TITTIS
AND BEER(1976〜77band)
BAND APPEARS 「 zappa in New York]1978
NO HFQ7708
DATE 1977.3.2 paris (place Unknown)
MEMBER :FZ, (vo,gui,conductor)
Ray WHITE(VO,rythm Gi)
EDDIE Jobson(key,vio)
patorik O'hearn(Bass)
Terry Bozio(drums)
SIDE ONE
1.ILINOIS ENNMA BANDIT
2.MY guitar wants kill your
mama
3.Trying Grow Me a Chin
4.Browken Hearts For Asholes
5.Dong Work For Yuda
SIDE TWO
1.Manx Needs Woman
2.Tittis and Beer
3.Black Napkins
ザッパは、伝説そして日本のファンにとっては、正に一期一重だった76年の来日
公演のあと、バンドのメンバーを一新する。所詮、旧友のロイ・エストラーダ、アンドレ・ルイスはつなぎのメンバーだったようだ。(要するにテク不足。しかし、ロイ
の事は数少ない友人の一人として、最後のツアーに出かける間際まで連絡を取ろうとしていたらしい。泣ける話ですな。)
オーストラリア公演が終了したのが、76年の2月。その後、オーディションでロキシ−ミュージックをやめたばかりの、(バンドが解散した為)エディージョブソン、ジャズフィールドからパトリック・オハーンが合格し、バンドに参加する事になる。
エディーは「ロキシーが解散したので、もっとテクニックを磨けるバンドに入りたい
と思っていた。そこで、ザッパのバンドのオーディションを受け、バンドに入った。
そして、一年間ツアーをし、目的を達成したので、バンドをやめたのさ。」
と語っている。そして、重要なのは、ザッパのバンドでテリーと出会い、この後、
UKを結成した事だ。UKはニューウェイブ真っ盛りの76年に結成された伝説の
プログレバンドである。エディーは2枚めから参加し、実質的にリーダーシップを
とっていた。そのプレーも卓越していて、バイオリン、キーボードの両方でハイテク
を持つ、ザッパのバンド・メンバーの中でも珍しいバイ・プレーヤーだった。
私も「デンジャー・マネー」「ナイト・アフター・ナイト」におけるエディーのプレーは大好きである。そこに、ハードなテリーのドラムが加わるともう鳥肌ものの世界が展開される。また、美少年かつナルシストで、インタビューの間、鏡があると常に自分の顔をチエックしていたという。
ザッパとしては、このバンドにホーン、ルース・アンダーウッドを加えたバンドで
ザッパインニューヨークを録音する。このアルバムは数あるザッパのライブの中でも、ロキシーライブと並んで好きなアルバムである。後半のバンドと比べると音の密度、テンションが桁違いに高い。
また、魅力的なインストが多いのも、ポイントが高い理由だ。
本当に70年代のザッパバンドは凄かったと思う。
何といっても、名曲「BLAK PAGE」が凄い!この後、ザッパはこのメンバーに
数人を加え、大傑作「シークヤブーティー(70年代におけるいたち野郎)」のベーシック・ライブの音源の数々を録音する事になる。
しかし、あくまでエディー、及びザッパ・イン・ニューヨークのメンバーのライブとしては、発表されている公式の音源は殆どない。何故だろう。ザッパはバイオリニスト
が嫌いなのか。(Hot Ratsにおけるシュガーケーン・ハリスの活躍を見るとそうは思えないのだが。)同様にハイテンションなJLポンティーのプレーも発表されていない。ザッパはこの2人が嫌いなのか、それとも単にテープが残っていないだけなのか。
どちらにしても、この時期の音源が正規番で聴けるのは、他には、 YCDZOSA第6集における「ブラック・ナプキン」のみ。淋しい限りである。
とにかく、過度期のバンドではあるが、卓越したメンバーがいる事、UKを生み出すきっかけになった事、いくつかのこの時期にしか聴けない魅力的なインストがある事、そしてなによりも、ザッパ・イン・ニューヨークのメンバーの時代のバンドである事などから、私の偏愛するバンドの一つである。
(このメンバーでサタデーナイトライブに出演している。)
他のメンバーについても、簡単にふれておくとベースのパトリック・オハーンはジャズ系から参加した。そのよく伸びる音は紛れも無いフレットレスベースの音だ。
J・パストリアスを意識しているようなフレーズが多く、半分リード・ベーシスト的な
使われ方をしている。実際、1978年のツアーではダブル・ベースでツアーに参加している位だから、余程ザッパに気に入られたのだろう。
(自分から売り込んだのかもしれないが。)リード・ボーカルのレイ・ホワイトはベイ
エリアのファンク・シーンから参加。多分にゴスペルの要素が強いボーカリストである。1978から参加のアイク・ウイリスと共にザッパバンドのボーカルの大半を
唄う事になる。そのスタートがこのバンドだ。
また、最初の2公演には、ビアンカという女性ボーカルが参加している。
しかし、最初の2公演のみであえなくクビ。どうしてだろう?ザッパはこの頃から
本格的に黒い音にしたくて、バックボーカルで採用したんだと思うが、自分のイメージに合わなかったのだろうか。それとも、ドラッグが好きだったとか。
YCDTOSAの第6集で1曲だけビアンカのボーカルが聴ける。Wind
Up In Gas
Station だ。この中で、ビアンカはアレサばりのシャウトを披露している。
やはり、彼女のキーボードの腕が足りなかったせいかもしれない。ザッパは前回
のバンドでも、ノーマ・ベルというボーカルを雇っている。よくある、ファンクバンド
のバックでシャウトする女性ボーカルを入れて黒っぽさを強調したかったのだろが、うまく行かなかったようだ。ザッパバンドに在籍していた女性といったら、1973〜5年のルース・アンダーウッドだけと言う事になる。彼女の場合相当なテクニシャンだったので持ちこたえられたのだろう。やっぱ、ザッパバンドは女性にはきつそうだ。もし、うまく行っていたら面白かったと思うが。
それでは、このレコードの紹介に移ろう。A面では、最後の4が最高!このメンバーでこんなご機嫌なアカペラを聞かせてくれるのだから。また、2もあまり聴けないスローなアレンジで貴重だ。(1984年のバンドで再演しているが、イマイチ)B面は頭から快調で、小人数でよりエッジの聴いた1は最高である。この曲も含め、ザッパ・イン・ニューヨークのインストはどれも素晴らしい。おなじみの2は、エディーのクラビネットが他で聞かれるどのバージョンよりファンキーだ。また、最後のテリー
の歌詞の所でザッパがいきなり「ジャズをやれ!」と命令し、テリーの珍妙なドラムソロ(ハミングソロ付き)が聴けるが、テリーも困っただろうね。ザッパはこんないたずらが大好きなようだ。そして、最後の3は名演!ザッパ以外のソロでは、このエディーのソロが恐らく最高の演奏だろう。ひたすら、ドラマチックにテリーのドラムと相乗効果を上げながら、天に昇っていく。そして、そのドラマチックな演奏
の後を受けて、幾分押さえたザッパのギターソロが始まる。ここからの演奏はピンク・ナプキンとしてギターアルバムの一枚目に収められてる。その演奏も悪くないが、何故エディーの名演をオクラ入りさせてしまったのだろう。よくわからん。
とにかく、このブートは数ある海賊盤の中でも一番好きなものだ。
アナログでの入手は困難だと思うが、 ニュースの欄でも書いたように、コピー盤のCDが一時西新宿で出回っていた。
渋谷のマザーズ・レコード当たりに行けば置いてあるかも知れないので探して見る価値はある。