「タイタニック」で泣けない理由



「刑事プリオ」ってのはいかがなものか?

下馬評通りのアカデミー賞の授賞式も終わり(11部門だっけか?)やっと一段落ついた感のある今回の「タイタニック」騒ぎ。皆さんはもうご覧になりましたか?。「もののけ姫」が塗り替えた観客動員数記録を「タイタニック」はあっさり塗り替えたようで、そのフィーバーぶり(死語?)はかなりのものだったようだ。猫も杓子もとは良く言ったもので、普段あまり映画を見ないような人々が足を運ばなければこれだけの記録はちょっと出ない。それに一度見た人が再び見に行くというリピーターの存在も無視する事はできないだろう。憧れのデュカプリオ様(以下、刑事プリオ)の勇姿を繰り返し見に行った人も結構多いはずである。それにしても凄い動員力だった。とにかくこれはもう異常事態と言っても過言では無い。

かく言う僕も友人に誘われるまま、なんとなく「タイタニック」を見に行ったのであった。見に行っておいてこんな事を言うのも何なのだが、おそらく誰かに誘われなければ見に行く事は無かったであろう。それはいろんなマスコミに登場していた「タイタニック」の前評判を見るにつけ、個人的に好きなタイプの映画ではないだろうと思っていたからである。特に気になったのが「SFXだけでなくラブストーリーとしても楽しめる」という記述だ。今までの経験から「***としても楽しめる」という表現がなされた場合は、実際にはその***の部分は楽しめないことが多い。まず、これで興味を失っていた。それにお追い討ちをかけたのがマスコミの異常な程の持ち上げ方である。やれ話題作だの、アカデミー最有力候補だの、歴史に残る名作だの、莫大な制作費がどうだの、全米で何週間連続No.1だのどれを見ても「感動巨編」的な事しか載せていない。芸があるわけでも才能があるわけでも無く、それほど美人でもない若手女性タレントを賛辞するために「セクシーですね」という言葉を用いるのと酷似している。まるで報道規制でも敷かれたかのような絶対的な称賛の嵐。何がなんでも見に行かなくては、と急き立てられているようで感じが悪かった。思い起こせば「E.T」が大ヒットを飛ばしていた時にも同じような気持ちになった記憶がある(未だに見てない)。

言うまでもなく、人の好みは千差万別である。アクションが好きな人もいれば恋愛物が好きな人もいる。そんな中でこれだけ多くの人が揃って絶賛するということは作品としての完成度はそれなりのレベルに達していると創造できる。誰が見ても「駄作」と呼ばれる作品は間違いなく存在するのだからそれなりにしっかりした作りになっているのだろう。しかしこれは逆の観点から見ると、いろんな人にとって「平均的に良くできた作品」、100人中90人ぐらいが75点をつける作品とも言えるのではないだろうか。平均点は高いものの、個人レベルで考えると75点なのである。何が言いたいのかというと100人中5人が95点を付ける作品でその5人に自分が含まれていた場合、こちらの方がその人にとっては面白い作品ということになる。自分の嗜好にピタリとくる作品がその人にとってより良い映画なのではないだろうか。当たり前と言えば当たり前の事なのだが、そういう自分の「スイート・スポット」を自覚している場合、「平均的に良くできた作品」には魅力を感じないのである。(だってそんな映画だったら山ほどあるじゃん!)

「タイタニック」を見る前に

僕が映画館へ足を運ぶ回数は月に1〜2本というところなのだがこれは平均的な日本人よりも多いのだろうか?もちろん全く見ない時もあるし、毎週のように見に行く時もある。ビデオで映画を見るとなると、こちらはかなり数が増えて週に2〜3本は必ず見る。(仕事上の都合でこれが限度、それ以上は時間が取れない)これは僕がテレビをほとんど見ないことに起因していて、一般の人がテレビを見る時間がそのまま映画を見ている時間と考えてもらえば良い。はっきり言って見たいTV番組なんかほとんど無いのだ。たくさんの映画を見ていると、その作品が自分にとって好みであるかそうで無いかが見る前から何となく分かるようになってくる。それは作品のタイトルであったり、スタッフの顔ぶれであったり、ポスターのデザインであったりと様々なのだがそんな中からその映画の雰囲気を嗅ぎ取っいくのである。そして、これが以外と当たるようになってくるから面白い。

