菠薐草



まえがき

 僕が中学生の頃、古典の時間に先生が黒板に「徒然草」と書いて「これを何と読むのかわかるか」と僕等に質問をした。もう誰かは忘れてしまったが、偶然指されたその彼は一抹の不安を抱えながらこう答えた

「ほ、ほうれんそう?」

一瞬の静寂のあとにクラス中が大爆笑になったのは言うまでもない。もうお分かりだとは思うが「徒然草」は「ツレヅレグサ」と読み、「ホウレンソウ」は「菠薐草」と書く。 日記を綴る>>つれづれなるままに>>徒然草>>菠薐草

1997/12/*

 引っ越しの日程がやっと決まった。1998年1月24日、この日を境に晴れて(?)埼玉県民になることになる。うちの父親は一週間前には荷造りを済ませて当日は搬出だけにしよう、言っていたが家の荷物を全て段ボールに詰めたらどんなことになるのかということに気付いていないようだ。はっきり言って寝る所どころかその段ボールさえ家の中に納まるか怪しいと思うのだがどうだろうか。家の荷物はこれ以上省スペースに格納できないというくらいに微妙な組み合わせで収納されているということをお忘れなく。

1997/12/*

 生まれて初めて自分の部屋を持つ事になるわけだ。どうせならその家具やレイアウトに凝りたいものである。どこかに僕の気に入るような家具が一同に会しているような巨大なショールームは無いのだろうか。あちこち動き回るのはめんどくさい。なんでもそうなのだがテレビならテレビ、本棚なら本棚があらゆる種類が全て揃っているような巨大な専門店がそれぞれにあると購入者としては便利なんだけれど。例えばCDを買うときなんかはVirginやHMVがあるじゃないですか、ああいう感じの。そこへ行けば全てを並べて見比べられるようなのがいいんだけどなあ。

 US盤のWiredを呼んでいたら最高にイカす電気スタンドを発見。そのフォルムはまるで宇宙船のようにしなやかで美しい。果たしてこれは日本で入手できるのだろうか? (こういうのって誰に聞けばいいんだ?)

1997/12/*

 自分の部屋が持てるようになったらでっかいテレビを買いたい。これはテレビ番組が見たいのではなく、映画やライブビデオが見たいのです。そして音響システムはやっぱりドルビーサラウンドか何かにしてふかふかのソファーに埋もれながら、ゆっくりとその映像と音響の空間に身を委ねる・・・これが僕のささやかな夢だったのだ。自分専用の映画館っていうのが。しかしながらテレビなんぞ自分で買った事などあるわけもなくどこで買えばいいのか、幾らぐらいするのか、どこのメーカーが良いのかなどさっぱり検討もつかない。取り敢えず秋葉原に行ってありとあらゆるチラシを奪取してくる。大量のチラシとにらめっこをした結果、ある程度のことは分かってきた。いつのまにかテレビはワイド画面が主流になっちゃってること。通常サイズ(あえて通常と呼ぶが)のテレビはどうやら消えゆく運命らしい。ブラウン管のテレビは各社とも36型が最大である。きっとこれ以上はブラウン管の製造に問題があるのだろう。それ以上大きな画面となるとスクリーン投影型になるが、やはりどうしても輝度が低くなってしまう。(六畳間に40型のテレビが必要なのかという話もある)大型テレビはブラウン管、スクリーン型とも大体40〜50万程度。メーカーによってはスクリーン型の方が安い場合さえあるのだ。画面の大きさが即、値段には繋がらないらしい。

 もう今更どうでもいいのだが、なんで日本の家電製品ってこんなにもデザインがつまらないのだろう。メーカーのロゴを隠してもその会社がわかるような製品を出してるのってソニーぐらいだよ。ちょっとくらい値段が上がってもいいから「おおっ、これは!」と思うような斬新なデザインのものを出してくれないかなあ。どれもこれもよくわからん機能ばっかり付加して、見た目は全然美しくない。テレビは映ればいいんだという意見も分からないでも無いが、それでももうちょっとなんとかならないもんだろうか。秋葉原でドイツ製の洗濯機を見たけど、めちゃくちゃ恰好良かったぞ。カッコいいと思わせる洗濯機なんてクールだと思わない? プロダクトデザインについては機会をみてゆっくり書いてみたいと思う。

