具体的にこれをやるぞ!という目標を立てることにする。こんなふうにWWWで目標を公開すればあとには引けないだろうという逆の効果もしていたりする(苦笑)。

強靱な肉体を造る。

精神的なプレッシャーは肉体的にもかなり苦痛である。今年の体調の悪さはほとんどここから来ている。そんなことを踏まえ、少し体を鍛えて肉体的にも精神的にも頑丈にしておこうと思う。ムキムキの筋肉マンみたいになるつもりは無いけれど、Tシャツが似合うぐらいにはしておきたい(Tシャツが似合わないってのは結構不便なのだ)。ファッションはやっぱり服だけじゃなくて、肉体からデザインしていかないと駄目。「痩せてて病人みたい」と言われたときにはちょっとショックだったしね(笑)。具体的にはスポーツクラブに入会するとか(似合わないねえ)。

英語を勉強する。

別に英語でなくても良いんだけど、一番手っ取り早いかと思ったので。やっぱり異なる言語を学ぶって事は、しゃべれるうんぬんではなくて違う物の見方ができるようになると言うことだと思う。あと、英語が理解できると便利だってのもある。映画が字幕なしで見られるとか、音楽でも同じ。直訳だけでは伝わることのない細かいニュアンスが理解できるようになればいろんなことが見えてくるようになると思う。具体的には英会話スクールに通うとか・・・

JAVAをマスターする。

英語と同じように、プログラミングでも違う表現方法を身につければ現状の表現方法(C++など)との共通点、異なる点を理解することによって初めて見えてくる物があると思う。特にプログラミングに対する考え方などは、より明確になるはずである。今後の仕事でも直接役に立つとは思えないが無駄にはならないはず。具体的には何らかのアプリケーションを作れるところまで行きたい。

音楽に決着をつける。

音楽は僕にとってコーヒーを飲むのと同じぐらい、自然で日常的な事である。ここ最近は受動的に接することがほとんどだったのだが何とか音楽と僕の関係についての決着を付けたいと思う。これによって終わりになるのか、今後も続くことになるのか分からないがとりあえず現時点での何らかの答えを出し、形にしておきたい。具体的にはDTM環境の再構築、音楽的視野の拡大、作曲活動の復活など。

デザインのある生活。

デザインがやりたいというのは以前からの願望であった。やはり今、自分がやりたいことがあるならばそれを心おきなく実践しておくべきなのだとこの年になって思う。やりたいと思っているうちが花なのだ。まずはデザインの環境構築、パソコン、プリンタ、ソフトを買い揃え引っ込みの付かない状況へ自分を追い込むことから始めよう。そして、とにかく作品を作りまくる。最初はクオリティーよりも数をこなすことの方が大切である。これは物を作るということにおいて全てに共通する。音楽でもプログラミングでも同じ事。

ニューヨークに行く。

特にニューヨークには思い入れはないのだが具体的な目標としてわかりやすい土地を選んだまでである。違う場所、違う環境に身をさらすことで自分がそういう存在なのかが少しでも分かれば良い。とにかく今とは全然違うところに行っていろんな物を見たり聞いたりして、全く違う感覚を肌で感じたい。僕の知る限りではニューヨークは、そんな感覚的な刺激がもっとも濃厚な場所だろうと思う。

人と会う。

父親の言葉で最も印象に残っているのが「とにかく人に会わなければ何も始まらない」というのがある。何気ない会話の中でポロッとでた言葉なのだが妙に納得した覚えがある。どちらかというと今までは人との交流を意図的に避ける傾向があったのでは自分で思い当たる節があるので、今年はできるだけ積極的に人との交流を心がけるようにしようと思う。具体的に何をどうすれば良いのかはまだ分からないのだが・・・

もういろいろと考えるのにも疲れたし、うんざりである。今年という年をとっとと終わりにしよう。僕にとっても皆さんにとっても来年が素晴らしい年でありますように。