無題(未完)



引導

人から迷惑をかけられるのが嫌いだ。

 たとえそれがどれほど些細なことでもその嫌悪感には変わりが無い。迷惑の結果として被ることになる被害について僕は割とどうでも良いと思っている。時間を守らなかったとか、肉体的な苦痛を与えられたとか結果としてそうなってしまったものは仕方が無い。(もちろん限度というものはあるが...)常識の範囲であるならば、またうっかりやってしまったような事ならば、別に目くじらをたててヒステリックになることは無い。間違いは誰にでもある。問題は別の所にあるのだ。それは後述する。

人に迷惑をかけるのが嫌いだ。

 当然、人からされて嫌なことを他人にするような事があってはならない。何らかの理由によって僕が人に迷惑をかけてしまった時は、それはもういたたまれない気持ちでいっぱいになる。そして馬鹿な自分を悔やみ、落ち込んでしまう。そんな場合はその借りを返すために最大限の努力を惜しまないつもりである。また、迷惑をかけてしまいそうな状況に陥った場合にも、やはり最大限の努力をしてそれを防ごうとするのが当たり前であると思っている。たとえそれが僕の責任で無くても、である。僕が存在することで誰かに迷惑がかかるという事が耐えられないのである。

 ちょっとややこしくなるがこの二つが重なることがある。つまり「誰かが僕に迷惑をかける」事によって「僕が誰かに迷惑をかける」結果になってしまうという場合である。こんなシチュエーションが結構あるから困ってしまう。そして大抵そんなときは迷惑をかけてしまうことが分かっているのにもかかわらず、(第三者のせいで)僕としては何もできない場合がほとんどである。こんなときは自己嫌悪と該当者への怒りで半ばパニック状態となる。

僕をそういう状況へ追い込んだ人を許すことはできない。

 謝罪の気持ちと言うのはなかなか具体的に表現するのが困難である。自分の気持ちが何らかの数値で表すことができたらなんて楽なんだろうと思うことさえある。

素直

 僕が最も重要視するのはその当事者が、人に迷惑をかけたという意識があるかどうか、申し訳ないと言う気持ちがあるかどうかということである。どんな迷惑をかけられたとしても心からの誠意をもって対応にあたってくれているのであれば大抵のことは目を瞑ることができるもんである。そう、素直に謝ってくれればそれで済むのだ。人に迷惑をかけたのだから謝る。こんなことは当たり前である。ではなぜこんな当たり前の事を書いているのか。

素直じゃ無い人が多すぎると思うからである。

 謝るということが恥ずかしい事だとでも思っているのか知らないが、ごまかしたり、まるで何も無かったかのように無視してやり過ごす人が多過ぎるのではないか。事の大きい小さいが問題なのでは無い。反省しているかどうかが重要なのである。恥ずかしいから謝らないというのであればまだましな方で、最も頭にくるのが自分が迷惑をかけているという意識がまるで無い人。これになるともうどうしようもない。悪いと思っていないんだから、謝ろうとする訳が無い。鈍感というかバカである。

 心ある人は「そういう人なんだから仕方ない」といってその怒りを胸に秘めてしまうのかもしれない。もちろんこれはその人に対する「やさしさ」ではなく「あきらめ」である。実際、少し前までは僕もそうしていた。そして他人のそんな素振りをみては悲しい気持ちになっていた。どうしてあなたはそうなの?という感覚である。

臨界点(人としての最低ライン)

 そんな訳で、僕は滅多に頭にくるということが無い。人に罵声を浴びせることや、暴力を振るうことも無い。大抵の事は穏便に済ますことができると自分では思っている。どちらかと言うと怒ったって仕方が無いと思う方である。しかし、限度というものがある。 どんなに良い人でも一度でもその臨界点を超えるような事があると、その人との関係はそこで終了させることにしている。もちろんその臨界点というものはかなり高めに設定してあるので通常ではそんな点には到達するはずが無い程の位置である。

人として絶対に言ってはいけないこと、やってはいけないことというものがあるはずである。そこが僕の設定する臨界点である。非常にシンプルな判断基準だと思うのだがどうだろうか?