で、「タイタニック」はどうだったのかと言うと、まず監督がジェームスキャメロンだというのが気になった。この人は「ターミネーター2」などに代表されるように「SFXの達人」といったイメージしか僕には無かった。タイタニックを沈没させるぐらいはお手の物なのだろうが、本当に「感動巨編」なるものを撮ることができるのだろうか?。当たり前だが、映画というものはエンターテイメント性抜きでは語ることはできない。今回の場合、実物台のタイタニック1/1スケールモデル(本当に作っちゃうのは凄いね)を駆使した「大型客船沈没ショー」的な側面はどうしても避けられない。多くの人々にとって「タイタニックが如何に沈没するのか」が最大の関心事の一つであったことは間違いないだろう。タイタニックが沈むってことは既に知っている訳だし、映画の大半はそのシーンに時間が割かれるはずである。そんな中で壮大なラブ・ストーリーを展開させることが本当にできるのか?ジェームス・キャメロンが?どう考えても、こちらの期待を裏切るような結果にはならないような気がする。考えれば考えるほど、期待できない作品に相対するのは何とも複雑な心境である。こんな穿った意識で映画を見ることに異議のある人もいるかとは思うが監督はそういう視点で見られてしまうことを作る前から分かっているはずである。そんなプレッシャーを全部受け入れて、作品を作るのが映画監督の責任でもある。例えばティム・バートンは、独特の世界観を持ち込んで「バットマン」を単なるヒーロー物に終わらない作品にした。宮崎駿は見事な脚本と演出で「ルパン三世 カリオストロの城」というそれまでのルパンとは別格の作品にした。これらの作品が優秀であることはそれ以降に作られた続編が、どれだけパッとしない作品かを見れば明らかである。監督はどんな不利な状況下でも「観客を楽しませる」という責任がある、と僕は考える。

というわけで見る前から既に、この映画は自分向きでは無いかもしれないなあと、自分から見に行く事はまず無いだろうなあとは思っていた。でもまあ、絶対に見ないぞ!って訳では無かったし、せっかく誘われたのを断るのも何なので、そのまま見に行く事にしたというわけである。(良い意味で)予想を裏切ってくれることを期待しつつ・・・

「タイタニック」は「感動巨編」なのか?

で、見た結果「やっぱり」であった(苦笑)。まず最初に言っておかなければならないのは注目の沈没シーンである。これは文句無く「見事な沈没ぶり」であった。さすがキャメロンである。タイタニック沈没について、かなり正確な調査を行なった上での撮影であるはずだから、あれが実際に起こったことだと考えると、それだけで恐怖感さえ覚える。とにかく素晴らしい出来である。

問題はここからだ。鳴り物入りの「感動巨編」ということなのだが、ついに最後まで感動することは無かった。もちろん涙など一滴も出なかった。言い出したらきりがないのだがとにかく脚本が全然なっていない。ストーリーが全然面白くないのだ。ご存じの通り「タイタニック」に付随するストーリーは「貧乏な男と金持ちの女の叶わぬ恋」という、もう百万回も使われたプロットが基本になっている。これだけ使い古されたストーリーに感情移入させるようにするためには人物の設定や背景、演出などがことさら重要になってくる。しかしながら「タイタニック」ではこの部分が完全に欠落していた。男が登場して、女が登場して、恋に落ちて、船が沈没、二人は悲劇の最後を迎える、というものすごーく普通の物語が、ものすごーく普通に進行していく。人物描写がことさらなおざりにされているとしか言いようがない。それが証拠にヒーロー、ヒロイン、悪役の区別は、そのほとんどを役者の「見た目」に頼っている。特に悪役の「金持ちのボンボン」の見た目は笑えるぐらい「悪役」と言う感じで僕は失笑を禁じ得なかった(あの目張りは何なの?)。

主要な部分を構成する二人がだんだんと惹かれあっていく、という流れもまったくお粗末である。こっちがびっくりするほど刑事プリオに都合の良いようにストーリーが展開していく。恋愛ってそんなに簡単じゃないと思うんだけど・・・とにかく作りがあまりにも安直である。有名な「船首で両手を広げるシーン」なんかはこっちが恥ずかしくなってまともに見ていられなかった。もうちょっと何とかならなかったのか?

冒頭と最後に挿入される「年を取ったヒロインが回想する」という設定もあまりにもありふれた手法だし、とにかく「この映画ならでは」ってものが全く無いのだ(見事な沈没シーン以外は)。本当にみんなこれで感動したの? どこに? これがアカデミー賞なの?

