蘭の会新春号



蘭の会TOPにもどる

三周年記念企画
新連載>サルレト



□蘭の会2005年新春号おてがみ 究極Q太郎さんより

「声のかぎりに」 究極Q太郎

*  

80年代の半ば、松浦寿輝という詩人が「書かれたものはもう 声にはのらないから」という詩句を書きつけたとき、そこでハジカレタのは詩人の「肉声」という観念だった。今では私は、この言葉が、どういうところから由って来ったものなのかほぼ特定できる。ジャック・デリダという現代フランスの哲学者が、『グラマトロジーについて〜根源の彼方に』をはじめとする一連の書物のなかで展開した批判、かれが西洋形而上学のその根にあるとした「パロール(声)こそが本源的で、エクリチュール(書かれたもの)は、その本源的なものを劣化へとみちびく‘模造’にすぎない」という発想への批判をうけるように、松浦のその詩句は書かれたにちがうまい。けれども、この詩句がとどく射程の中には、詩を朗読するといういとなみも含まれているはずだ。これを読んだ当時十代のわたしは、たしかにそう受け取ったし、一見鼻につくようなディレッタンティズムでもって「書(かれた)物」に拘泥しつづけた彼の身振りはそれを裏付けるようだった。


 
  ところで、「ネット詩」というものはたしかに、かつての「サークル詩」の再来としてとらえることができる。サークル詩というのは、戦後の第一次詩ブーム(「第二次」は70年頃に起きた)なるものを支えた、勤労者、学生をはじめとしたいわゆる愛好者(アマチュア)の人々の、文字通り‘サークル’に拠って書かれた詩で、敗戦後から50年代へかけて、そういった詩のサークルが日本各地に数えきれぬほどあったそうだ。それらサークル詩の隆盛は、戦後の社会運動の動向と切り離して考えることはできず、たとえば徳永直のような戦前のプロレタリア作家から「勤労者文学をもっと前に押し出す」と評価される一方、小田切秀雄のような戦後文学者からは、「素朴なもの、具体的なもの、日常的なもの」のみを重視する「革命抜きの」文学であると批判されるような、イデオロギー的な座標の中でのコントロヴァーシャルなものとして存在していた(『戦後サークル詩の系譜』中村不二夫著 知加書房。以下引用部分を含め、多くをこの本による)。そして、たしかにサークル詩の起源には、 宮本百合子の「歌声よ、おこれ」があるだろう。  「民主なる文学ということは、私たち一人一人が、社会と自分とのより事理に叶った発展のために献身し世界歴史の必然な動きを誤魔化すことなく映しかへして生きてゆくその歌声といふ以外の意味ではないと思ふ。  そして、初めは何となく弱く、或いは数も少ないその歌声が、やがてもつと多くの、全く新しい社会各面の人々の心の声を誘ひ出し、その各様の発声を練磨し、諸音正しく思ひを披瀝し、新しい日本の豊富にして雄大な人民の合唱としていかなければならない」(「歌声よ、おこれ」『新日本文学 創刊準備号』46年1月)  わたしはネット詩を詳しく知らないが(というのも、パソコンのディスプレイ画面を通して文字を読むということにいまだ馴れず違和感をおぼえる者なので)、けれどもここ数年わたしが携わっている『詩学』誌主催のワークショップにやってくる人のなかに多く、ネットの詩を読んだりそこに発表したりしているという人たちがおり、彼らの大半にはネットが詩を書くきっかけになったという。  ネット詩は、当時のサークル詩よりもはるかに社会性に乏しくいっそう「素朴なもの、具体的なもの、日常的なもの」を重視するような形で展開しているようだ。しかしながら次の、近藤東という人の文章などは、あたかも現代のネット詩のことのようである。  「戦後の詩壇の現象の一つとして『もう一つの詩壇』なるものがある。元来、詩壇というコトバが許されるならば、それは商業ジャアナリズムに認められた詩人群の行動と、数十の詩誌と、投書家に代表される一種のアトモスフェアであったが、現在それとは全然無関係に、一群の詩人とそれを中心とするサークルが存在するのである。詩壇の多くはそれに少しも気づこうとしないし、『もう一つの詩壇』でも問題にしていない。ただ商業ジャアナリズムがこれに無関心であることはそれ自体において怠慢といわれねばならぬ。というのは、この『もう一つの詩壇』にはジャアナリズムのそれに劣らない強力な読者層−−詩においては読者がすなわち作家である場合が多いが−−が含まれているからである。彼らは『国鉄労働者詩集』『京浜詩集』『幹線』『勤労者詩選集』等のアンソロジイを持ち、この世界でのチャンピオンは星隆平であり、岡亮太郎であり、島田紫郎であり、山田今次であり、ヒロキタモツである」(『詩学』50年1月号)。  また私は、ここ数年の間に様ざまな朗読会に参加するようになり、朗読詩界隈とでもいった場所に出入りするようになったが、そこにもやはり既成の商業詩壇とは一線を画するものがあるようだった。



