坂本龍一観戦記



DISCORD

 最近、坂本龍一のアルバム"DISCORD"が発表された。今年1月に行われたオーケストラツアー"f"で、そのライブ用に書き下ろされた新曲"Untitled 01"に加えて、その第2楽章のジャングル・ヴァージョンを収録している。(そして今回は坂本龍一初のCD-Extra仕様)僕は1/12にNHKホールでこのコンサートを実際に見ているのだが、良くも悪くも「かなり実験色の濃い」内容であったと言わざるを得ない。

 そもそも、このときのコンサートタイトルは「プレイング・ジ・オーケストラPart2」と冠されていた。9年前に行なわれたPart1は教授のそれまでの代表曲、オケとの相性が良い曲を選別し坂本自身による新たなアレンジで演奏するという画期的な大変素晴らしいものだった。テクノロジーの権化みたいな坂本がその対極にあるオケと共演(というか挑戦)するのだからタイソン、ホリフィールド戦どころでは無い。保守的な音楽に抵抗してきた坂本龍一による正に「世紀の対決」だったのだ。結果は保守的な表現形態によって、坂本の音楽が持つ「力」があからさまに浮きぼりにされ、突き付けられたという「圧勝」であった。この人は

そんな次元で音楽と向き合っているのでは無い

 ということをまざまざと見せつけられた。これらの模様はTV放映され、その後限定版CDとして発表されている(また再発された)。僕は残念ながらこのコンサートに行くことができなかった。後にも先にもこれほど行かなかったことを後悔したコンサートは無い。それほどまでに素晴らしい内容だったのだ。僕は今でもこの時のCDを愛聴している。

 その後も坂本は数々の映画のサウンドトラックを手掛け、またバルセロナオリンピックでの指揮など活躍の場をさらに広げてきていた。バルセロナでの組曲「地中海」は、「最近の坂本はちょっと停滞気味だなあ」と思っていた僕の気持ちを完全に払拭するほどの素晴らしい出来栄えだった。まさに「坂本メロディー」とでも言うべきあの独特の雰囲気が戻ってきたことを僕は確信した。今回もオケとの共演なんだから演奏しないわけが無い。あの曲が生で聴けるのだ!!。9年ぶりのコンサートに期待は募るばかりであった。僕の勤める会社の組合を通じてチケットを予約できるということだったので、さっそく申し込んでその日を心待ちにした。

チケット争奪戦

 しかし、一筋縄では行かなかった。年末のある日、組合から「チケット取れませんでした」と連絡が入った。早々にソールドアウトになったというのがその理由らしい。なんじゃそりゃ?、今さら取れなかったじゃ済まないんだよ。取れないチケットの募集なんかするな!!すっかり安心してたんで、今さら他に何の伝も無い。あまりのいい加減さに呆然とし、こんなことなら自分でチケットを買いに行けば良かったと悔やむ。どう責任とってくれるわけ?、チケット取るのが仕事じゃないの?。それが「できませんでした」で済むと思っているのか!!ちょっと早いけど言わせてもらうぞ(無理矢理な気もするが...)

Too Much Monkey Business!

できませんでした、で済むんだったら、プログラマは楽だよなあ(笑)。

 もう諦めていたころ、何気なく新聞を読んでいたらある広告が目に入った。メルコというパソコン関連の商品を取り扱っている会社の広告であった。そこには「クイズに答えると坂本龍一コンサートチケットをプレゼント!!」と書いてあり、そのとき僕は瞬間的に思ったのだ。

 今までなんらかの懸賞に応募したことも無ければ、当たったなんていう経験も無い。そういうものには全く興味が無いのだ。だいたい今の御時世、ハガキを書いてまで欲しいものなんて無いのだ。僕は欲しいものは金を出して買うし、買えない程高かったり、貴重だったりするようなもので欲しいものなんて無い。懸賞に応募するということが楽しいという人もいるようだが、僕にはその楽しみがどうも理解できない。(関係ないが宝くじも同様の理由で買ったことが無い)しかし、今回は違う。もう他に方法が無いのだ。「当たったら良いなあ」では無く、「当てなければならない」なのである。さっそく大量のハガキを買い込み一枚一枚クイズの答えを書いていく(何で懸賞のクイズってこんなにつまんないんだろう?)。このことを友人に話したら、やっぱり馬鹿にされた。そりゃそうだろう、僕だって自分のしていることが信じられないもの。

