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『親と子』 (永 六輔 著)を読んで


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『親と子』 (永 六輔 著)を読んで
            ……庶民感覚の珠玉の知恵の言葉…… 岩波新書 六六〇円+税)

 「永六輔」という名前を初めて知ったのは、たぶん坂本九の「上を向いて歩こう」の作詞者としてではなかったかと思う。永六輔(作詞家)・中村八大(作曲家)・坂本九(歌手)のコンビは次々と斬新な歌を私達に提供した。そして、そのほとんどが愛される歌として今も人々の記憶に残っている。しかし、永さんを除いた他の二人はもうこの世にいない。

 永六輔さんの才能と魅力はそれにとどまらない。ラジオのパーソナリティーとして独特の親しみやすい語り口をもっている。職人としての伝統の大切さを広める役もこなす。自身、どこか宮大工の棟梁のような風貌でもある。そして、寺の子息として、深い仏教の精神に根ざした巧みな説法もある。そして、『大往生』などのベストセラーもある。とにかく、多芸多才な人である。そして、その底に一貫して流れているのは庶民としての確かな眼差し・感覚というものかもしれない。 永六輔さんの書物の魅力はその親しみのある語りにあるが、またこの『親と子』も例外ではない。

 本書は、人と人との関わりで最も基本となる親と子の関係について語っている。いまや親と子という「タテ軸がぐらぐらして」いて、二十一世紀という時代は『親と子がどのように向かい合うのか』を探さなければならない」時代になったのである。

 しかし、本書を前にある種の論文のようにしかつめらしく構える必要は一切ない。いわばラジオのパーソナリティーの語りよろしく、永さんの独特の話術に黙って耳を傾けていればいい。誰にでもやさしく親しみやすい辻説法とでも言うべきか。 ただ、本書に何か体系的な知識のようなものを期待してはいけない。そんなものは初めから目指していないとも言えるし、そんなものを信じていないとも言える。話題はあっちに跳びこっちに跳び、定まらない。しかし、ともすると体系的な書物がまとめればつまらない結論に要約できることが多いのに対し、本書は逆にまとめようがないとも言えるし、そんなことはやんわり拒否しているとも言える。その代わり、至るところに言葉の宝石、珠玉の知恵の数々が散らばっている。

 たとえば、
●「お母さんの血はお母さんの血。赤ちゃんの血は赤ちゃんの血。ヘソの緒が生命をつないでくれたけど、血はつながっていない」
●「新郎が一人っ子、新婦が一人っ子。いまだに、結婚式で『御両家』なんて言ってますが、一人っ子どうしの結婚は、その『御両家』のうちのどちらかは滅亡するんですよ。…この二人に子どもが生まれたとします。そうすると、この子どもには『おじさん』『おばさん』『いとこ』がいない!」 
●三波春夫の時代には100万枚売れれば誰もがその歌を歌えた、いま500万枚売れていてもここに歌える人は一人もいない、「つまり、家族で楽しむ歌がない」
●「名門校を目指すのではなく、君が卒業したことで名門と言われるようにしろ」
 ……などなど、自身の言葉だけでなく人の言葉をも縦横に駆使して語る。「みんな、専門家が失敗しているんです。専門家は全体を見渡してはいません。だからこそ、専門家に対して発言できる人物が必要」と語る永さんの真骨頂が随所に見える。

 まずは、永六輔さんの語りに耳を傾けてください。そして、「ああ、そうだ、そうだよな」と、自分の中に眠っていた、庶民としての知恵を目覚めさせてみてはどうだろうか。


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