北京渡航記



北京行き決定(初の海外渡航に関する契機とその混乱)

 6月*日、以下のようなメールが到着。なぜか北京へ出張することになる。今、僕が携わっているプロジェクトの一部を北京のBCL(北京軟件有限公司)という会社に発注しているので直接、開発者レベルでの打ち合わせをしましょうという事のようだ。

----------- 以下、メールからの抜粋 -----------

北京出張の日程が決まりましたので、ご連絡致します。

日程
6月15日(日) 移動 NH905便(10:10〜13:15)
16日(月) 9:00〜17:00 現状報告と実現方法の検討
17日(火) 9:00〜17:00 現状報告と実現方法の検討/スケジュール調整
18日(水) 予備日
19日(木) 移動
NH906便(14:50〜19:00)(宿泊は、燕山大酒店を予定)
以上

----------- メールからの抜粋(ここまで) -----------

 いつかは行くことになると思っていたが実際それが決まる時は実にあっさりしたもんである。実はこう見えても(どう見えるのか知らないが・・・)中国どころか海外に行ったことが全く無かったのである。海外へ行くにはパスポートが要るぐらいのことは知っている。がしかしそれ以上のことは全く知識がなかった(ビザってなに?)。とりあえずパスポートを取らなくちゃという事でさっそく東京都庁の旅券課へ行く。そうかそうか、海外へ行くにはいろいろ面倒なことをしなくちゃいけないんだね。これから発生するである手続きの山にちょっとうんざりする。なにしろ初めての海外渡航なので勝手が全然わからない(笑)。現金は幾らぐらい必要なのか、ホテルに浴衣はあるのか(あるわけないな・・・)、成田エクスプレスに乗ればいいのか、ドライヤーを持ってっても使えるのか、中国は暑いのか寒いのかなど細かいことを考え始めたらきりがない。直前の仕事の忙しさも加わって半ば混乱状態に陥る。まあ行けばなんとかなるでしょ・・・。出発の日の朝、僕の大事なカメラが壊れていることに気付く(不吉な予感が・・・)。

中国上陸(海外における自分自身の反応について)

 成田から3時間、ついに中国の地を踏む!(割と近いじゃん)。第一印象、空港内の看板や標識が漢字で書いてあるのがとても異様に感じる。いや漢字で書いてあるということが異様なのじゃなく、英語と混在しているから異様に感じるのだ。日本人だから漢字がわかる。なので看板を遠目に見ると漢字に違和感は感じない。が近づくにつれてそれが全然読めないということ事が分かってくる。これが実に変な気分である。でも英語は遠目に見ても近くで見ても判読が可能、これが混在しているからなおさらその異様さに拍車が掛かるわけだ。丁度漢字コードが違っていて文字化けしているような感覚である。空港中、というか街中文字化け状態(笑)。でも漢字の意味がわかるということだけで結構楽しめることもある。日本のAVメーカーの「パイオニア」は中国表記で「先鋒」、これは笑えた。

 やはり中国は自転車が多い(というか"だらけ")。車に乗っていると車と歩行者、自転車のその無謀(?)な運転にハラハラドキドキする。車道を横切ったり、無理な進入などがは実に平然と行われる。よくよく考えてみると、これで成り立っているのだから逆に運転がうまいとも言える。これに慣れるまでには少し時間が掛かった。中国は今、経済成長の真っ最中。至る所で建築ラッシュである。そのせいか街中が誇りっぽい。高層ビルと昔ながらの建物が混沌としているその様はかつて日本にこれと同じ時期があったであろうことを思わせてくれる。

天安門(北京の人はめったに行かないらしい)

