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■蘭の会2004年9月号 石畑由紀子さんからのおてがみ■■■■■■

 今、私のデスクの上には蘭の会のアンソロジーがある。去る7月『TOKYOポエケット』蘭の会ブースにて直接購入したものだ。パールがかったアイボリーの表紙に深い紅色でサイトのURLが記されている。ウェブから飛び出した詩人たちの詩集にふさわしい、印象的なデザインだ。

 詩集発刊の知らせを耳にするたびに、それを手にとるたびに、想う。私の詩集はその後、どうしているかしら。

 1999年6月に発刊した私の第一詩集『静けさの中の』は、カバーもなければ紹介の帯もない、大手流通に乗らないばかりか図書コード(ISBN)もないので日本の書籍として登録もされないという、正真正銘の自費出版本だった。元々は10冊ほど手作りして近しい友人に配るだけのつもりだったのが、ひょんなことから地元の印刷会社にオフセット印刷を頼むことになり、100部という予定外の数が出来上がることとなったのだ。その数100部。ネット環境になく、詩友や自ら自由に発信できる場もなかった当時の私にとって、100部はなかなかの在庫数だった。ならば友人だけでなく、もっとたくさんの誰かに読んでもらいたい。そう思った次の瞬間には詩集のPR手段を考えていた。
 まず、詩集を携えて書店へ営業に行った。ネームバリューも話題性もない一介の詩書きに書店はなかなか棚を分けてはくれなかった。ただでさえ売れないと されている詩集だ、当たり前といえば当り前だった。が、地元大手の書店三店舗が親身になってくれ、文芸コーナーに置いてもらえることになった。その他に も、当時通っていた英会話学校に頼んでカウンターで販売させてもらったり、個人広告専門の雑誌に定期的に広告を出したりした。けれどいきなり『詩集買ってください』では読み手にとって大きな賭けとなってしまうだろうと思い、はじめは『見本詩送ります』として返信の際の切手代のみでフリーペーパーを送った。見本詩が功を奏したのか、問い合わせの半数強は確実に購入へと繋がっていった。印象的だったのは、当時購読していた音楽雑誌のいわゆる“売ります買います”コーナーに広告を掲載した時のことだ。音楽をよく聴く人々は詩にも比較的興味があるのではないかと思っての策だったが、その予想は当たり、反応は上々だった。中には“友人にプレゼントしたいから”と一人で5冊以上購入してくれた方もいらっしゃった。詩集は、さまざまな形で求められている。そんな手応えを感じた。
 そんなこんなで発刊後一年弱で自分用の1冊を除くすべてが完売した。その後も注文がぽつぽつと届き、はじめは完売のお知らせをしていたのだけれど、迷った末にもう少しだけ、と重版を決めた。2000年12月に80部。今度は地元書店に委託はせず、のんびりペースで販売活動を続けた。2003年春にウェブ上で詩作活動をするようになってからはウェブ上と都内の両書店で最後の委託販売を開始、そして今年の夏、重版最後の一冊が最後の読者の手にわたり、詩集『静けさの中の』は完売した。

 今になって思えばたった180部だ。けれど、作った当初の私にとって180部は途方もない冊数だった。そのほとんどを自宅から送り出した。書店で売れた分以外はすべて自ら手作業で梱包し、発送したものだ。その手間のひとつひとつが愛おしかった。日本のどの街に何冊届けたか、メモをとってあるのですべて把握している。ちなみに、詩集内にしのばせておいたアンケートハガキの回収率は約1割だった。正直少ないと思ったが、聞けば、書籍やCDに添えるアンケート類は1〜2割も戻ってくれば上出来なのだそうだ。販売については周りに恵まれていたのも大きかったが、自分がその気になって動けばきちんと届いてゆくものなのだ、ということを知った。届けたい一心だった。この経験は私にとって大きなものとなった。30代のうちにもう1冊詩集を出したいと考えているが、その際にも活かせるのではないかと思っている。

 今も時々、発刊当初からの読者から手紙が届く。次の詩集が出る際にはぜひお知らせ下さい、と。とても嬉しく、励みになる。一方で、180冊すべてのその後がそんな幸せばかりではないだろうとも思う。本棚の奥のそのまた奥にしまわれ、しばらく誰の手にも触れられていないものもあるだろう。最悪、もう読まないからと引越しなどの際に捨てられているものもあるかもしれない。発刊から丸5年。180部のうち、今も元気に読者の生活の中で生きているのは何冊くらいだろう。思い出すように手にとられるのが、年に一回でもいい、ふと思い出して読みたくなる、誰かにとってそんな一冊であって欲しいと願うのは、作者の親バカだろうか。

