買物王の憂鬱(接客とは?)



 僕は良く吉祥寺に買い物に行く。吉祥寺という街は都会の空気と田舎の空気が微妙に入り交じって同居しているような雰囲気を持つ街である。一言で言えば「あか抜けない街」なのである。そこが好きだ。洋服を買うのはだいたい吉祥寺である。これが僕にとっての楽しみの一つである。男なのに洋服を買うのが好き、というのは一見奇妙に思えるかもしれないが自分の満足の行く服を買って、これを着るというのは日常レベルにおいて最も単純な贅沢ではないだろうか。事実、気に入った服を着ているときは気分が良い。気分が良いということは一番簡単な快楽の形である(と思う)。

「真心のサービス」(笑)

 で、M井やPルコで服を選ぶのだが、ここにいるショップの人たち(店員)の対応が以前からどうも気になる。対応が悪いとか横柄だとかいうのではない。妙に親切なのだ。うまい表現が見つからないが、初めて行った店でもまるで常連の客のようなフランクな応対をされるのだ。良い事じゃないかと思う人もいるかもしれないが、どうも奇妙に感じてしまう。何回も通って店員さんと仲良くなってそういう関係になるのなら話はわかる。しかし、最初からなんだか仲良く接してくるのだ。こっちは客で向こうは仕事なのである。

友達ぢゃないのだ

 もちろん親切に接してくれること自体は気分の悪いことではない。しかし客が服を買うときに、それが似合っていようがいまいが「お似合いです〜」(篠原ともえ風)と言っているんじゃないかと想像するとぞっとする。なぜならそれは「嘘」だから、上っ面の対応だからである。「真心のサービス」なんてことを偉そうに要っているが、「真心」って「嘘」のことなのか? 逆に、僕が客として来たためにその人に対して「嘘の対応」を強いているというのならとても申し訳ないことである(ん〜考えすぎかもしれん)。客商売だからといってしまえばそれまでなのかもしれないが、僕にはなんだかこのことが正しい人間関係では無いような気がして仕方ない。客が求めているのはそんな「嘘」では無いはずである。こんな思いが洋服を買いに行くたびに頭の中をかすめてしまうのでどうも素直にショップの人と話しができない。

「上っ面の会話をするのがいやなのだ!」

 どなたか、実際にこのようなお仕事をしている方で「客と接するときにはこんな事を考えている」というような現場のご意見をお聞かせ願えないだろうか?

恐怖!「偽りの微笑み」

 で、吉祥寺で買い物をするときには必ずMクドナルド(伏せ字にする意味が無いな(笑))で一服する。この店は吉祥寺には4店舗ほどあるのだが、このうち喫煙ができるのは2店舗。そのうちのひとつが僕の行き付けになっている(バウスシアターの奥の店)。余談ではあるがこの店、客の気持ちということを考えているとは思えない。座席は2階にしかないのだが、喫煙が許可されているわりには換気扇が無い。ここへ行くといつも霧のロンドン状態である。そして座席の配置。どう考えても人が間を通り向けられない感覚でテーブルが並んでいるのである。ここの店長は2階を見たことが無いのだろうかと思ってしまう。

「ちょっと考えればすぐにわかるはずである」

 いくら客が入っているからといってこんなことが許されるのだろうか?「客の立場に立ったサービス」なんて言葉もここでは冗談にしか思えない。(なので最近では井の頭公園の近くの店舗を利用している)で、数カ月前、この店でなかなか壮絶な物を目撃した。オーダーしようとしてレジの前に並んだら、そこのレジの人はどうやら新人さんのようであった。この店自慢の「スマイル」がぎこちない。ネームプレートには「研修生」という文字が。やっぱりそうか、どんな職業でも新人時代は大変である。頑張れよ、と思いつつ注文しようとしたら、その人の後ろに新人教育担当とおぼしき人がその新人さんにレジ操作のアドバイスをしていることに気付いた。この人の「スマイル」が壮絶なのである。まるでその笑顔の回りに「ニコニコ」という文字がギャートルズのように飛び出ているかのような、もしくは背後に強盗が拳銃を突きつけていて「ニコニコしていなければこの店を爆破するぞ」と脅されているような、そんな「スマイル」なのである。