 初日は移動日ということなので仕事は無し(だいたいこの日は日曜日なんだよな)。さっそく天安門を観光することに・・・当然テレビとかでしか見たことが無かったわけだが実際行ってみるとその存在感に圧倒される。日本の建築物には無い、しなやかで堂々とした建築スタイルだ。それ以上に天安門が北京のど真ん中にあるということに驚く。この門の正面が御存知天安門広場なのだがどでかい車道は走ってるしビルは建ってるしで完全に都会の街中である。恥ずかしながら映画「ラストエンペラー」でお馴染みの柴禁城(日本の皇居みたいなもの)の入り口がこの門であるということを初めて知った。テレビじゃこの門の裏側がどうなってるかなんて教えてくれないもんなあ。どうでもいいのだが、この日はとにかく暑かった(気温37度)。ただし湿気が全然ないので体感温度はそれほどでもなかった(でも暑い!)。いよいよ憧れの柴禁城へ潜入する。

柴禁城(溥儀はここから何を見たか)

 天安門を通り抜け柴禁城の入り口へ。この門も天安門に負けず劣らず威圧感を感じさせる。赤い壁に囲まれているので空気まで赤くなったように感じる。かつてはこれが「個人の家の門」だったんだよな。歴史だねえ〜。

 ここを通り抜けると映画でお馴染みのあの広場に視野を囲まれる。想像していたよりはるかに広い、というか巨大な(無駄な)空間である。建築物としてこれほど広い空間の中に入ったことは無いかもしれない。それほどの空間が、皇帝にひれ伏す下部たちで埋め尽くされていたかと思うと気が遠くなる。

 下部の視点から皇帝の視点へ。真ん中の道には皇帝のシンボルである龍の彫刻が施されていてそこは皇帝しか歩くことが許されなかったということだ。映画「ラストエンペラー」では皇帝の権威を象徴するために太陽をイメージした黄色い光がスクリーン全体に広がっていたことを思い出す。あの映画はそのシーンを象徴するためにいろんな照明効果を用いていた。溥儀が皇后に謁見するシーンでは女性をあらわす赤い光が、婚約するシーンではその清らかさを表す白い光が、英国の家庭教師と出会うシーンでは知力を表す緑の光が効果的に使われている。こんどご覧になる機会があったならば注意してみてください。

赤い壁の前で(もしくは柴禁城内での漂流)

 柴禁城はとにかく巨大な建物である。とても一日で見て回れるような代物ではない。そしてどこを向いても赤い壁(壁、壁、壁、壁)。柴禁城全体が赤い壁で統一されいるので常に視覚的に異常な世界が広る。Elvisの自宅に作られた「テレビを見る部屋」というのを見たことがあるが、その時の記憶が蘇ってきた。この二つに共通している物は「色彩による非日常的空間」。

 映画「ラストエンペラー」で溥儀が自転車を乗り回していた路地(というか通路)は、どこまでも赤い壁に挟まれた空間が続く。映画では自転車で走り回ったあげく柴禁城の外は走れないことに失望する姿が描かれていたが、城内を飽きるほど走るには相当な時間が掛かるんじゃないの(笑)。この広大な敷地は迷路のように造られていて、見て回るだけでくたくたになるほど。「日本人観光客、柴禁城で行方不明」なんて話もまんざらではない(笑)。

BCL(北京軟件有限公司)にて

 はじめての中国訪問でどうなることかと思っていたけれど今回一緒にお仕事をさせていただくBCL(北京軟件有限公司)の皆さんとてもに暖かく迎えていただき、少しホッとしました。どうもありがとうございました。開発者は若い方が多く,皆希望に満ちあふれているといった感じでした。今後のお付き合いがとても楽しみです。

 ただでさえプログラムの打ち合わせというのは勘違いや、思いこみが発生しやすいもの。それが違う国の人となるとその懸念はさらに強いものになる。できるだけ誤解を招かないような日本語をこころがけたつもりなんだけれど、これが非常に疲れる(笑)。BCLの方が日本語が上手だったのでとてもありがたかったです。僕が日本語しか話せないことが少し恥ずかしくなりました。今度伺うときには自己紹介くらいは中国語で話せるようにしたいなあ。それが礼儀ってもんですよ。若い人がネイティブな日本語を勉強したいとのことで、連日の会議内容を録音していました。今でも僕のしゃべったことを繰り返し聴いているかと思うとちょっと複雑な心境ではあります(^_^;)。