  かつてのサークル詩と現在のネット詩のあいだには、たとえばサークル詩が多分に社会運動的なものに動機づけられており、今の詩はそうではないとしても、ひとつの共通項がみいだされると思う。それは「声」という観念である。およそ「人民の歌声」から「ネット上の匿名の詩人たちの肉声」まで、あいわたっていく「声(パロール)」という観念。その根には、声こそが本源的なもの、プリミティヴなものであるという、それ以外とみなされたものにむけられたきわめて排斥的な価値観(デリダが一連の形而上学批判で批判したもの)が居座っているにちがいない。ところで、冒頭にあげた松浦の詩句からは、そのことに自覚的であり、批判的な詩人の姿が浮かび上がってくる。だが今にして、(当時わたしもまた多分に影響を受けていた)松浦ら80年代の一部の詩人たちがとった身振りについて、とりあえず挑発的なものではあった、という留保はつけても、結局高踏派的なペダントリーにすぎなかったのでは、という疑いをおぼえずにはいられないのだ。  「パロールではなくて、エクリチュールを」と、いかにもニューアカデミズムかぶれに批判者ぶってそう図式化すればあらかた事がすんでしまうかのような錯覚こそが、ペダンティックだったのだ。むしろよく「声(パロール)」に耳そばだてて、その観念性の、そのイデオロギーのいましめから、声の物質性をすくいとろうということほど果敢な挑みはなかったわけだ。だから朗読にはもちろんいまもって可能性があり、アントナン・アルトーの自作朗読を聞いたミシェル・レリスのように、声から一切の観念性をはじきとばした「純粋状態の叫び」というものをみとめることもありえなくはない。では、現在のネット詩の、あるいは朗読詩の、いったいどこに目をつけ耳をかたむければよいのか。



 わたしは10年以上、脳性麻痺者や知的障害者の介助にたずさわってきたが、かれらの多くが言語障害、発声障害というものをもっているため、健常者間ではたんにもっぱら「伝達の道具」としてあつかわれて、その結果ぞんざいにされてしまう声の物質性に、そのつど耳ざとくあらねばならなかった(もちろんそれをオミットしようとすればできなくはないが)。それが多分、一回性のものであれば(たとえば街角で、見知らぬ外国人に耳にしたことのない国の言葉で話し掛けられるというような)、面食らうようなエイリアネイション(エイリアン化、疎外)しかひきおこさないだろうが、介助者は、障害者とつきあい、そのかたわらにいることによって、その言葉を享受し、あまつさえ享楽することがある。「クスリ」といったのか「クツ」といったのか、それともなにか他の語を言ったのか慣れた耳でもときおり聞き分けられないとき、その語はほとんど声という物質であり、そのひきつりであり、いびつなごりごりした感触でもってわたしの受容器をささくれだたせようとする。しかし一方で、 そのことが享楽(ジュイッサンス)とでもいうべきものであることは、たとえばわたしたち介助者が、思わず誰それという障害者のその口真似をしたくなることのなかに表れている。べつにからかうためではなく、ただたんにそれに魅せられるように、無性にそんなことをしてみたくなるのである。  障害者がプロレスをし、ときには健常者とファイトしたりもする『ドッグレッグス』という障害者プロレス団体がある。その主催者の北島行徳(健常者)が書いた『無敵のハンディキャップ』(文藝春秋)では、かれの周囲のさまざまな障害者たちの声が、以下のような具合に絶妙に筆写されている。  「控え室に戻る途中で、ゴッドファザーと会った。  『お疲れさまでした、お父ちゃん』  『ひぃさしぃぶりぃに、いいあせぇ、かいたぁよ。でぇも、ばぁてぇた。たぁばぁこぉ、やぁめなぁくっちゃ』  『ははは・・・』  私が少し浮かない顔をしているのに、ゴッドファーザーは気付いたようだ。  『きたぁじまぁさん、しぃあいなんだぁからぁ、ぶるーすのぉ、ことはぁ、きぃにしちゃだぁめだぁよ』  『・・・ありがとう、お父ちゃん・・・・・・そう言ってもらえると、嬉しいですよ・・・』  『・・・・・・そうですね』  『しかぁし、しんたぁろうがぁ、さんたぁいにでぇ、やぁるっていったぁときは、どぉうしようかぁと、おもぉったぁよぉ。すこぉしは、おれぇにも、そうだぁん、しろってぇのぉ。でぇもね、おもぉしろぉかったよぉ。からぁだぁがぁ、つづくぅ、かぁぎり、おれぇは、やぁるよぉ』」。  障害者が発した言葉を、あえてこんなふうに筆写しようとするわけは、北島にとってはそこに抜き差しならない拘泥があるからだろう。しかもそれは、たんなる機械的な再現ではなく、そのような固有な声への、そしてその声が輪郭づけている誰それという存在のありようへの、愛情に根ざした物真似(ミミック)となっている。障害者の声がいかにもそうであるように、だれの声もおのおのの質をおびて、カノン(基調的な観念)としての「声(パロール)」にさからうめいめいの「物質感」をおびているはずだ。わたしには朗読の可能性に、そうした「声そのもの」をことほぎ、それを享楽するということがあるように思われる。「書かれたもの(エクリチュール)」が、もともと「声(パロール)」の模造、劣化だというなら、その劣化を「迫真の」「肉声」の演技によって、おおいかくし塗りつぶし、しのごうとするのではなく、「模造」をさらに「模造」することによってその劣化をすすめてもなお「声」を享楽するなかに、朗読の可能性があるように思う。 


