「ジェラスの海」
どうして女流詩人の会、なんてものがあるんだろう。
最初にこの会を知った時の感想は、そんなふうだった。
フリーアクセスとは程遠い。
土俵に女性をあげるのがどうのとか、それとはまた違った地平。
自由であるための奇形。あるいは、異形。
パソコン通信の時代から、この世界の片隅にいる。
その頃出入りしはじめた詩の投稿掲示板に、
まだデビューする前の田口ランディさんが、いた。
ちょうど彼女がその掲示板を去ろうとしているところだった。
ささいな揶揄が傷となり、ひび割れていく過程。
彼女の憤慨。あきらめ。蔓延する無関心。(これが詩を書くということか。)
それは、すべてテキスト化して保存してある。忘れないために。
自分は、詩を書くということ以外、
ネット上に個人情報をほとんど流していない。
性別も実はオープンじゃないんです。
ハンドルだって動物だし。だけど人嫌い、とかじゃないんですよ。
むしろ無防備といっていい。
ただ、当時圧倒的だったランディさんの筆力をも遮断できるほど、
ことばは、強い。その認識は、慎重になるに十分な記憶。
だからすごく不思議だった。
どうしてこの人たちは自分の性をオープンにするんだろう。
自分が閉じている部分に、どうしてこの人たちは胸を張れるんだろう。
何かとんでもなくイイコトがあるとか。
それなら、自分は相対的に何かを失っているのかもしれない。
そう思うとなんだかそわそわする。貧乏性だし(笑)。
これは非常によろしくない見方かもしれないけれど、
このスペースで、なんだかみんな楽しそうだ。
ふだんよりもどこか、解放されてる感じがする。
これはいったいどういうことなんだろう。
世界には男性と女性のふたつの性しかないのに、
半分を遮断した方がリラックスするってこと?
たぶん男性諸氏は違うと思うよ。
男性はね、オスですので、女性の評価が存在価値のコア、なんだ。
女性から褒められ認められればいい。
それがたとえオフィスの片隅でも、気分は百獣の王様さ。
遠いサバンナの崖の上から、世界に向かって高らかに吠える。
なんて単純で、依存する存在。
だいたい男子だけでつるんでる時って、ロクな状況じゃないし。
基本的に、『今からオレらルール破るから』って場合だから。
会社で、学校で、こそこそしゃべってるオトコどもは、
たいていアヤシゲな相談だ。
少なくとも、街角クリーンキャンペーンでないことだけは保証する。
女性たちは寄り添いあう。寂しがり屋だから?か弱いから?
ITという男性社会で、いつのまにかマイノリティだから?
耳にするそんな風評は、どれもどこかにたどり着けない。
私は、わたし。
集団の中でも埋没しない強さ。肩を寄せても溶け合わないこと。
その暗黙があるからこそ、ひとつのフィールドに集まれるのだ。
男たちが小さな部品になっていく隣で、
きらきらと宝石になること。
時には清楚に、あるいはしたたかに。
女性たちは寄り添いあう。
なぐさめるように出会い、踏みしだくように旅に出る。
それを評価していいのか、あるいは批判すべきなのか、
正直、よくわからない。
ただぼんやりと、自分の中でうずまくものがある。
たぶんそれは。嫉妬に近い。
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