 詩集には魂が入っているのではないか、と真剣に思う。それでなくとも産みの苦しみを詩と共に耐えぬき、言葉という形にして世に送り出すのだ。そんな言葉たちを詩集として一冊にまとめるまでの行程は長く、苦労の連続だ。出来上がるまでに印刷会社(蘭の会アンソロジーの場合は詩学社さんですね)と何度も何度も打ち合わせをし、さまざまな手間をかけた上でやっと完成するものだから、段ボールの中にきれいに整列している詩集と対面した時はなんとも嬉しく、達成感がある。が、決してそこでめでたしめでたしではない。やはりそこからが本当のスタートなのだ。本という器に収まった言葉たちを、美味しく味わってもらえることを願いつつ読者の元へ届ける。それが、詩集を発刊した詩人の使命ではないかと思う。押入れに寝かせていても意味はないのだ。
 昨今の出版業界はもっとも厳しい業種のひとつだと聞く。その中でも低迷している文芸誌、その中でさらに詩集。外に開かれたイメージは薄く、詩集は未だ詩人の読みものという感覚がどうしても拭えない。もちろんそれもいい。詩人もまた詩を愛する一人の読者であり、その心に届くことは素晴らしいと思う。けれど、やはりそれだけでは何かが足りない。詩を、現場で回り回っているだけの文芸にしてはならないと思う。

 産まれてほどない、蘭の会のアンソロジー。まだ見ぬたくさんの読者の元へたどり着きたがっていることだろう。
詩を、届けよう。外へ。ウェブから飛び出した詩人たちよろしく、詩も飛び出させよう、外へ、外へ。
言葉に乗ったみなさんの魂が、この先たくさんの魂と出会えますように。

   2004年9月 石畑由紀子




石畑由紀子さんって、どんなひと?■■■■■■■■■■

1971年生まれ、生粋の道産子。
北海道詩人協会会員、NPO十勝文化会議所属。
詩誌『詩界0』会員、文芸誌『夕凪』『ひびき』同人。
2003年2月より本格的にネット上の詩サイトにも出没しはじめる。
既刊詩集『静けさの中の』(アトリエ出版・完売・重版未定)。
帽子着用、アールグレイ中毒。朗読がもっと上手くなりたい。
自サイト『言葉のアトリエ』にて詩作品、日々思考『デッサン』など公開中。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8014/



今後の主な活動予定

・『北海道詩集 vol.51 2004年度版』に作品掲載(2004.11)
・『十勝文化会議合同展』にて自作詩・会員との連詩を展示
   (帯広市『とかちプラザ』にて・2004.11)
・『詩界0 2004』アンソロジーに作品掲載(2004.12)
・北海道出身・在住詩人による集まり
『道民さんいらっしゃい〜詩作する北海道民の会〜』に参加
 http://www1.rocketbbs.com/612/doomin.html
・アートと詩のコラボレーション企画に参加予定、ただいま構想中
・今月と来月の月末は、詩誌のために小銭を用意しておいてもらえると嬉しい

石畑由紀子さんの詩を読んでみよう■■■■■■■■■■

緑の日々


並木道に
誰かの日傘が忘れられているのを見つけ
持ち主の名前がなかったので
失敬することにした
けれど自転車のかごに引っ掛けて
ペダルをこぎだしたそばから
日傘は陽を浴びて匂いたち
匂いたってはまた陽を欲しがるので
これは私の日陰のアパートに置いておくわけにはいかないと
急いで戻って元の場所に広げておき
すまなかったね、と謝っておずおず帰った
何週間か経って
また並木道を通ったら
日傘はちゃんとそこにあって
あの時よりもいっそう色鮮やかに広がっていた
顔なじみになれたので
時々下で休ませてもらったりする
日傘は少し嬉しそうにほねぐみを揺らして
私の顔にやわらかい光を漏らして遊ぶ



■ふみばこ■

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そこには素敵な言葉とか気持ちがこぼれだすはず

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著作権は作者に帰属する/更新日2004.9.15/サイトデザイン・芳賀梨花子