 でも、残念ながらそんな臨界点でも超えてしまう人が実際にいるのだ。その人との関係が終了しているといっても別に無視したりということはないのだが、心を許すような付き合いはもう無いのであろう。その人の事はどうでもよくなると言ったほうが近いのかも知れない。今のところ僕の中では数名がその栄誉を受け取っている。彼等とは今でも普通に話す。そのほとんどの人は僕が心を許していないことに気付いていないのかも知れない。普段は普通に話しているからだ。もともと自分の非にさえ気がつかないのであるから、僕が心で何を思っていてもその人たちにとっては関係ないことなのであろう。

ここに僕の臨界点をこえた人達を御紹介する。

一人目

 彼はトラブルメーカーである。しかしながら大部分の人はそのことに気付いていない。それは普段は話の分かる良い人だからである。もちろん彼の中の大部分は本当に良い人なのであろう。それに対していちゃもんを付ける気は無い。彼のそんな部分は僕も大好きだからだ。しかし、彼の残りの数パーセントは「人よりもうまく立ち舞われる」という自意識過剰に満ちている。自分は誰よりも人格者であると思っている部分があるのだ。詳しくは書くことができないが、彼が元で全く関係の無い者どうしが憎しみあう結果を招いたことがある。そして彼はその両方に「僕は君の味方」といった対応をしていたのだ。僕がその両方にそのことを説明しても彼等は信じなかった(きっと今でも信じていないだろう)それほど彼の「風見鶏」的な振る舞いは完璧だったのだ。確信犯である。僕はその両者にも問題の彼にも、もはや何も問いはしない。僕に迷惑が降り掛からないようにするだけで精一杯である。

良い人なのに、その人の事を信用できない辛さがお分かりだろうか?

二人目

 彼も本当は良い人なんだろうと思う。しかし敏感な人は彼の問題の部分に勘付いているようだ。ちょっとした彼の一言が他人を傷つけたり苦しめたりしているのだが、そんなこと彼は全くおかまいなしのようである。勘付いている人は日に日に増えているようなので彼に対する処遇は時間が解決してくれるのであろう。僕があえて何かをする必要は無いと思われる。僕自信も彼のそんな一言に瞬間的に頭にくることは頻繁にあったが、それが臨界点を超えたという訳では無い。その直接の原因は僕が親しくしている人に対して明らかに差別的な発言をしたことによるものである(それも本人の目の前で)。確かにそのとき彼はイライラしていた。そんな状況が思わず口をついて酷い発言をさせてしまったのかも知れない。しかし、それを差し引いても許せないことがあると僕は思う。彼はそれほど酷い仕打ちをしたのだ。それに対しての謝罪があったということも無いようである。あきらかに自分のしたことに対して黙殺を決め込んでいる。僕なんて何言われても良いのだ。しかし僕の家族や友人に対してそのような行為をする事は決して許す事はできない。人としての生き方の問題である。そういう生き方をしてきた彼にはもう興味は無い。

もう大人なんだし。

三人目

四人目

97.11.09 未完のまま終了

未完の理由と補足

 本当は僕の臨界点に達した数名を例にして、普段は一人前の顔をして社会の一員として過ごしている人が人としてどれほどの酷い事をなし得る可能性があるのかを列挙するつもりであった。が、書き進めている間にも僕の周囲でいろいろな事が起こっていた。どれもこれも悲観的な事柄ばかりである。「究極的には人は話せばわかる」という気持ちを捨てきれないのだが実情を見るとそんな甘い話は通用しなさそうな気がしてならない。ジレンマである。

 そんな中で文章を綴っているうちに、あまりにも怒りがこもった内容になっていく事に気がついたのである。ただ現実に起こっていることを冷静に表現したかっただけなのだが感情が動いたのである。感情に左右されるような文章は誰かを傷つけたり、不用意な固定観念を誰かに植え付けることになりかねない。これは非常に危険なことであり、僕の本意とする所ではない。  僕が僕自身について「こうあるべきだ」と思っていることと実際に「思っていること」に違いが出てきてしまうことに矛盾を感じたため、未完のまま終了させることにした。僕自身まだまだ未熟者であるという証拠でもある。一つだけ言わせてもらうならば、

人の気持ちをないがしろにする人にはもうウンザリ

ということだけである。本当に嫌になった。もうどうにでもなれという気持ちでいっぱいだ。