音楽という魔物(4:ジャンルって何?)



 CDを買うようになってから早10数年が経つ。と言うか、自分でお金を出してCDを買うようになったのはCDという媒体が登場した直後だったのでそのままCDの歴史と共に歩んできたといった方が近いのかもしれない。正にCD世代という言葉がぴったりくる。

 そのCDが初めて登場したその頃、世間はまだまだアナログレコード全盛時代であった。そんな中、レコード屋の片隅に設けられた小さな「CDコーナー」にCDはひっそりと置かれていた。カタログ数もまだそのすべてが覚えられるくらいの数しか存在しなかった。いつかはすべてがCDになるのかもしれないが、まだまだレコードの時代が続くとほとんどの人が思っていたのではないかと思う。

 CDを聴くには当然CDプレーヤーが無くてはならない。当時、中学生だった僕にはちょっとやそっとでは手が出ない代物だったがそれでも友人たちと比べるとその購入時期はかなり早かった。おそらくクラスで最初にCDプレーヤーを買ったのは僕だったのではないだろうか。

 しかしとりあえずプレーヤーを買ってみたのはいいけれど、CDそれ自体が当時1枚3000円が相場だった。ピンクフロイドの「狂気」なんて3200円もしたのだ。まだお小遣いをもらっていた立場としては月に一枚買うのがやっと。そんな中なんとかやりくりをしてそのコレクションを地道に増やしていくという生活が続いた。それでも半年経ってやっと5枚とかそんな感じである。そんな数少ないCDを空きもせず繰り返し繰り返し聴いていたのを思い出す。1枚のCDに対する執着心に関してはあの当時を上回ることはもう無いだろう。だってそれしか手元にないのだから。それはそれは熱心に聴いていたものだ。

 あっという間に時代は流れ、レコード屋という言葉の響きはかつて全盛を誇ったレコードに対してのノスタルジー然としたものになり果てた。今や店には星の数ほどのCDが所狭しと並べられている。昔、店の片隅にあった「CDコーナー」は「アナログコーナー」に取って代わり、あえて「アナログレコード」と表現するようになったレコード盤は音楽を聴くための媒体という本来の目的とは別の意味(価値)を持ち始めた。CDがこんなに急速に普及するなどとだれが予測しただろう。僕の世代はそんな大きなシステムの変化を目の当たりにするタイミングにいたのだと今から考えると思う。将来、年をとって「かつてアナログレコードという媒体があったのだ」と若い人たちにその事実を伝える日がくるのだろう。

 CDを初めて見たときはその硬質なプラスチックの感触と七色に光る盤面にひどくハイテクな印象を持った記憶がある。もちろん今ではそんなことを言う人はいない。これはCDという媒体が完全に市民権を得た証拠といえるだろう。今や僕の部屋には4桁に迫ろうかという位のCDが所狭しと並んでいる。

 CD世代としては見逃せない大きな恩恵がある。それは新作も旧譜も同じように店頭に並べられるということだ。つまりCD化にともなう旧譜の再発である。かつてのアナログレコードとして世に出された物のうち何パーセントぐらいがCD化されたのかは見当もつかないが、まあ余程の物でない限りはCDとして入手することができるのだろう。僕のようなCD世代にはそれが新作であろうと旧譜であろうとそんなことは全く関係なくまるで「新作」のごとくその音楽に接することができるのだ。個人的なことを言えば僕が購入するCDのそのほとんどはいわゆる「旧譜」に分類される物である。これは決して新譜、旧譜を意識しているのではない。僕にとってはどちらも新作なのである。新旧取り混ぜて星の数ほどのCDが同じレベルで並べられているというある種の混沌の時代を迎えているのかもしれない。たくさんの音源にアクセスできるということは音楽好きとってはうれしいことではある。しかし同時に困ったことも無いわけではない。それは店に並べられるときに勝手気ままに割り付けられる「ジャンル」というやつである。

 大概のCD店はロック、ポップス、ブラック、ジャズ、クラシック、そして邦楽といった具合にそれぞれのコーナーが設けてあり、さらにその中ででアルファベット順(あいうえお順)に並べられていることが多い。ちょっと大きな店になるとロックの中でもハードロック、ポップス、ヘビィ・メタルとさらに細分化されている。クラシックはその楽曲の構成(交響曲、ピアノソロなど)や作曲家別、下手をするとレーベルごとに分類されている。ブラックミュージックはさらに複雑でソウルやダンス、ディスコ、R&B、ラップ、ボーカル(?)、など誰がどれに属するのかちょっと考えなければ分からないほど細かく分かれている。