1997/12/*

 初めて新居を尋ねる。現在の自宅から来るまで一時間ちょい。やっぱり田舎なんだなあと実感する。家自体はもう殆ど出来ていて、あとは壁紙(物理的な方ね)を張ったらおしまいというところだった。僕の部屋(になる予定の部屋)とご対面。ん〜やっぱり思ってたより狭い。こんな部屋に大画面テレビなどおけるのだろうか? その部屋にはまだ壁紙が無いせいか、非常に寂しく憂鬱な印象を受ける。模範囚専用の牢獄といった感じか? 窓の外には栗林が見える(笑)。予想どおり新居の付近一帯は新興住宅街であたりは真新しい(そしてささやかな)家がいっぱい建っている。そしてそれ以外は何も無い(苦笑)。本屋とレコード屋とレンタルビデオ屋が無いと生きていけない体なのでそれだけを必死に探す。取り敢えずビデオレンタル屋は家から10分位のところに発見したのだが如何せん自転車がないと、どうにもこうにも生活できないということが判明した。どうやら本屋とCD屋は近所には無いようだ。これは困った。毎月買う本は決まってるからそれらは年間講読にしようかなあ。CDはインターネットで買うか? あ、電話はISDNにしようよって言わなきゃ。果たして僕の家族はISDNとは何かを理解してくれるだろうか?

1997/12/*

 今日、家にインテリアコーディネーターとかいう肩書の人たちが来た。要は家に付随するオプション部分一式、照明やカーテン、ブラインドなどを手掛けるのが仕事らしい。どうやら建築屋と繋がっているらしい。電話帳程の巨大なパンフレットを三冊も置いていって、この中からお気に入りの照明などを選んでくださいということらしい。こりゃあちこち探しに行く手間が省けて良かったと安直に思いつつペラペラとページをめくってみる。

ブラインド一式 \50000BR> 照明一式 \70000
デザインカーテン \40000

 なんじゃこりゃと思った。こんなべらぼうな値段があるのか! 照明なんてすごーく普通のまあるくて至極つまらないものでもこの値段なのだ。こんなのヤマギワかどっかに行けば2万円弱で買えるんじゃないの?母親はどれにしようかなあと言う感じでゆっくりパンフレットを見ているが僕はすっかり馬鹿馬鹿しくなり、二度と見る事は無かった。

1997/12/*

 またまた謎のインテリアコーディネーターが家にやってきた。新居を見ての独自の見積もりを持ってきたようだ。なんとその見積もり金額、占めて45万円!! 隣の部屋で耳年増になっていた僕は「なんじゃそりゃ!」と口パクで叫んだ。たかが照明とカーテンだけなのにそのべらぼうな値段に驚いたが、そのコーディネーターと名乗る男はその総額から6万円程を値引きしましょうと言ってきた。見積もりってのは照明などの一つ一つの値段が加算された最終結果の金額のはず。それがその総額から一括で値引きすると言ってきたのだ。何のための見積もりなんだ? こんなどんぶり勘定な話があって良いのだろうか? 良いわけがない(反語)。

 ここでついに父親が(静かに)切れた!!暴れたり怒鳴り散らしたりした訳ではないのだが、その方にはその場でお帰り願った。父親曰く「こんな商売のやり方で買う客がいるというのが信じられない」。さすがバリバリの営業マン、同感である。

