このページは、古代戦ゲームの面白さに目覚めた筆者が、資料とゲームで学習したことをまとめたものです。
筆者は古代戦はもちろん軍事技術についても門外漢ですので、頓珍漢なところなどありましたら、心優しくご指摘いただけるとありがたいです。


Hannibal
Rome vs.
Carthage


by Avalonhill



カードドリブンは、最初の「ウィーザピープル」では通に受けましたが、それほど爆発的ではありませんでした。しかし、見る人は見ていたようで、優秀な二人のデザイナーがこのシステムの可能性に気付いて、相次いで傑作を発表し、一気に新世代の基本ゲームシステムとして広まりました。その一方がテッド・レイサーの「Path of Glory」であり、もう一方がこの「Hannibal」です。
発売早々に購入しながらどうしたものかプレイする機会がなく、このほどようやくにしてYさんと新宿で対戦して来ました。
BC218
BC218年が最初のターンです。
わたしはローマ軍なので北側に座ってボードを上下逆に見ています。カルタゴ軍はイズベダを支配下に置いたあと、ハンニバルとギスゴがガリアを進んできます。写真で分かる通り、ハンニバルはAverni族を、ギスゴはMassiliaを包囲しています。
ローマ軍はヒスパニアの守りが弱いのを見て取り、思い切ってロングスに海を渡らせSaguntumを包囲攻撃することにしました。

BC217年となり、ハンニバルがヒスパニアにとって返してきます。ハンニバルとヒスパニアで決戦をしても勝算もないので早々に退散することにしました。
一方、ガリアに残って包囲戦を続けるギスゴにはペストが襲い掛かり、そこを狙ってフラミニウスが攻撃してギスゴ軍を撃退しMassiliaの包囲を解放しました。ローマ軍としては2ターンを経てハンニバルにほとんど侵略を許さなかったこととなり、上々の立ち上がりです。
しかし、大きな誤算はここでシシリーの反乱が起こったことです。カルタゴが優勢でもないのにカルタゴに付くとは愚かなりシシリー。

BC216年は大きな振り代わりの年となりました。
ハンニバルはついに決断してMassiliaを放置して一気にアルプスを越えてきました。これは困った作戦ですが、実のところローマとしてはハンニバルを直接咎めることはなかなか難しいのです。しかし、ハンニバルが抜けて手薄になると、ケルチベリアが反乱を起こしたのです。これに呼応してプロコンスルとして残っていたフラミニウスが再びローマ軍としてスペインの地を踏み、なんとケルチベリアを制圧してしまいます。

BC215−214年にハンニバルは再び思い切った決断をしてヒスパニアにとって返してフラミニウスを撃破しに掛かります。フラミニウスは敗北を繰り返しますが、ヒスパニアの中を逃げ回り、時間と言うカルタゴにとって貴重な資源を奪っていきます。

BC213−212年には、ケルチベリアを奪回したカルタゴは、三度、ハンニバル軍でアルプスを越えてきます。ネロがこれを迎え撃ちますが、残念ながら同規模の軍勢を率いての対決では歴戦の英雄ハンニバルに一日の長がありました。

BC211−210年は雌雄を決する年となりました。
三度アルプスを越えネロを破ったハンニバルですが、カルタゴが浪費した時間はローマで待ち受ける大軍という結果を招きました。マルケルスと、アフリカヌスが大部隊を相次いで連れてイタリア半島を北へ向かい、ハンニバルとの決戦に赴きます。
一方、ハンニバルの率いる戦力は度重なる戦いと行軍で磨り減っており、さしものハンニバルと言えどもついにマルケルスに対して敗北を喫します。
さらに勢いに乗るマルケルスはアルプスを背負って退路のないハンニバルに対して第2戦を挑みます。ここに至ってカルタゴはついに投了することとなったのです。

今回は互いに初プレイということもあって、かなり大胆(?)な展開となりましたが面白さ抜群でギャラリーも含めて盛り上がりました。ローマ軍としてはヒスパニアに領土を築き、最後はハンニバルを撃破して大いに意気上がりました。また近いうちにやりたいものです。