デザインワールド



災害危険区域

 近く引っ越しをすることになったので自分の部屋用に家具や照明、テレビなどを購入する事になった。自慢じゃないが僕は生まれてこの方、家具らしい家具など買った事など無い。AV機器などは一通り購入した経験があるのである程度の勝手は分かるのだが机や本棚のようないわゆる「家具」というようなものは普段気に止めたことさえ無いのでどうすれば良いのかさっぱり分からない。例えば現状の相場とかどこで買えばいいのかとか、そういう具体的な話である。まあ、家具なんてそんな頻繁に買うものでもないのだろうけれど。良い機会なので、自分の部屋のレイアウトからインテリアまでを完全に自分の好みで固めようと決心した。(金に糸目はつけないぞ!) 条件としてはこれだけ満たせれば取り敢えず良い。

「映画がゆっくり見れること」
「音楽がまともに聴けること」
「本が読みたいときにすぐ取り出せること」
「洋服がきちんと整理できること」
「パソコンが正しい姿勢で使えること」
「冷暖房が完備されていること」
「一人になれること」

 ちなみに今の僕の部屋はこれらの条件のどれも満たされていない(苦笑)。これって結構贅沢な要求なのだろうか(?)。

 まず絶対に手を付けなければならないのが増殖に増殖を重ねた本とCDの山である。本はまだ何とかなっているのだが、CDはかなり以前からお手上げ状態になっている。収納スペースが無いので半ば強引に積み上げているのだがもう限界である。その高さは、このまま放っておけば半年後には天井に到達するのでは? といったレベルである。おかげで僕の部屋には日光が射し込まない。もちろん下の方に積まれているCDなど取り出すのは不可能。こないだ無理に取り出したらその重みで粉々に割れてしまった。地震など来ようものなら僕はCD倒壊で圧死してしまうのだろう。紛れもなく災害危険区域である。本はとりあえず本棚を買えばいいと思うのだがCDもできれば専用ラックのようなものを購入したい。現在保有しているCDの正確な枚数は分からないが今後のことも考慮にいれれば2000〜3000枚は格納できるようなものが必要である。さらに欲を言えばこれから先、枚数が増えた場合にでも簡単に拡張することができるような設計になっているのが望ましい。そして、シンプルで飽きのこないデザインであること。これは最低条件である。

 20枚程しか格納できないようなプラスティック製のCDラック(というか箱)を良く見かけるが、これは巷の人たちにとってはこれで充分ということなのだろうか? 僕の視点でしか物が見えないので何とも言えないが、月に1枚CDを購入しても一年で12枚、二年で24枚である。CDの売上枚数からいって今の若いもんが月に一枚ってことは無いと思うからこんな箱などあっというまに使い物にならなくなると思うのだが・・・でも、このラック(箱)はかなり頻繁に見かけるので、やはりニーズがあるのだろうか?謎である。あと良く見かけるのは100枚収納を謳った金属製のタワー型CDラックである。デザインはなかなか面白いのだが、それ自体かなり図体がでかくこれを数基も設置できる部屋というのはなかなか存在しないのでは無いだろうか。僕としてはストイックにその収納性を追求したいので(せざるを得ないという話もある)これではダメである。

 東奔西走して必死に探しているのだがなかなか1000枚以上を格納できるラックというのは見つからない。あるにはあるのだがチープな合板でできたなんとも面白味みの無いデザインのものばかりで、家具としては全く美しくない。

妥協して、これを買わなければならないのだろうか?

CD屋にある陳列棚って市販していないのだろうか? Virginに設置されているのなんか結構恰好良いのだが ・・・AからZまでのダグを付けて置けば何がどこにあるのか一目瞭然である。(やっぱりこれって尋常な話じゃないのかなあ)

いかにも「ソニー風」

 次に買わなければならないのがテレビである。これはテレビ番組が見たいのではなく、映画やライブビデオが見たいのである。音響システムはドルビーサラウンドか何かにしてふかふかのソファーに埋もれながら、ゆっくりとその映像と音響の空間に身を委ねる・・・自分の部屋でゆっくり映画を見れるようにするのが僕のささかな夢なのである。テレビを今買うのであれば必然的に流行りの大画面テレビになるのであろう。こちらもいろいろ物色しているのだがどうも気に入るものが見つからない。どれもこれも同じようなつまらないデザインの物ばかりで「テレビなんては映ればいいんだ」とでも言いたげである。その代わりといっては何だが一見しただけでは何のことだかさっぱりわからない機能のオンパレードである。

 純ブラックブラウン管、リアルブラックブラウン管、DBF/Wカソード、3次元Y/C分離回路、動き適応型ガンマ補正回路、エキスパートDCF-2、ワイドバンドDCF、広域帯クシ型フィルター、3次元YNR、DBF/Wカソード、ワイドビジョン水平高画質化回路、ワイドクリアビジョン放送識別回路・・・

いったいどんな機能なのか見当もつかない(笑)。

 テレビを探しているときに気付いたのだが、日本の家電製品ってなぜこんなにも「芸の無い」デザインをしているのだろうか。その形から色から素材に到るまで何の思想も感じられない。その分使い勝手が良いのかと思いきや、そんなこともない。結局ユーザは家電を購入す売るときの指標として価格のみを重視することになる。ここに文化というものは存在しない。

