蘭の会

+9月号+

■今月のおてがみ 船津大祐さん(Happy?Hippie!)より

 拝啓

海に行くのだよ、天気も良いだろうにね、と意気込んで上機嫌だったのは既に昨晩の出来事となり、あれほど楽しみにしていた今日は既に夕方にもなろうというに、妻と一緒に大衆食堂でノロノロと飯を喰らっているのだ。案の定、妻はふて腐れた顔をしているが、基本的にというか絶対的に私の寝坊が全て原因だとヤツは考えているだろうから、私は随分と下手に出て、考えに考え抜いた結果、海に出かけるのを止めてまで、大衆食堂に連れて来てやったのだが、どうやらそれすらもお気に召さないらしい。予定通り海に出かける以外に一体どうすれば喜ぶのか全く謎である。
だいたいもう取り返しのつかない過去に対してウジウジ考えても事態は好転しない事ぐらい、イヌだって分かりそうなものなのだが。まあとはいえ、私はイヌよりは賢いという自負があるので、過去の出来事は既に忘却の彼方へと速達で配送し、現在という最も大切なこの時間を、この大衆食堂で如何にして過ごすかを、イヌよりはきっと深く考えているのである。
ほお、見れば盆の上に好きな惣菜を乗せてキャッシャーに向かうシステムになっておる。イヌ以下であろう妻には難しいやもしれん。「おい、盆の上に好きな惣菜を乗せてキャッシャーに行くのだよ、ここはそういうシステムになっておるのだよ」と説明してやるのだが、「いちいち変なところに横文字を入れないで下さいな」などとイヌを見るような目付きをして言い放つので、「ウーッ!」と唸ってやったら「気持ち悪いからよしてください」などとこちらを見ることもなく冷たく抜かしやがる。
まあオマエにはイヌの気持ちなどは分かるまいが、俺はイヌよりは賢いのでイヌの気持ちをよく理解できているのだから、俺という人間は今イヌとコスモレベルでシンクロしており、俺は正に今イヌなのだ、アハハー、と思ったが、私と妻とイヌと誰が一番正しいのかよく分からなくなってきたので、フンヌフンヌと
盆の上に惣菜をおいていくのだ。「あんまり沢山取っては高くつきますよ」とこれまたメデューサの物真似をして遊んでいるのかと思わせる迫真の演技でもって睨んでくるので、いそいそとキャッシャーへと直進するも、サイフがないのに気づいて、愉快なサザエさん、エヘヘ、と笑いながら妻に頭をさげて払ってもらうのである。「うん、ちょっと取りすぎたかね?結構高くついてしまうもんだね、アハハ」と場を和ましてやっているのにもかかわらず、「ほんとね、意外と高くつくものね、きゃはは」と笑っているはずの妻はやはりこちらを見向きもせずに黙々と清算を済ませている。後ろから「キャッシャーッ!」と威嚇して叫んでみたのだが相変わらず反応はなし。きっとコミュニケーション不足が引き起こす現代社会の病理を理解しきれていないのだらうね、むつかしい女だよ、全く。
まあここまではある程度予想がついていたといえば嘘なのだが、まあ予想外でなかったという点では嘘ではない。ところがここで思わぬ事件が起きてしまったのだ。所謂納豆事変というやつだ。ただ所謂と言っても私のとっての所謂であって、他者にとってはそれが所謂かどうかは一切知る由もないが、言論及び言語には自由が保障されているものであり、まあそんなことはどうでもよいのであって、つまるところ、私が幾つも乱雑に配置されていたものから半ば運命的にピックアップした納豆についているタレの袋がどうしてもあかないのである。いや、もう少し正確に表現すると袋を開封するための切り口がないのである。念のためもう少し正確に表現しておくと、本来ならタレの袋というものはだいたい端に少し切れ目が入っており、指先でクルリと撫で回せば其の切れ目が探し当てられ、そこからスムースにカットできるはずでなければならないのにも関わらず、それがこのタレのヤツはスムースにカットするための切れ目がないのである。これが所謂納豆事変である。念のために言うが、所謂は言論及び言語の自由により守れている。しかしここで白旗を上げるほど私の自尊心は低く造られてはいないぞ、この納豆のタレの袋屋野郎!とばかりに力一杯引き裂こうとしたら袋を握っていた右手から滲み出ていた汗によって其の右手と袋の摩擦係数がゼロへと変化した事により、右手が袋から滑って、その勢いを慣性の法則で保存したまま机の角へと猛スピードで直進し、その結果右手首と机の角という本来ならなんの関連性もないもの同士がゴイーンという音を立てて衝突し、激痛とともにここぞとばかりに電流のようなものが走るのである。私が一人うめき苦しんでいると、水を汲んできて妻が「あら、あなたどうかしまして?」などと平然と抜かしやがるが「いや、納豆のタレがあかなくて開けようとしたら、右手が滑って右手首を机で打って只今電気が走っておるのだ」などと言えるわけもなく、ましてやこの肉体的かつ精神的な文学的憂鬱を共有できそうもない雰囲気なので「うむ、スムースにカットできないのだ」とだけ言って妻にタレのヤツメを震える右手で渡すのだった。
ところが、驚いた事に妻はあっさりとタレの袋を破り、私の納豆にかけてしまうではないか。「いやあ、すごい、どうやってあけたのだね、エヘヘ」とご機嫌を伺いながら探りを入れてみると、なんだそら、マジックカットとかいう代物らしく、「こちら側のどこからでも切れます」などと小さな文字で小説家である私が最も嫌悪するべきところである小説の、しかも文庫本の後書きの文字よりも小さくある。「なんなのだよ、日本はいよいよ食事時にマジックをするようにまでなったのかい、西洋被れも甚だしいってもんだい、だいたいマジックカットだなんて偉そうにしやがって、なんかあると横文字ばかり使いおって」などと妻にだけは聞こえるように小声で毒づいていると「あなただってスムースだとかなんだとか恰好をつけていうじゃないですか」などとこちらも毒づく。「なにおう、西洋化と格好をつけているのとはセイウチとムチウチぐらい違うのだぞ」というと「じゃあセイウチとムチウチはどう違うんです」というので「むぐぐ、それはともかくも凄く凄く違うのだよ、この馬鹿」とまとめてやる。
「もうわかりましたから早く食べましょう」だとか言うもんだから、何がもうわかったのかを説明させようかとも思うが、私自身わからせたかった事をすでに
わかってはいないもんだから、「ああ食えばいいのだろう」と言って睨めつけてやるのだが、妻の視線は眼の前のカニサラダが皿から口へと移動する直線的な場所以外に眼中にないようである。「水平線の向こうにも世界はあるのだよ。そして俺は其の世界の住人なのだぞ。おまえはカニサラダの住人でしかないがな」とこれは心の中で呟いてみると、少しばかり面白く、ウププと御飯を吐き出してしまうから、ようやくカニサラダめが私を見るのだ。こういうときだけこっちの住人に成りすまそうとしてもそうは問屋がおろすものかい、と思い、思い切って「おい、カニサラダ!」と呼んでやると、またしてもウププと御飯が口から零れる。妻は訝しげな顔をしているが、なにやら本当にカニのように赤くなって怒っているようなので、さすがに怖くなり、「アハハ、マ、マジックでもしてみましょうか?」なんて言っちゃあまた無視されるわけ。夫婦円満の道は海に行くよりも険しく遠いのである。

