詩を書く幸せ
一日の仕事を終えて、台所のテーブルに落ち着いて、 プリントの反古を数枚もってきて、白紙に向かってペンを握る。 そうして 詩を書くときが、幸せだ。 あー 何書こう とかそこで思うときもう幸せだ。
パソコンに向かっていきなり書くこともする。 仕事してるとき、たいてい夕方か真夜中、書き出す。 なんか書きたくなって、さぼろ、とか思うともなく それまでとぜんぜん関係ない言葉をキーボードで打っていくとき 疲れていた頭がいきなり回りだして、楽しい。 (いまもこの文章をそうやって書いていて、やっぱり楽しい。)
地下鉄に乗っていて、人と待ち合わせをしていて、 自転車で信号待ちをしていて、定食屋でごはんを食べていて、、
詩には制約がない。と思っている なんでもいいや いいじゃん と考えていて そこが好きなところだ。
詩の定義には広義と狭義があってとか 身辺雑記はどうだ私的感情の吐露はなんだ とかそーゆーののほうこそどーだっていい
詩は書いて書いていたい。
いろんな人がいろんな詩を生み出しているのに 最近よく間近に接するようになって それも楽しい。 いろんな詩があるんだと そういうのを目の当たりにすると こんなにも詩こころ・ポエジーにあふれてんのか と うれしくなる。 たとえばこのあいだ参加した鳥取砂丘のイベントなど いくつもいくつも詩を読む声がして 聞いていて、幸せだった。
詩の場所は 豊かだなあと 感じる。 いろんな詩と出会うたびに 詩人と知り合うたびに そう感じる。
ここに書かせていただける機会をもらえて こうしたことをぜひ書き留めておきたい と思った。
詩を書くこと それじたいの幸せの中にいつまでもいたい
ありがとう。
白井明大 2004/10/8
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