 仕事のあと懇親会ということで皆さんと会食、そしてなぜかカラオケへ突入。当然、歌本には中国語の歌が満載でどれがどれだか分からない状態(笑)。知ってる曲(洋楽なんですが)が少しだけあったのでそれを歌うことに・・・。「ケアレス・ウィスパー」を選んだのだけれど皆さんの反応がどうなるかが気になって正直ビクビクものでした。が、これがなぜか大受け!(笑)。曲自体は中国語のカバーバージョンが存在するとのことで皆さん御存知でした(ホッ)。

そして日本へ(でもそう簡単には終わらないのだ!)

 すべての日程を終え、いよいよ帰国の途に着くことになった。北京空港から日本行きの便に乗り、座席ベルトを締め、救命胴衣の説明を受ける。これでいよいよ北京ともお別れである・・・・・・と思ったらそうでは無かった!。飛ばないんである、飛行機が。丁度この日、日本は台風の直撃を受けていて、その天候調査のためそのまま足止めを食らってしまった。結局飛び立ったのはそれから5時間後(!)。飛行時間は3時間だから計8時間飛行機に乗ってたのである(それもエコノミー)。日本に着いたのは次の日の午前1時、そんな時間に成田から帰れる訳もなく急遽ホテルで一泊することに・・・(トホホ)

 で、次の日は会社で大事な会議があるのだ(まるでアイドルのようなスケジュール)。この日はまさに台風が東京を直撃した日。いったん自宅に戻りスーツに着替えて会社へとんぼ返りしたのだが、自宅を出て数分後すでにスーツは水浸しになった(苦笑)。やっとのことで会議の席に着いたがあまりの目まぐるしさに放心状態と相成る。その日の夜、泥のように漠睡したのは言うまでもない。

 まだ終わらない。中国での食生活のギャップが胃にきた。うちの母親(現役看護婦)の診断によると「そりゃ胃潰瘍だよ」とのこと(あっさり言うねえ〜)。しばらく「何となく腹痛」という中途半端な生活を余儀なくされてしまった。中国の食事が合わなかったわけではない。というか非常においしかったのである(それが仇となって食べ過ぎちゃったのか?)。個人的には料理に使用する油が原因ではないかと今では考えている。

 初めての中国訪問はトータルとして非常に興味深いものであった。日本では体験できないようなことがいろいろあって面白かったというのが率直な感想である。ただ、その文化の違いに戸惑ったことが全く無かったというわけではない。まず「タバコが吸えない」のが参った。基本的に外では吸ってはいけない。また公的な場所でも基本的には禁煙である。中国全体として喫煙人口が少ないとのこと。タバコを吸う人は「柄が悪い」ということらしい。タバコを吸っている中国の人をたまに見かけたが「なるほど」と思った。

 次に「コーヒーが飲めない」のが参った。中国では基本的に「お茶」を飲む。どこへいってもお茶が出てくる(それも温かいのが)。当然中国にはドトールとかは無いのでホテルのレストランで飲むのがせいぜいである。夜中にどうしてもコーヒーが飲みたくなって、一人でホテルのレストランへ出かけたこともあったくらいだ。初めての海外ではこんなこともちょっとした冒険である。まあ英語が通じたんで助かりました・・・(冷汗)。

 でもそんな中で一番救いだったのは中国の「人」であった。今回出会った人は皆、率直でとても気持ちのいい人ばかりであった。日本にいると表面は建て前を振りかざし、その裏ではくだらない計算をもくろんでいる(またそれが役に立たないんだなこれが)人がとても多くてうんざりしてしまう。挨拶がきちんとできない人、ぶつかっても謝らない人、レベルの低い噂話が好きな人などなんでこんなに多いのかと逆に不思議になってしまうほど。中国の人は(少なくとも今回出会った人は)自分の気持ちに素直な人たちであったと思う。なんてことを思いつつ感慨に耽る僕であった。