敬具


■船津大祐さんって、どんなひと?

NAME:フナツダイスケ

出生:横須賀米軍基地内で生まれ、兵庫県西宮市で育つ。
    現在岡山県在住。
趣味:ピアノ・詩作・惰眠・瞑想・放牧・カウンセリング
経歴:水泳でジュニア五輪日本代表候補になるも過酷な合宿生活と競泳    用パンツに嫌気がさし、逃走。以後、ピアノ・乗馬・バレエなど、爽や    か路線へ変更。しかし、すぐに行き詰まり、脱線。その反動で大学時    代にパンクバンドを組み、ワーナーインディーズとコネを用いて見事契    約。その後、所属事務所ABCの旅行中、宝○舞に手を出したこと     が発覚して首に。以後、電撃ネットワークらとともに渋谷ロックウェスト    でDJとしてイベントを実施。詩のボクシング全国大会三位(同順)。
    現在…「Yeah!めっちゃホリデイ♪」をモットーに、某有名進学高校    国語狂師として余生を楽しんでいる。
    趣味でやっているロックンロール喫茶もよろしく
    →http://e.z-z.jp/?radiostar     
    余興でやっている詩の朗読イベントもよろしく
    →http://www.kibin.net/happy/

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貴方は、どんな背中を追っているのか

+Web女流詩人コラム

「恋愛で人は死ねるか」丘梨衣菜(会員番号15)

+連載コラム Thinking about Poetry Reading 

好評をいただいている沼谷香澄(会員番号24)のコラム、佳境に踏み込んできますよ

◆10月号のお知らせ

+月例詩集

+Web女流詩人コラム

「ゆずれないもの」芳賀梨花子(会員番号000C)

+連載コラム Thinking about Poetry Reading 
ポエトリーリーディングを身近にするための沼谷香澄(会員番号24)のコラム



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(ページ及びグラフィック製作 芳賀 梨花子)