1997/12/14

 僕の「照明だったらヤマギワとかに行けばいいんじゃないの?」という軽はずみな発言が発端となり、家族総出で近所のヤマギワへ昨今の照明事情を視察(というか冷やかし)に行く。近所にヤマギワがあることは何年も前から知っていたのだが入るのは初めてだった。ただの照明器具のショールームみたいなものだと思っていたのだが、これが予想以上に楽しめる場所だったのだヤマギワはいつの間にか照明だけでなく、インテリアからAV機器まで、総合的なインテリア関連の商品を取り扱う企業になってたらしい。照明はもちろんの事、大画面テレビは一同に会しているは、高級アンプ、スピーカーなどは海外のデザインハウスが設計したようなレアな物まで取りそろえていて品ぞろえは豊富、家具も輸入品を筆頭に豊富にそろえていて、それはもう僕の好みに会うようなものが店中に陳列されているのです。それらを見ているだけでもかなり楽しい時間が過ごせる場所でした。結局なんだかんだで2時間位はそこにいたような気がします。

 で、驚いた事にUS盤のWiredに掲載されていたあの最高にイカす電気スタンドがそこにはあったのです(!)。値段は\35000。このデザインなら惜しくは無い金額だ。今はどうしようかとニタニタしながら熟慮をしている最中である。

1997/12/22

 渋谷の文化村にモネを見に行く。それほど美術に詳しい訳ではないが、ごひいきの画家というのは何人かいる。レンブラント、ルーベンス、ウォーホール、そしてモネ。今回の展覧会は「コーポレート・アート・コレクション展 モネ、ルノワールからピカソまで」というタイトルだったのでこりゃ面白そうだと以前から思っていたのだ。久しぶりに(本当に久しぶりに)渋谷へ単身出掛けていった。

 しかしなんたる事か、タイトルに「モネ」と冠されているにも係わらず、モネの作品はたったの5枚しかない。これはちょっと酷いんでは無いんだろうか。モネは人気のある画家だから思わず付けちゃったのかもしれないけれどやはりだまされたって感じはぬぐえないよねえ。でも、意外な拾い物もあった。タイトルにはその名前さえ出ていないシャガールが20枚以上も展示されていたのだ。「サーカス」という連作で、それのためのスケッチ画までもがそこにはあった。なんだよこっちの方が凄いじゃない。シャガールじゃあ客が来ないのかなあ。

 文化村の地下には美術館の他にオープンカフェらしきもの(地下なのでオープンではない)とこじんまりした美術関連の洋書屋さんがある。それまでは存在は知っていたのだが入ったことは無かった。時間があったのでちょっと覗いてみたのだが、これが大当たり。今すぐにでも入手したいような素敵な美術書が所狭しと並べられていて一日そこにいても飽きないかもしれない程、好みにあっていた。オープンカフェ(らしきもの)は人通りも少なくひんやりとした静かな空間になっていてちょっとコーヒーでも飲みながら読書するには最適、それも渋谷で。いいところを見つけてしまった。

1997/12/23

 映画「タイタニック」を見た。噂には聞いていたがとにかく「でかい」のひと言に尽きる。その沈没のシーンをストイックな分析の元、完璧にシュミレートして見せるというこだわり方も凄いが、原寸大のタイタニックのセットを作っちゃうという神経も凄い。どちらにしろ殆ど病的ですらある。この映画の見どころはデュカプリオのさわやかな笑顔にあるのではなくこの本来ならば相容れない要素が共存しているところにあると思う。だからアメリカ人は面白い。船尾が沈没するシーンなどはどこかの遊園地の乗り物のような楽しさ、いや迫力である。とにかく物凄い映像なら負けないぞという姿勢は「インディペンデンス・デイ」を見たときの印象と殆ど同じである。内容については以上の感想から察して下さい。

1997/12/*

 引っ越しに伴ってパソコン用のテーブルを買わなければならない。もちろんこれについてもかなりの数のチラシを入手したがどれもこれも致命的な欠陥をもった机ばかりである。僕は仕事上、一日中パソコンに向かっていることが多いのだけれどその際に最も気を使うのがキーボードの入力環境である。キーボードを机の奥寄りに配置して肘から先をすべて机の上に乗っけて入力を行なうのだ。はっきり言って肘を中に浮かして文字入力なんかしていたら一時間持たないはずである。しかし、今巷で「パソコン用デスク」と言われているものの殆どはキーボードを正面ぎりぎりに置いて使う事を前提としているようなものばかりである。こんな机を「パソコン専用」と謳うなんて馬鹿にするものいい加減にしろと言いたい。机を作った本人はその机でパソコンなんて使っていないに違いないのだ。肘が置けないということがどのくらい辛い事なのかは使ってみればすぐにわかるはずである。猛省を求める!!。

