小説の世界には「短篇の名手」という言葉があります。
小説は大雑把に分けて、短篇(コント)・中篇(ノヴェラ)・長篇(ロマン)に分かれ、
短篇小説は小説の重要なジャンルです。海外の作家だとO・ヘンリーやサキ、
あるいはモーパッサンなんかがこの「短篇の名手」によく数えられます
(ほんとはもっとすごい人たちがずらずらいるんですが)。
さて、話変わって漫画の短篇というのは意外と少ない。
4コマ漫画なんかは短篇と言えないこともないですが、
ショート・ショートやスケッチに近く、漫画独特のジャンルでしょうか。
ここで言うのは20ページ前後で話が完結しているような短い漫画を指します。
特にここ十数年は、大ヒットを飛ばす漫画というのは
たいがいが大長編の体裁を整えているもので、
短篇集で名作と呼ばれるようになった作品というのは、
古いところで、例えば『ドラえもん』や『ブラック・ジャック』くらいに
なってしまうのではないかと思います。
ぼくが小さい頃は松本零士さんの『戦場漫画シリーズ』なんかは、
いい短篇集だったなあと子供心に深く感じ入ったのをよく憶えています
(古い話ですいません)。
さて、近ごろぼくが「短篇の名手」と認識しているのは細野不二彦です。
出世作の一つ、『ギャラリーフェイク』(小学館)はすっばらしい「短篇集」で、
『ブラック・ジャック』のオマージュから始まってこれだけ成功した作品も
稀有ではないでしょうか。 内容的にも、「絵描き」が「絵画」を題材にすることは、
そうとうな覚悟がいるはずで、コピーをほとんど使わずに (版権の問題もあるのでしょうが)
「美の世界」を描く姿勢には頭が下がります。
ストーリー的にも「みごとな結末」「どんでん返し」「人情の機微」などが
鮮やかに語られ、短篇であるからこその面白さが十二分に味わえます。
さらに加えて、細野不二彦の短篇作品でとりあげたいのは
『ビールとメガホン』と『幸福の丘ニュータウン』(ともに小学館)です。
前者の『ビールとメガホン』は、「野球の周囲にいる」人びとの
人生の断片をさっくりと切りとった好短篇集で、野球ぎらいのぼくが
こんなにおもしろかったのだからたいしたものです。
「ほとんど試合のシーンを描かずに」「選手を一人も登場させず」
日本人の野球に対する思い入れをまざまざと感じさせる手法には
感服しました。
後者の『幸福の丘ニュータウン』のほうは、
架空のベッドタウンに住む様ざまな人間の生態を描いたもので、
ホラー&サイコの雰囲気が色濃く、実にこわーい作品に仕上がっています。
作中で描かれる女性の心理・行動・表情なんかがめちゃくちゃに忌まわしく、
うわー、おれ、この人の書く女性像やっぱり好きだわー。
また、ここ数年の細野不二彦の達筆ぶりはすさまじく、
色いろな雑誌に「ぜんぜん違うジャンルの」作品を書きまくっています。
あっちゃこっちゃでばかすか連載が始まり、あんまり数が多いので
いくつあるのかチェックしきれないほどですが、
「自分の過去の作品の焼きなおし」で食べているような作家
(おれはこういうタイプの漫画家がいちばん嫌い)に較べ、
本当に好感が持てます。
ただし乱発が過ぎて、「うん? これはどうかな?」という内容のものも
時どきあるですが、総じてレヴェルは高く、とにかくいろんな作品に
チャレンジしようという姿勢がすばらしく、
きっと今いちばん脂が乗っているシーズンなのでしょう。
特に細野不二彦は「短篇」に力をこめているところが期待できます。
もちろん作風が「短篇に向いている」ということもあるのでしょうが、
往年の巨匠たち、松本、石ノ森、藤子、そして手塚たちがいずれも
〈屈指の短篇集〉を残しているのを考えると、大きな器を感じます。
実際、「手塚治虫は偉大だ」という漫画家はどっさりいますが、
それはたんに祭り上げているだけで、
実際に「手塚治虫を目指している」漫画家はちょっといません。
細野不二彦はその絵柄といい、多方面の活躍といい、
ひょっとすると〈未来の巨匠〉を目指して、
ひょっとすると〈未来の巨匠〉になりうるのではないかなあと
ぼくは時どき思うのです。
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