 例えばダイアナ・ロスを買いに行ったときなんかはちょっと迷ってしまった。ちなみにバージンレコード新宿店ではブラック、ソウル、女性ボーカルのコーナーに置かれていた。ダイアナ・ロスがソウルのコーナーにあるのは正しいかどうかは別にしてこんな感じでそれぞれのアーチストがそれぞれのジャンルに区分けされ配置されている。もちろんダイアナ・ロス自身がそのコーナーに置いてくれというような指示を出しているわけではない。レコード店が自らの判断で整理しているにすぎないのだ。

 CD屋で最も売り上げが高いのは当然チャートの上位にランクされているものだろう(これは考え方が逆なのだが)。これらについては大概の店が「新作のコーナー」とか「当店の売り上げベスト30」なんてコーナーを設けていて、そこに行けば容易に見つけることができる。またそのジャンル分けが明白に判断できるようなアーチストの場合もそれに該当するコーナーに行けば簡単に見つけることができるだろう。しかし問題になってくるのは、どうジャンル分けすればよいのかがはっきりしないアーチストの場合である。この場合、巨大な店内を虱潰しに探し回らなければいけなくなってしまう。

 まず困ったのがバラネスク・カルテット。ピアノ・レッスンで有名になった現代音楽家のマイケル・ナイマン自身が率いるバンドで長く活動している主席バイオリニストが結成したストリング・カルテットである。元々はナイマンの作曲した現代音楽などを演奏しているのだが、それだけにとどまらずクラシック以外の曲、たとえばクラフトワークなどの曲を自ら斬新で過激な編曲を行い、原型をぎりぎりとどめているといった感じで「カバー」したりしている。最近、このバンドがYMOをカバーしたアルバムを発表したという噂を耳にした。さっそく購入しようとCD店に行ったのだがこれがなかなか見つからない。日本発売されていることは確実なのだが、CD店のどのコーナーを探せばよいのか分からないのだ。

 まずはクラシック、現代音楽、カルテットのコーナーを探す。無い。次に「YMO関連」というコーナーを探す。無い。次にロック&ポップス、テクノのコーナーを探す。無い。映画音楽、作曲家、マイケル・ナイマンのコーナーを探す。無い。あちこちのCD店をかなり探しまわったのだが結局見つけることはできなかった。結局、タワーレコードのオンラインショッピングでようやく発見し、そのまま注文、めでたく一週間後に入手することができた。

 次にクインシー・ジョーンズ。彼のバンドが1963年当時のヒット曲をカバーしたアルバムがあるという情報を入手。さっそくCD屋へ。ブラックミュージック、ソウルのコーナーを探す。無い。ロック&ポップスのコーナーを探す。無い。ブラックミュージック、ダンスのコーナーを探す。無い。ジャズ、ボーカルのコーナーを探す。無い。ジャズ、フュージョンのコーナーを探す。無い。ジャズ、アンサンブルのコーナーを探す。あった!! でもアンサンブルってなんだ?

 次はフランク・シナトラ。世界一周旅行をコンセプトとして、それぞれの都市をイメージした曲を盛り込んだアルバムがあるという情報を入手。シナトラがコンセプトアルバム? さっそくCD屋へ。ここで問題です、いったいこのアルバムはどのコーナーにあるのでしょうか?正解はジャズ、ボーカル、男性ボーカルのコーナーです。シナトラといえばマイ・ウェイというイメージしか持っていなかったのが悪いのかもしれないがジャズのコーナーにたどり着くまでにかなりの時間を要した。ポップスとかオールディーズ、ボーカルなんていうコーナーを血眼になって探した末の結果である(ちなみに内容は最高でした!)

 イギリスの若手バンド達が007のテーマ曲をカバーしたアルバムが発売されたという情報を入手。生粋の007ファンとしては見逃せない好企画である。さっそくCD屋へ。ロック&ポップス、トリビュートのコーナーを探す。無い。サウンドトラック、アクション、007のコーナーを探す。無い。ロック&ポップス、オムニバスのコーナーを探す。無い。なんと僕がこのアルバムを見つけたのはダンス、テクノ、DJ、オムニバスのコーナーである。このアルバムを企画したプロデユーサーがその筋では有名なDJだったらしく、よってこの位置に配置されたものと思われる。そんなことを知らない人はどうすればいいのだろう。