1997/12/*

 今年ももうすぐ終わる。うっかりしているといつのまにか大晦日になってそばを食べながら紅白を見ている自分に気付く羽目になってしまう。今年は予想どおり安室がトリを取るらしい。ポップス界から、しかも若手ということで個人的には微妙な線だと思っていたのだがNHKも幾らか視聴者のニーズというものを考えるようになってきたということか?ちなみに僕個人としては、社会現象的には興味があるが音楽的には全く持ってどうでも良い部類に入る。「紅白なんて今更・・・」なんてスノッブな考え方はやめて日本の年末恒例イベントとして楽しむのが正解である。ちなみに白組のトリは五木ひろしで「筑摩川」を歌うらしい。どうやら来年の長野五輪に引っかけた人選らしいことが判明。少々無理が無いか? とも思ったが他に誰がいるのかと考えたら適当な人も思いつかないのでこれはこれで良いのであろう。僕はこの曲全く知らないのだが、信頼すべき筋からの情報によると「五木ひろしの中でも最高の曲」という話である。これは楽しみが一つ増えた。

 なんだかんだで結局、家具もテレビもまだ買っていない。こんな調子で本当に引っ越しできるのだろうか? こののんびり感が不安を煽る。でも本当の不安要素は僕よりのんびりしている家族の方だったりもする。

1997/12/25

 僕が新入社員の頃、非常にお世話になった後藤さんが今年いっぱいで退職をする。後藤さんがいなければ今の僕はなかった、といっても過言ではない程に仕事面でも精神面でも影響を受けた人である。パソコンなど触ったこともなかった僕に、嫌な顔一つせず親切に指導をしていただいた。簡易的な送別会にて、そのときでお礼を言うと後藤さんは「先輩が後輩に仕事を教えるのは当たり前の事、嫌な顔しないで教えるのも当然のこと」とあっさり切り返されてしまった。でも当たり前のことを当たり前の事として実行することの難しさは、こんな僕でも少なからず知っています。それっぽい正論を吐く人はたくさんいても、実行が伴わない人のなんと多いことか。そういった意味でとてもシンプルであった後藤さんは僕にとってある種の目標でした。ご享受いただいたゴトーイズムは僕ができるかぎり引き継いでいこうと思っています。来年から始まる新しい職場でのご検討をお祈りいたします。ありがとうございました。

 しかしどうしてうちの会社って優秀な人ばかりがやめていくのだろうか?これってやばいんじゃないの・・・

1997/12/26

 年末と第九は全く関係ありません。この風習は日本だけのものです。なぜこんな風習ができたのかは諸説あるのですがもっとも信憑性があるのは、年末最後のコンサートを満員にして終わりたいからというものです。オーケストラといえども当然コンサートから収入を得ているわけです。日本中にはかなりの数存在しますから有名所はまだしも、なかなか満員にすることは難しいのです。第九はご存じのように第四楽章に合唱があります。合唱には多くの人が必要です(100人ぐらいかな?)。例えばこの合唱隊一人一人の家族がコンサートに来たとします。一人あたり4人として400人、いつもより余計にお客がきます。また出演者が多くなるので、一定枚数のチケットをノルマにすることで確実にさばけるチケットの数が飛躍的に大きくなります。その結果コンサートは満員御礼! というシナリオです。ちょっと夢が無いけれど、音楽で生活していくのは大変なんだなあというところでしょうか。ただ何がしらの記念式典なんかで第九を演奏するということは海外でもよくあります。ベルリンの壁が崩壊したときもバーンスタインが第九を演奏しました。こちらの理由はおそらく「皆知っていて、めちゃくちゃ派手に盛り上がる」というところじゃないでしょうか。確かにめでたいイベントにはよく似合う曲です。