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少子化の先にあるもの


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少子化の先にあるもの  次世代の子どもたちを産み育てない若者たち

これはある心理学者から直接聞いた話である。彼はひきこもりのいろいろな相談を受け、治療も行っているが、ひきこもりの多くに乖離性障害が見られるという。ただ、私が関心を持ったのはそのことではなく― ひきこもりの問題には多様な見方が必要だ ― 彼の語った一種文明文化論的な部分である。

 少子化高齢化は何も日本だけの問題ではなく、先進国共通の問題でもあるが、日本の場合はそれが極端な形で表れている。日本の18歳人口は1992年の205万人をピークに年々減りつづけている。1999年から2002年にかけては150万人台で推移したが、2003年以降少子化が一気に加速し、2009年には121万人となるという。総人口は早ければ2004〜5年ごろをピークに減少に転じる可能性があり、学校の過剰だけでなく高齢者のみの世帯も急増するようになるらしい。

 さて、その少子化について彼は、その現象は予測を越えて進行していて、「今、他人と関われない若者が増えている」が、それは「異性とも関われない、結婚もできない、つまりは次世代の子どもを産み育てない若者の急増」を意味するという。

 ことは少子化高齢化という単純なものではなく、その先にあるのは文化や人種の終末論とでも言うべきものである。文化が行くべき所までいくと後は自壊するしかない、生物ももはや生殖行動を起こさなくなる。地球上にあまた棲息した生物や恐竜等の絶滅も隕石や環境の変化だけでなく、そういう文脈で考えることもできる。

 かつて青春を語る時、舟木一夫の歌「高校三年生」のように、それがどれほど荒唐無稽なものであろうと、そこには溌剌とした輝きや未来への信頼があった。ところが今や、不安で孤独なイメージが支配的で、それが若者たちの心の底にヘドロのように沈殿している。自分の生き方も、まして結婚し家庭を築いていくという具体的な設計図も描けなくなっている。こういうことは今までの時代にはなかったことではないか。

 21世紀、子どもや若者の問題を論じる前に、大人たちがどう展望を示すことができるのか。それがすべての鍵ではあるまいか。


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