 センスのかけらも無い日本家電業界の中でソニーだけは比較的デザイン的に特徴を醸しだしている。この会社、あきらかにデザインというカテゴリーにある程度の重きを置いているのは間違いない。ウォークマンが大々的に発売された頃、他社からも同じような製品が安く、大量に発売された。(カセットテープより小さいなんてやつもあったっけ)ヘッドフォンステレオなんて機能的にはもう完全に頭打ちでどこの商品を買ったとしても殆ど同じだったのだ。もともと音質を追求できるような代物でも無いし。そうなると当然値崩れが起こる、発売当時は数万円位したと思うのだが今は好みを度外視すれば数千円で購入できるものもあるはずである。そんな競合製品乱立の中にあっても人々はソニーのウォークマンを買い求めたのである。それはモデルチェンジの度に「買いたい」と思わせる斬新(奇抜?)なデザインを採用してきたからだと僕は思っている。それは今での続いている。(最近はそれほどでも無いが・・・)壊れやすいと評判(笑)のソニー製品が他社との差別化を図るためにその「ソニー風」なデザインを武器にして全面に押し出しているということは、他の製品群を見ても明らかである。かつてのベータ盤ビデオ、8mmビデオ、ミニコンポ、MD、デジタルカメラ、テレビ、最近発表されたノートパソコンなども含めいかにも「ソニー風」というデザインワールドが展開されているのが分かる。その世界観は他社製品のそれとは一線を架している。(もちろんそのデザインに対しての好みの問題はあるのだが・・・)

 グラストロンが発表されたときは、そのコンセプトやデザインがあまりにもソニーっぽかったので思わずニヤリとした記憶がある。あんな怪しげなものパナソニックとかじゃ企画さえ通らないんじゃないだろうか。今後もどんどん怪しげなものを開発して欲しいものである。(買う買わないはまた別の話・・・)

 しかしそんな「ソニー風」のデザインでも所詮は、中途半端に近未来風なボディラインを用いているだけのステレオタイプ的似非スタイリッシュさと言った感じで(要はあんまり好みじゃ無いって事)今一歩といた感が否めない。まあ少なくともデザインに気を使っているという姿勢は感じ取ることができるので他のメーカーに比べれば雲泥の差があるのは間違いない(でもあんまり好みじゃない)。とにかくソニー製品も含め、現時点で僕のような一般人が入手可能なテレビの中には「おお、これはっ!」と思うような美しいデザインのテレビは存在しない。

妥協して、ソニーのテレビを買わなければならないのだろうか。

いかにも「未来風」

 海外の家電メーカーはその製品のデザインに対する姿勢が日本とは明らかに異なっていると思われる。そうカッコいい洗濯機や美しい冷蔵庫といったものが存在し得る状態なのである。日本では絶対に考えられないことだ。逆に言うと、洗濯機や冷蔵庫にカッコよさや美しさをもとめる日本人なんてきっと存在しないのであろう。どうにもこうにもつまらん国である。

 僕は「みんなもっと奇抜なデザインにしろ!!」と言っているのではない。普通の購買者として商品を「選ぶ権利」を与えて欲しいだけなのだ。日本に置ける現状ではテレビなんてどこのメーカーのものを買っても全く大差は無い。訳の分からん機能ばかりを付加してユーザを混乱させるのではなくもっとストレートに「見た目」でその違いを示して欲しいのだ。

Too Much Monkey Business!

 メーカーのロゴを隠してもどこの製品かが一発でわかるような、そんな遊び心にも似たコンセプトを持って開発に努めて欲しい。機能ではなくカッコよさにお金を出す人もいるのだ。

 家の父親が仕事の関係で、幕張メッセで開催されていたモーターショーに行ってきた。モーターショーといえばコンパニオンのお姉さん達(笑)と参考出品の未来型自動車ではないだろうか。各社ともそれぞれの思想を反映した未来型自動車を原寸大で出展するのだ。ここに日本と海外のデザインに対するスタンスの微妙な違いがあからさまに示される事になるのだ。日本企業の未来型自動車は流れるようなフォルムと特殊な形のヘッドライト、宇宙船を思わせるような内装、何色ともつかないような微妙なカラーリングといったその斬新さの度合いが非常に優等生的な「いかにも未来型自動車」といった一件奇抜な、でも本当は非常に保守的なものを示し合わせたかのように出展してくる。海外のメーカー、BMWなどは一見したところ日本企業が出展しているものと同類のように見えるのだが、並べて比較してみるとそのデザインの過激さ、アナーキーさは歴然たる物がある。同じ未来型自動車というお題であるにもかかわらずこれほどまでにその解釈、想像力、独創性に開きが出てしまう事に愕然とする他ない。

 市販されている車でも同じことがいえる。海外には信じられないくらい美しく、個性的で斬新なデザインを持つスポーツカーがたくさんある。いちいちその名前を挙げる事はしないが誰しも「あれかな?」と心当たりがあるのだはないだろうか。数年前にホンダが日本を代表するスポーツカーとして満を持して発表したNSXのデザインをその心当たりのある車と比較してみてはどうだろうか。好き嫌いはあるにせよ、NSXにおけるデザインのなんと無難な、優等生的な、冒険心の無い事か。強いて言うならば、大嫌いにはならないが大好きにもなれないデザインといったところか。絶対多数に指示されなくても良いから、こちらがびっくりするようなデザインの車を出して欲しいものである。正しい目を持つ人ならば好き嫌いは別にして、その姿勢を必ず評価するはずである。

「僕は何をするにしてもデザインは極めて重要だと思います。なぜならデザインはより良い製品を作ってくれるからです。つまり、僕は意味も無く重要だと思っているのでは無くより良いより良い製品を作ってくれるからデザインは重要だと思うのです。デザインは製品をより良くするのに、ほとんどの人はデザインに注意を払わない。僕にはそれが理解できない。ネクストは最高の製品を作りたいと思っているので、デザインやユーザーインターフェイス、それから製品の美しさそのものに相当神経を使っていますが別に変わったことをやっているとは思いません。真に優れた製品を作るという意味で、この種のことも仕事の一部だと思っているからです。」スティーブ・ジョブス(Wired august 1995)

もっとデザインを!!