なぜ私は詩人じゃないのか? なんて、今までさっぱり考えたこともないことを、この機会に考えてみました。
まず、なぜ詩人じゃないかって、それは私が詩を書かないから。 ま、当たり前だけど。どう考えたって小学生の頃の宿題が最後。 「じゃあ、今から勝手に書けば!」 とおっしゃらずにちょっと聞いてください。どうして詩を書くことに興味を持たなかったのか。少しばかり心当たりがあるんです。
文字を書くのは好きですか? いや、そうですね、「文章を」じゃなくて「文字を」書くのは好きですか?
私は苦手。だって字が汚い。
だけど字を書かないってわけにはいかないのよね。
「お、ひとつここの会員になってみるか」となっただけで、早速用紙が渡され記入させられる。さて名前「あら、ちょっとゆがんだ」次は住所「書ききれない! 最後の方読めない!」電話「もうテキトー」年齢「はいはい・・・」とぐったりしているところへとどめを刺すように「会員証にお名前お願いしまーす!」だもんね。後は只、あのつるつるした材質の会員証とボールペンのセットじゃないことを祈るだけ。ヘタな字が更にヘタに見える! いや、ヘタになる!
こんなツラい気持ちを味わいながらも、小学校からずっと私の字は汚いまま。長い学生時代でも「ノート貸して!」なんて言われたこと皆無。字の綺麗なノー
トの持ち主は人気者になっていたのに。
そして、一向に上手くならない字を克服する根性もなかった私は、「人気者への道(?)」の選択肢として「字を書く何か」は捨て去った。 「おしゃべりですませてやる!」
勿論その後も自分の字が汚いことを忘れたわけではありません。何かしら原稿を書いていても、手紙を書いていても、まず出だしの一文・・・。「ガックリ。
さてもう一枚。ガックリ。いや、もう一枚」と何枚も書き直したり。そして結局「んー、気分が乗らないわ。今日はやめとこっかな」と、こんな感じ。そんな私がゆっくりと何かに思いを巡らせながら「モノを書く」ということはなかなか難しい。
そんなわけで! これらのコンプレックスが私が詩人になる可能性を妨げていたに違いない!!というのは、馬鹿馬鹿しいかしら?
しかしまあ、このことが「書くよりも話す」私の人格を作り上げるのに、少なからず影響しているのは間違いないような。そして大人になり、書き手ではなく読み手になったのも・・・。
けれど今はパソコンが。誰もが同じ形の字を書けるので私にとっては悪くないな。字の汚さに書き直すことはない。一安心。ようやくパソコンのおかげで気軽
に「何かを書く」ことが増えてきた。
まず話すように書く。
声のヴォリュームはどんな感じかな? 抑揚は? 間は? そして表情は?
そう考えていくうちにどんどんイメージが膨らんで、どんな文章になるんだろう!? と楽しくなってきます。(いや、実際書けなくってもさ)
すると、頭の中でいろんな文字が並んでいく。じゃ、今度はそれを声にしたらどうなるんだろう? そしてまたそれを文字にしたら? 形になって音になって形になって・・・。こうやって、何周もしたら、気づくと「書くこと」と「話すこと」が私の中ですごく面白い関係になってるんですよね。
これは発見! 楽しい遊びが増えました。
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