 
  「あかね」での詩の朗読会に参加してくれる中尾君夫は、十七歳で精神病を発症してから詩を書き始め、ここ数年は、『‘癒し’としての自己表現展』と題された、病者の手になる美術作品の展覧会に、なんともふしぎな感じのする4コマ漫画を発表しているが、かれがおこなう詩の朗読は、クスリのせいでもつれた舌を道具に、病者としての生き方をネタにしたものである。中尾の詩にとってかれの声は、変えがたい表現要素の一つであり、ほとんどその中心にあるもののようだ。  かれの描く4コマ漫画をみるとき、下手とか稚拙というにはあまりにもアッケラカンとしたようなその絵やふきだしのなかの字にまず唖然とさせられる。そしてしばらくして気づかされるのは、それがかれの方法として採用されたものだということだ。かれは方法的にその「貧しさ」を採用しており、そのことは小田切秀雄が「サークル詩」を批判したとき、それにむかって述べた「素朴なもの、具体的なもの、日常的なもののみを重視する」態度とはちがっているように思われる。中尾の方法は、ヴァルター・ベンヤミンがベルト・ブレヒトについて語った「貧困」に似ている。  「・・・貧困は、どんな富者にもできないほどに現実に肉薄することをひとに可能にする、ひとつの擬態(ミミクリー)である・・・といってももちろん、これはメーテルリンク風の貧困の神秘論でもないし、また『なぜなら貧しさは内部からの大きな輝きだ』とリルケが書いたときに念頭においていた、フランチェスコ風のそれでもない。−−このブレヒトの貧困はむしろ、一種の万人共通の衣服であって、意識的にそれを着こむ人に、重い任務を与える役目をもっている。要するにそれは、機械の時代における人間の生理的・経済的貧困なのだ。『国家は富み、人間は貧しくされている。国家には多くのことをなしうることが義務づけられねずならず、人間には僅かなことをなしうることが許されなければならない』」(『ベンヤミンの仕事1』野村修編訳 岩波文庫)。



 商業誌詩的な洗練にも、どのみち装われたものにすぎない「肉声」の迫真としての「素朴」にもゆかない、そのような「貧困」を自覚的に採用することのなかに、ネット詩の可能性もまたあるように思われる。                      

*


□究極Q太郎さんってどんなひと??

撮影/大澤 佑実
1967年埼玉生まれ。

1986年現代詩手帖賞を受賞。

1988年より身体障害者の介助をはじめる。

90年代初頭は、ミニコミをたくさん作る。かかわったミニコミ『Actual Action』、 『Anarchist Independent Review』、『退廃思想展覧会』、『新しい天使』など。 また、たくさんのグループ活動に参加。『足立障害者の自立と介助保障をかちとる会』 『渋谷原宿いのちと権利をかちとる会』、『アジア・アフリカ・ラテンアメリカ屋台』など。

1993年いっしょにあそんでいた友達たちが『だめ連』を結成。 加納穂子さんの共同保育に参加。

1998年より『だめ連』界隈の友人たちとともに「あかね」をはじめる。

(あかね/溜まり場のような居酒屋/わたしは火曜日と金曜日夜そこのスタッフであり、また毎月最終金曜日に「あかね詩の朗読会」を主催/新宿区西早稲田2−1−17酒井ビル1F/03−5292−1877)

現在、カワグチタケシ、小森岳史とともに3K朗読会。

詩学社の「青の日」ワークショップで講評担当。

中野「VOW’S(坊主)バー」朗読会をコーディネート。

ときおり『詩学』、『社会評論』『思想運動』(本郷文化フォーラム)、『現代思想』(青土社)、 『舞台芸術』などに詩や文章を発表。

同人誌『ダモ』を発行。

連絡は、kyukyoku63@hotmail.comへ。

□究極Q太郎さんの詩を読んでみよう


「わが放浪」



夜になると草は濡れる

ものである

過去ログはふみばこでお読みいただけます
蘭の会TOPにもどる

会員随時募集中/著作権は作者に帰属する/サイトデザイン・芳賀梨花子