こういう見方はどうだろうか? この映画の主役は「刑事プリオ」なのか「タイタニック号」なのかという視点である。例えばタイタニックの沈没シーンがもっと貧弱なものだったと仮定する。それでもこの映画は成立するだろうか。反対に刑事プリオが主役でなくても、極端に言えばストーリーがもう少し違っていたと仮定する。それでもこの映画は成立するだろうか。

僕の感想では前者は「成立しない」、後者は「成立する」である。つまりこの映画、ストーリーはさほど重要では無かったのではないかと思う。見るからに王子様的「刑事プリオ」演じるヒーロー、かわいそうなヒロイン、一目でそれとわかる悪役、あたりさわりのないストーリー。あとは、タイタニックがきちんと沈没してくれさえすれば万事OK、めでたしめでたし、ということではないのか?

駄作だと言っているわけではない。先に述べたように100人中70人が75点を付ける作品だと言える。これだけの話題作で75点を取るのは大変である。しかしこれが「感動巨編」なのか?アカデミー賞を総なめにするような作品なのか?いかにもといったキャスティングで、いかにもといったストーリーで、いかにもといった結末では涙など出るはずも無い。すべてが無難すぎる。これでは感情が動かないのは当たり前だ。沈没シーンが見事だっただけに残念でならない。僕なら「タイタニック」をこう位置づける。

「巨大客船沈没ショー+トレンディードラマ」

滅茶苦茶に反感を買いそうな結論だが(笑)以上が僕の「タイタニックが泣けない理由」である。「感動で涙が止まらなかった」という人には非常に申し訳ない話なのだが、前にも述べたとおり人の好みは千差万別。ただ単純に僕は「タイタニック」で泣けなかった、それだけの話である。これを「ひねた性格」と言われてしまえばそれまでだが・・・

おまけ「タイタニックの真実」

邪推ではあるがこんな事を考えた。このところアカデミー賞を受賞する映画は地味な作品が多かった。簡単に言うと評価は非常に高いのだが、興行成績が良くない作品だ。去年の作品賞である「イングリッシュ・ペイメント」を見た人はどの位いるのだろうか?「タイタニック」の比では無いはずである。それもそのはず、今やハリウッドの屋台骨を支えているのはテクノロジーを駆使した「超SFX大作」なのは明白である。「インディペンデンス・デイ」や「メン・イン・ブラック」などの大ヒットは記憶に新しい。しかし「超SFX大作」ばかりでは独自色を出すのが徐々に困難になってくる。現に、少し前まではSF映画といえば「スター・ウォーズ」のような宇宙戦争ものと相場が決まっていたのが今では殆ど見られない。手を変え品を変え「超SFX大作」を作り続けてきたのだ。

また、ハリウッド黄金時代を支えてきた「名作」とよばれる作品。つまり「風と共に去りぬ」や「ベン・ハー」、「ゴッド・ファーザー」のような内容的にも興行的にも優れている作品、歴史に残るような作品というのがここ最近全くと言っていいほど発表されていなかった。いくら商売と言えども映画会社は文化的貢献を行うべき責任を伴わざるを得ない。そろそろ「名作」と呼ばれる作品を送りだしておかなければ映画年表の90年代の欄には記入すべき作品が無いと言うことになる。これではまずい。

ということでハリウッドは「名作」であり「超SFX大作」である映画を制作することが緊急課題であったのだ。もうお分かりの通り、これにピタリとくる(ようにお膳立てされた)作品、それが「タイタニック」だったのだ。まず、SFX界きっての実力者キャメロンを監督に起用、莫大な制作費と度肝を抜くセットで話題を集める。主演は人気沸騰中の刑事プリオ、誰もが感動する王道的な(当たり障りのない)ラブ・ストーリーを交えて大々的に宣伝する。主題歌はもちろんセリーヌ・ディオン。この時点で興行的な大ヒットは約束されたと言っても過言ではないだろう(実際にそうなった)。そしてもう一つの要求である「名作」の肩書き。これはアカデミー賞11部門を受賞する(させる?)ことで問答無用に確定した。「タイタニック」は間違いなく映画史にその名を刻むことができたのである。陰謀説を唱えるつもりなどさらさら無いが、ひょっとしてこれって

Too Much Monkey Business!

なのか? まさかねえ。でもひょっとして・・・恐るべしハリウッド(笑)。

「タイタニック」なみに長い文章になってしまった(笑)。

追記:その後、「ひねた性格」を通り越して「鬼の心を持つ男」と言われてしまった。いくらなんでも「鬼」は無いんじゃない?(苦笑)。