「おつりはお札からお渡ししましょうね!(ニコニコ)」

「砂糖とミルクを忘れないようにしましょうね!(ニコニコ)」

「次のトレイの準備をしておきましょうね!(ニコニコ)」

 申し訳ないが、冗談ではなくこの人のことが恐くなった。笑顔は接客の基本なのであろう。Mクドナルドほどの店になればその接客方法は完璧なマニュアルとして構築されているはずである(あまり知られていないが、こういう類のものは企業秘密となっている場合が多い)。で、この人もその教育を受けた。そして完璧な「スマイル」を身につけた。でもその結果、さわやかであるはずの笑顔が「恐怖」を呼び起こすという結果になったのである。「偽りの微笑み」なんて言葉があるが、この人は別に何かを偽っているわけでは無いのだと思う。ほんとうに心から接客を行っているすばらしい店員さんなのかもしれない(教育担当なくらいだから)。

でも恐かったのである、その「スマイル」が。

 言い過ぎかもしれないが、これと似たようなものを二つほど思い出した。一つ目はキューブリック監督の映画「フルメタルジャケット」。デブっちょの新人兵が鬼教官の厳しい教育によって恐ろしい殺人兵器へと洗脳されていく物語である。最後はその教官にもその凶暴さを抑止することができなくなり、教官を殺し自分も自殺してしまう。二つ目は某社会主義国(マスゲームが得意な国!)の少女の顔。この国の何かのイベントなのか巨大な競技場で何千人もの少女たちが見事なマスゲームを披露していて、国の指導者がそれを見ているという図。これは素晴らしいものなのだが、その少女達の顔がアップになったときの衝撃は今でも忘れない。みんながみんな、判で押したように「同じ笑顔」をしているのである。(これ以上は何も言いたくない・・・)やっぱり何か変だ、とここでも思う。万が一、このページを見ているかもしれない、あの教育担当の方。あなたの接客時の本当の気持ちをお聞かせ願えないだろうか?

総論(僕が買物に期待する事とは・・・)

 で、何が言いたいのかというと「接客」ってなんだろう、ということである。感じの良い店、感じの良い店員、感じの対応、ということを何か勘違いしていないだろうか? 笑顔を振りまいていれば良いという物ではない。親しげに話していれば良いと言うわけでもない。もっと大事なものがあるんじゃないですかということ。「接客」といえどもそこには人と人がいるのだから立派な「人間関係」であるはずだ。それをとりあえず無難にこなしておこうという風潮が強いのではないだろうか?「買い物」が「物を買う」ということだけなのであれば、商品があって、値段が書いてあって、代金を払う場所があるだけのほうがいいのである。このほうが無駄な手順が省けるという物である。(テレホンショッピングとかカタログ販売なんてのは正にこれである) では、僕がなんでわざわざ買い物に出かけるのか?それは「買い物を楽しみたい」からである。いろんな店にいっていろんな人と話してあれでもないこれでもないと、あちこち巡るのが楽しいのである。人との出会いっていうのは本来楽しいものである。人の気持ちっていうものは本来うれしいものである。買い物にはそれらががあるはずなのだ。

うわべのサービスなんだったら僕はそんなもの要らない。

真のプロフェッショナルとは?

 こんな買い物をしたことがある。吉祥寺をぶらぶらしていたら小さな時計屋のショーウインドゥに好みの腕時計が陳列してあった(残念ながら店の名前を忘れてしまった。Pルコ(笑)の横にある小さな時計店なのだが・・・)。「これ、いいなあ〜」なんてジロジロ見ていたら店員さんが「よろしかったらご覧になりますか?」と聞いてきた。時間もあったので中に入って見せてもらうことにした。年は50代後半であろうか、優しそうなおじさんであった。「これは最近発売されたばかりなんですよ」といろいろな説明を聞く。その間、こんな僕みたいなこんな若造に対して常に「敬語」である。しかし、その会話にはおしつけがましい親切や笑顔は全くなかった。時計も気に入ったが、そんな店の対応も気に入ってさっそく購入することにした。購入することを告げると丁寧に「ありがとうございます」と軽く頭を下げ、この時計のメンテ方法からベルトの交換方法、壊れたときの連絡先まで丁寧に、しかもわかりやすく説明してくれた。もう購入するということが決まった後だというのにである。この人は時計が好きなのだ。そして買ってもらった人にもその時計を好きになってもらいたいのだ。僕はそう感じた。自分も楽しく、お客も楽しく。

これが接客というものである。

 コンビニなどで買い物をすると(アルバイトなのだろうが)ろくに「ありがとうございました」と言わない事が多い。これが当たり前になっている。こんな店は「店員の対応が悪い」といって非難すべきなのだ。しかしそんなことを言う人はほとんどいない。物が買えればそれで良いのであろう(たしかに便利だしね)。こんな感じの店がどんどん増えている、そしてそれでも構わないという客もどんどん増えている。人と人との関係がどんどん希薄になっていく。本当にこれで良いのだろうか? 僕はとても不安である。悲しいかなこれは

Too Much Monkey Business!

といわざるを得ない。