 ここまでつらつら書き連ねてみたが、ここ数ヶ月の間だけでもCD店で迷うことが多かった。これほど偏った嗜好のCDを探している人もあんまりいないとは思うのだが(笑)、多かれ少なかれ似たような経験をした人は多いと思う。例えばマイケル・ジャクソンはロック&ポップスにあるかブラック&ソウルにあるか? これは店の人もお客も悩むところである。両方に置いてある店も少なくない。

 そもそも音楽の「ジャンル」とは何なのか?レコード産業の創世記を調べてみると、レコード会社のレーベルによる区分けという概念がそもそもの発端ではないかというような気がする。当時はそれぞれのレーベルがそれぞれ音楽的なカラーを持っていた。曲を作るのは作曲家、詩を書くのは作詞家、演奏はスタジオミュージシャン、歌手は渡された歌を歌うだけである。つまりレコードのカラーを決定づけていたのはコンポーザーだったのである。当時のレコード会社の強みは、どんな歌手が所属しているかではなく、実力がある作曲家が何人所属しているかで決まっていたのである。音楽それ自体が力を持っていた健全な時代といえる。各コンポーザーにはそれぞれの得意分野があるのは当然である。バラードが得意な人。コミカルな曲が得意な人。ダンサンブルな曲が得意な人、それが必然的にそのレコード会社のカラーとなるわけである。

 例を挙げるとモータウンレーベルはソフィスティケイトされたソウルミュージックが得意だった。ダイアナ・ロス、リトル・スティービー・ワンダー、ジャクソンファイブ、マービン・ゲイとくればなんとなくお分かりであろうか。それに対抗するスタックス・レーベルはネイティブな黒人音楽を売りにしていた。ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、スライ&ファミリーストーンとくればこちらもお分かりであろう。詳しくは知らないのだが、いわゆるポップスやクラシック、ジャズなどもレーベルによってある程度の「ジャンル分け」がなされていたようである。購買者はレコード会社を選ぶだけで、だいたいのカラー、つまりジャンルを選定することができたのである。そういう意味では音楽のジャンルというものが昔の方がより遙かに明確で分かりやすかったと言える。

 しかし時代は流れ、レコード会社によるカラーという概念が徐々に崩壊していくことになる。プレスリーがカントリーレーベルのサン・レコードから、ビートルズがクラシックで有名だったEMIからデビューする。そしてシンガー・ソング・ライター全盛の時代へと急速に移行を始めるレコード会社は実力のあるアーチストと次々に契約し、アーチスト自身が作詞、作曲、演奏、そして歌うのが当たり前になってくると、レコード会社のカラーは当然、曖昧になってくる。一つのレコード会社がいろんなジャンルの音楽を発売するようになってきたのだ。そうなった現在、ジャンル分けとは「なんとなく」されているというのが実際のところだろう。誰か(おそらくメディア)が、新しいジャンルの誕生!みたいなことを言うとそれに追随してそのジャンルを名乗るレコードが発売される。たとえばそれがジャズの亜流のような音楽であったとしても「フュージョン」という看板がありさえすれば、結果としてジャンルになってしまうのである。ニューウェーブ(最低のネーミングだなこりゃ)が流行した頃は、まるでレコード会社間で談合が行われたかのように各社が「ニューウェーブ」のレコードを出したものだ。比較的新しいところではラップ、ハウス、テクノなども全く同じであろう。音楽の内容よりも看板ありきである。こうなってくると現在のジャンル分けはレコード会社の戦略ではないかと言っても過言ではないだろう。

 僕個人にしてみればいくらジャンルが増えようといっこうに構わない。音楽的につまらない物であるならば「聴かない」だけである。その有象無象のジャンルというやつが「聴きたい」ものにたどり着くまでの障害になるというのであれば話は別である。たくさんCDを出してくれるのはありがたいのだが、それにたどり着くまでの手段についても何とかして欲しい物である。手に入らないんじゃどうしようも無いんだから。提案としては、店にCDを検索する機械があればいいなと思う。アーチスト名やタイトルを入力するとそれがどこにあるのかがわかるような・・・。これだけでかなりスムーズになると思う。

 でも正直な話、CDを探し回るってのもそんなに悪いもんじゃないんだよね(笑)。探している間に意外なものに巡り会ったりして、そんなことが楽しいときもある。欲しいもを手に入れようとしているときが一番楽しいのかもしれない。これはCDのもう一つの楽しみ方ってことで必要悪ということにしとこうかな。

音楽という魔物