 しかし驚いたことにこれが「当たった」のだ。暮も押し迫ったころに届いたチケットを見て僕は小躍り(正に字のごとく)した。こんな気持ちは何年ぶりだっただろう。何かに当たるってのは気分の良いものである。懸賞マニアの人の気持ちが少し分かったような気がした。

 そして年も明けた1月12日、胸をワクワクさせながらNHKホールへと足を運んだのであった。開演前、ステージ後方には巨大なスクリーンがあり、すでに多種多様なイメージのグラフィックが映し出されている。おそらく演奏と映像をリンクさせようという試みが行われるのであろうことが想像される。「テクノロジーの権化」の面目躍如である。いよいよ照明が暗転して教授登場、指揮者がタクトを振りかざすと静寂の中からストリングの美しい調べが奏でられます。

 一曲目は聴き覚えの無い曲。今回のコンサートの為に書き下ろした新曲(Untitled 01)である。メロディーラインをはっきり主張せず音によるイメージをセンシティブに紡いでいくといったな感じの静寂な調べ。。スクリーンの抽象的なグラフィックと独特な照明効果が 会場全体をある特有の雰囲気へと導いていく。

・・・・・ 30分後

 一曲目がまだ続いている。出だしの雰囲気のままで30分、限りなく現代音楽的であり、 ほとんど効果音のような感覚に近い。 スクリーンには相変わらず抽象的なグラフィックが表示され、多種多様な形状にモーフィングされ続ける。 また、それとは別にランダムな英単語が無秩序に次々と表示されるイメージも提示される。 音楽、映像ともに非常に抽象的なものが延々と続けられる。

正直、苦痛になってきた。

 以前に全く予備知識の無いフュージョンバンドのライブに行ったことがあるが、これが限りなく苦痛であった。フュージョンってのは曲を知らないと全部同じように聴こえてるものである。演奏側も観客も曲を知ってて、それで盛り上がるという予定調和が大前提なのである。そんな経験をふと思い出したが今回はそれ以上である。曲を知らないという以前に、はっきりしたメロディーが無い抽象的な音楽、これといって何かを意味しているという訳でも無い抽象的な映像、まだまだ続く演奏に脳の体もくたくたです。そこで閃いた。

あ、そうかこの曲は集中して聴いちゃいけないんだ!。この空間に身をゆだねて音響空間全体として感じていればいいんだ。

 それに気付いてからは頭も体もリラックスして、ただだた何も考えず無の状態。そうすると2001年宇宙の旅の孤独感、空虚感と同じようなフローティング感覚が体を包みはじめ、非常に気持ち良くなってきた。「聴く」のではなく「感じる」のだ。

・・・・・ 一時間後

 一曲目が終了、丸一時間の力作でありました。個人的には後半でかなりトリップ感覚が堪能できたのだが、観客のかなりの人が眠りについていたのは間違いない(笑)。

MCでスクリーンに表示されていたイメージについての説明。指揮者と教授の体にセンサーが取り付けてあって、体に動きによってリアルタイムでグラフィックが変化するとのこと。「そうかあのモーフィングは体の動きとリンクしていたのか!!」またあの英単語の羅列はピアノのセンサーとリンクしているそうで、鍵盤を叩くと英単語がランダムに次々に表示されるようになっているとのこと。でたらめでは無かったのです。そう聞くとなかなか面白い試みではある。最初から言ってくれればもうちょっと楽しめたのに〜。

 いよいよ2曲目、待ちに待ったバルセロナ五輪のテーマ曲「地中海」。これが聴きたかったのだ。導入部が始まるともう背筋がゾクゾクしてくる。名曲である。通常よりもかなり速いテンポで勇敢に演奏されるこの曲に新しい一面が見えてきたような気がする。指揮者の解釈でこうも曲のイメージが変わってしまうのかということを再確認した。

 なんとコンサート本編はここでおしまい!!。僕はあっけにとられた。確かに時間的には2時間弱。でもこの2曲でおしまいとはちょっと酷いんじゃない?? 一応アンコールがあり「ラストエンペラー」「リトルブッダ」を無難にこなし幕を閉じたが本編2曲、アンコール2曲とは・・・・・(クラシックのコンサートと解釈するならこんなもんだが)良かったかといえば良かった、曲も試みも素晴らしいと思う。しかしこれは僕が期待していた物ではなかった、

「とにかく疲れた・・・」